ぶらりぶらり

今日が一番

2013年10月23日 再スタート10日目中山道「中津川宿~大井宿」18928歩 12.2k

2014年02月28日 | 中山道

中津川宿~大井宿

次回も中山道を続ける為、アクセスが良いように大井宿で今回は一旦帰宅する事にする。

在来線で帰宅するには、恵那駅を昼前には到着しなくてはいけない。

私の足でどれくらいで歩けるか検討もつかず。

何しろ中山道は峠が多く、峠と名乗ってなくてもアップダウンは必ずある。

江戸の頃,止むなく中山道を歩かなくてはいけない事もあったのだろう。

こうやって道楽ともいえる街道歩きをしている私!

しかも、長距離に便利な靴他を身につけ背中に背負って歩く。

贅沢を言ってはダメダメと自問自答の10日間だった。

早朝6時にビジネスホテルを出発。

夜が明けようとしている中津川宿を歩く。

良く整備されていて,観光に力を入れている事が解る。

美味しそうな店、歴史がありそうな老舗と盛りだくさんの街だった。

中心地を出る頃にすっかり夜が明けた。

         

7時少し前道祖神の前を通りかかったとき犬の散歩中の主婦と立ち話。

写真を撮ってくださると申出てくださった。

この年になると自分を撮るなどなるべく避けたい。

中山道中にお会いした特に女性は何の邪気もなく親切で、こちらもつい引き込まれてしまう女性が多い。

彼女もご多分に漏れず恥ずかしながら,この旅の最後の記念撮影となった。

フフ今見ると結構元気そうなんだかすご~く疲れた記憶があるのみだったが?????

 

10分程歩きそろそろ中津川宿も終わりかなと思った所に休憩所が設けられていた。

なんて親切な中津川宿でしょ、感謝でした。

  

7時半を過ぎるとさすがに空腹を覚えた。

小石塚立場跡の碑あり、そこは19号線の接点でコンビニがあった朝食タイム。

  

朝食後は又19号線から離れ、のどかな田園の中の道を歩く。

中津川から平坦波値が続く、甚平坂を上り根津神社で坂を下れば大井宿。

遅れてはという思いからか?9時半に大井宿に到着。

           

大人の休日で3割引になると思い込み切符を購入しようとした。

ところがここはJR東日本ではないので、ノートが必要だった。

カードだけあればと持参したのだが・・・仕方なく割り引き無しの切符を購入。

10時前の電車に乗り鈍行で帰宅。

カード時代ご時世に、なんでノートが必要なのかな~

全国のJRさん、少し時代遅れではないでしょうか?

その後、11月下旬・・・12月上旬・・・京都まで言って中山道終らせたかったのですがいろいろあり先延ばしになりました。

4月からSantiago de Compostela銀の道を歩きます。

中山道いつになるやら????あと192k、体が動くうちに実現するよう努力しま~す。

 

 反省&訂正:この日の歩いた記録が消えていて,最初4kと思っていたがなんと本日3月5日万歩計の記録が出てきました。

   4kを大したアップダウンもないのに3時間半も掛かったんだと思っていたらガイドブックには10kそして私の万歩計では12kでした。

    

 

 

 

 

 


2013年10月22日 再スタート9日目中山道「妻籠宿~中津川宿」24775歩 15.9k Part5

2014年02月26日 | 中山道

馬籠宿~

馬籠宿も終わりに近づくと右手に水車がまわっている。

下る坂は車坂とある、馬籠宿の桝形。

道は桝の内側でクランク状に曲がり、宿場の防備、つまりは徳川幕府のおかれた江戸の防備の意味もありました。江戸時代というと中期以降、特に文化文政の頃からは、町人文化が爛熟し、粋を最高の価値観とする江戸っ子の享楽的な面が強い遊びの世界が華ひらいた印象がありますが、初期の江戸は何よりも軍事都市だったのです[ 信州短期大学 中藤保則 ]中山道よもやまばなしより

この先は落合宿へ向かう。

ここは人馬が歩き易いように石畳が敷き詰められていた。


            

古い町並みが残る集落を過ぎ十曲石畳が続き落合川を渡ると落合宿。

こちらは下り坂だが、香港在住のイギリス人の集団がふうふう良いながら石畳を登ってきた。

やはり歩いているのは外国のひとが多く感じられた。

       

15時落合宿から中津川まで後4k、暗くなる前には到着するだろう。

今夜の宿はビジネスホテルが予約済、暫く離れていた中央線が近くにやってきた。

この中津川か明日の大井宿が電車の便が良いので次回を考えて明日を今回の中山道最終日と決定。

中津川宿までは上り下りのある道が続き、子野の地蔵堂石仏群のそばにある芭蕉句碑を過ぎれば中津川まで平坦の道になる。

中津川まで小石のちりばめたような道が続く。

この道が中山道の道だと地元の方に教えて頂いた。

ただ記憶がはっきりせず漠然と覚えている。

    

