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ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月3日(火)巡礼41日目

2016年05月29日 | 巡礼銀の道

サンチャゴを目前にしていろいろあり一ヶ月以上経ってしまいました。

訪問してくださった方々申し訳ありませんでした。

巡礼の道を歩くことは私のライフワークです。

この記録を続けて、これからも歩いていきたいと思っています。

体調がいまいちで、来年の70歳の記念に歩けるのだろうかという不安があります。

そのプレとして、10日間の短期の旅をしてきました。

ちょっと不安もありますが、4ヶ月以上の筋トレに励んでいます。

体力を回復して来年Caminoを歩こうと準備しています。

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Onteiro~Santiago de Compostela 16.3k 標高295~255

本日はいよいよSantiago到着する。

午前6時45分アルベルゲを出発。

朝食らしい食料は何も持たず、約4k地点にバルあり。

Sはそこで携帯に充電しながらゆっくりと朝食をとる。

16k強の距離で終わると思うと少々のアップダウンも