 

 

 



2013年10月22日 再スタート9日目中山道「妻籠宿~中津川宿」24775歩 15.9k Part4

2014年02月19日 | 中山道

いちこく御休み処~馬籠宿

居心地のよい休み処につい長居をしてしまった。

無料の茶屋だが、置かれた寄付の壷に気持ちだけ入れさせて頂いた。

馬籠に向かって歩き出す。

林の中の峠道をかって和宮様や「夜明け前」の青山半蔵も島崎藤村も歩いたのだろう。

石畳を出るといっとき車道にでる、そこには今は使われていない峠の茶屋跡。

 ここは海抜801m、北は高い木曽の山々、南は「平らな野原の多い」と当村が書いた美濃平野。 

      

車道を少し下ると右に入り下りとなる膝の悪い私は用心用心。

間もなく峠の集落があり,ここにも江戸がある。

長年受け継がれた生活の知恵が軒先や庭に受け継がれている。

11時半馬籠まで1.6k、お昼までに到着できるのだろうか?

坂がつづきます、妻籠から馬籠まで峠を歩いている日本人は少なく外国からのウオーカーが多い。

香港在住のイギリスの団体さんノルディックウオーク?両手にステッキを持ってかなり疲れて様子で坂を上ってきます。

「がんばれ!」と声を掛けると明るい返事が返ってきます。

中山道でなくスペインの巡礼をしている気分でした。

石畳の下り坂を歩き、車道を超え更に石畳の道は下りの方が厳しいと思った。

12時すこしまえ、馬籠の手前の展望台に到着、やっと日本人に会えました。

                       

奈良井宿で同宿した同郷のご夫婦は妻籠にこれから行き馬籠を歩くとお話ししておられたが、この峠を越えたのかな~

展望台を降りるとそこは木曽路の一番南の宿場「馬籠宿」。

山の尾根に出来た珍しい地形の宿場,石垣を積んで平地を造り一軒づつ家が建てられている。

奈良井宿、妻籠宿と同様多くの観光客が行き来する、江戸の宿場町でした。

今回の旅も明日で終りとなる。

それに昨夜の宿で出た檜の箸がここに売られていた。

私は滅多にお土産は買わないのだが、財布と背中の重さを気にしながら購入。 

      


2013年10月22日 再スタート9日目中山道「妻籠宿~中津川宿」24775歩 15.9k Part3

2014年02月18日 | 中山道

男滝・女滝~いちこく御休み処(峠の茶屋)

滝の説明を読み、馬籠まで約5k昼までに到着するのだろうか?

滝を出ると国道にでる、間もなくオタル男垂国有林の説明板を過ぎ川の瀬音を聞きながら林の中の道を行く。

石の道標を過ぎると峠の入口、石畳の林の中の坂道を歩く。

途中も様々な説明板、道しるべなど街道筋の人々の温かみを感じながら歩く。

                   

10時20分一石栃の白木改番所跡説明板のそばには東屋も会った。

チョット休憩したくなるところが多くこれでは前にすすめない。

ぐっと我慢をして良かった、立場茶屋の看板があり直ぐに「いちこく御休み処」に到着。

「いちこく御休み処」にはボランティアの方が接待をされていた。

まさに「お・も・て・な・し」だった。

そこで、先に歩いた横浜のご夫婦のメッセージあり、はじめてお二人のお名前を知る。

今回の中山道歩きの終わりが一緒だが次にお二人にお会い出来るのだろうか?

       

休憩を取っている所へ,アメリカ組がやってきた。

これだけご縁がある私達、改めてアドレス交換をし最後の記念撮影だった。

日系のお二人はnaomiさんとkeikoさん。

                                                


2013年10月22日 再スタート9日目中山道「妻籠宿~中津川宿」24775歩 15.9k Part2

2014年02月14日 | 中山道

妻籠宿寺下~男滝・女滝

久々にブログ再開です、4月から次の旅とスペイン巡礼が始まります。

この記録を終らせなくてはと思っています。

妻籠宿公認「宿泊予約センター」のHPから良い地図を見つけました。

  http://www.janis.or.jp/users/chojiya/chojiya.htm

思い出すのに丁度良い地図、HPから切り取って頂きました(事後承諾でごめんなさい)

 

 

お世話になった「かめやま」から数秒歩くと藤原家住宅の案内板。

そこから数分で庚申塚と方向標識、妻籠宿出入り口をスタートして2.2kを1時間かかりました。

直ぐに石畳の下り坂が始まります、15分程歩いた所でまたまたアメリカ組と再々会。

余程ご縁があるらしい、ということはどちらものんびり型なのでしょう。

      

倉科神社を通り過ぎ、アメリカ組とは前後しながら「男滝女滝」ヘはいって行きます。

ここは吉川英治の小説「宮本武蔵」の舞台となった滝。滝壷に金の鶏が舞い込んだという伝説もあるそうだ。

アメリカ組はここにはかなり興味があるようだった。

         

 

 

 


2013年10月22日 再スタート9日目中山道「妻籠宿~中津川宿」24775歩 15.9k

2014年02月10日 | 中山道

妻籠宿~妻籠宿寺下~

朝食は、こちらで取れたものばかりだとか。

あえていわせて頂くまさに女将さんだとおもうから、女将さんはこの辺のものばかりとおっしゃる。

土地の日常の物を頂く事が旅の楽しみです。

居心地が良くて、でもいつまでもゆっくりしてはいられません。

8時半、ミュージシャンの方と滅多にお知り合いになる機会はないので記念に写真をおねだりしました。

女将さんもご一緒に,ご三方とも写真より実物の方がずっと美女美男でした。

女将さんに昨日おじいちゃんに拾って頂いた町営第三駐車場まで送って頂いた。

おじいちゃんにお会いしたかったけどまだおやすみしておられるとかで残念でした。

この駐車場に中山道への入り口がありました。

昨日であった横浜のご夫妻と再会、相変わらず速いお二人でした。

歩いても歩いても距離が縮まりません。

      

歩き始めて直ぐに奇麗なトイレがありました。

前から四駆の車が・・・ミュージシャンご夫婦でした、ふたたび別れを惜しみます。

妻籠宿から馬籠宿までの峠には清潔で使い心地の良いトイレが頻繁に設置されています。

集落が始まり,目の前に又あのご夫妻です。

昨夜泊まったかめやまの表札、おせわになりました

    

 


年金暮らし・・・・45年振りの大雪

2014年02月09日 | 年金暮らし

昨夜から45年振りの大雪です。

就寝前車庫の屋根が心配になり、12時だと言うのに車を道路に出す事になる。

でも。車が半分道に出た所でストップ。

何とかもとに戻し、諦めました。

幸い、車庫の屋根が無事でした。

早朝から家の前をお隣と前のお宅の高齢者にはいった男ども,雪かきを始めました。

引っ越してから35年を過ぎました。

30代にはいったばかりの私達何かにつけて協力しあったものでした。

全員が雪かきに参加した訳ではありませんが、ひさびさに近所が協力し合って雪かき。

挨拶をし合い、作業中は笑い声もあり昔に戻った感じで私個人はなんだか楽しいひとときでした。

 

 

 


2013年10月21日 再スタート8日目中山道「須原宿~妻籠宿」38391歩 26.4kPart6

2014年02月08日 | 中山道

妻籠宿寺下/民宿 かめやま

90才のおじいちゃんの運転で宿「かめやま」に到着。

一番奥の部屋へ通される、といっても隣の部屋とはふすま一枚。

アメリカから来た若い女性2人がお隣さんとか,あおいするのが楽しみだった。

一番風呂を頂き夕食までいつもの作業。

カメラ代わりのipodtuch、今日は大分持続して妻籠宿への出入り口迄作動。

民宿かめやまは先ほどのおじいちゃんがやっておられる。

でも、高齢の父親の代わりに宿の殆どを長女の方がやっておられた。

その妹さんのご主人が郵便局長さんだそうです。

そして驚いた事に長女のご主人様,私と生年月日が同じでした。

気の良い働き者の奥さんで、良く気がつく方でした。

夕食は炉端のある部屋、なんだか良い感じ

ご一緒したのはアメリカのお嬢さん達2人と、観光案内所で出会ったご夫婦でした。

少し一緒に歩いた横浜のご夫婦とは又違い、車大好きだとかいかにも都会的・・・あか抜けていらっしゃいました。

 

食事が始まり少しづつ,座がほぐれてきます。

私のブロークンイングリッシュが少しはお役にたったようです。

話が進むうちに、ご夫婦奥様は私と同じ年、そしてお二人はミュージシャンでした。

ご主人はドラマー、奥様はピアニスト・・・やっぱりねえチョット私の世界とは違います。

本日私を含めての3組は以前からの予約ではなく、突然の飛び込みだったそうです。

でも私ひと組でなくて良かった

いまご主人は演奏よりご指導をされているそうです。

そんなこんなでその夜はグローバルな夕食でした。

 

 


2013年10月21日 再スタート8日目中山道「須原宿~妻籠宿」38391歩 26.4kPart5 

2014年02月03日 | 中山道

妻籠宿~妻籠宿寺下

後500mで妻籠宿の入口になる、もう少しと歩き出す。

妻籠宿の案内板から歩くと、妻籠宿~の雰囲気にウキウキとしてくる。

10分弱歩くと妻籠宿名所のひとつ「鯉岩」の由来を案内板。

明治24年膿尾大地震で形が変わってしまったそうで案内板のみ。

その先はもう妻籠宿、高札場があり、午後4時妻籠宿の町並に入る。

      

妻籠宿は日本で最初に江戸時代末期の宿場町の復元と保存を行った所。

昭和51年には国の重要伝説的建造物群保在地区国選定されてい。

今も出梁造りに竪繁格子、卯建のある格子が続く江戸時代さながらの宿場町の姿を見る事が出来る。

この妻籠宿は約1kなのだがここを通り抜けるのに1時間をかけてしまった。

先ず、横浜のご夫婦に出会う(やはり彼らは速い)軒先で到着のビールで乾杯をしておられた。

出会いを喜び先へ宿場町を進む、観光客の多い事。

郵便局、ここで手持ちのはがきにスタンプを押させて頂く。

すると、局長さんこれから泊まる宿の奥さんのご主人だった。

もちろんスタンプを押すだけでは終らない

先へ進まなければ陽が暮れてしまうとこころの中では焦るのだが

やっと郵便局をでると、妻籠宿観光案内所素通りは出来ない

そこへあの横浜のご夫婦、中山道のこれからをあれこれと話す。

私の財布の中もそろそろ旅の終わりを告げ始めてきた。

地図を点検すると,次回を考えて恵那大井までと思っていた。

ご夫婦も同じ事を考えていたらしい、彼らは鈍行で帰宅の良し調べた時間表を写させて頂く。

彼らとお別れしていよいよ妻籠宿の終わりに近づくと入口の看板?

ナルホド江戸ヘ向かう人にとっては入口です、そう言えば芦田宿を出たとき松並木も両方に入口があった。

      

妻籠宿の町並みが終る頃とうとう17時になってしまいました。

ここまで来て又バッテリー切れ、そろそろ暗くなり始めました。

急いで歩いていると、オーストラリアとニュージランドからのツアー客が縁台に座り盛り上がっていた。

今からバスで温泉に行くとのこと、妻籠宿寺下に泊まる事を告げると自分たちも泊まっている。

もう直ぐだよ後30分位かな30分歩くのは良いけど暗くなる

大きな駐車場で寺下方面への入口で、思案したあげく電話をする事にする。

昼間に出たおじいちゃんの声、今直ぐ来てくれるとの事ありがたい。

翌日解った事、このおじいちゃんなんと90才でした。

 

 

 

 


2013年10月21日 再スタート8日目中山道「須原宿~妻籠宿」38391歩 26.4kPart4

2014年02月02日 | 中山道

三留野宿~妻籠宿

本日の目的地まで6k以上ある、坂もあるし私の歩きで2時間以上はかかるだろう。

陽が陰る前には宿に着きたいものだ。

三留野宿は古い家が残っていて、街道歩きの気分は最高。

途中南木曽小学校への石段を3~4段登り民家と蔵の間が中山道なのだが,人様の家の前を通る事になるので蔵の脇にある急坂をあがるようにと「ウオーキングマップ」のアドヴァイス。

そうですよね、なるべく中山道沿いにお住まいの方の生活を煩わせることは避けるよう心がけようと肝に銘じます。

でも道中を歩いている間,親切な方ばかりでした。

運良くそのうちの方がおられたらお断りしてその道を歩きたかったけどどなたにもお会い出来なくて残念でした。

南木曽駅を過ぎるとかぶと観音手前まで約1.5kの坂道です。

和合集落を過ぎ竹林を過ぎると急な坂(神戸坂/こうどさか)をがんばる。

各家の庭木が美しい神戸(こうど)集落を通過するとかぶと観音に到着。

近くに木曾義仲や巴御前にまつわる「ふりそでの松」を見る。

     

この先はハイキングコースを楽しみながら妻籠宿まで歩く。

途中に良寛様の碑があり、夫の実家の近くに五合庵があり何度か尋ねた事がある。

木曽路で良寛様の碑に出会えるとは・・・・・

横浜から来たと言う私より少し若いご夫婦とであい、しばし街道歩きの話をする。

お二人の歩きは速く、先へ進んでもらう。

上久保の一里塚、しっかりと一対が残った一里塚、江戸より78番目。

 

      

庭木の植え込みが美しい渡島集落を通過、木の橋を渡る。

相変わらず標識が多く安心して歩けます、感謝感謝

竹林を過ぎるとお城の碑の案内板、木曽の南の守りの城として県の史跡になっていた。

見学したかったが、すでに15時45分右手の城への案内を横目でみて先へ進む。

コンクリートの急な坂道を終ると妻籠宿への案内板、15時50分。

以外と早く到着と思ったがここからが長かった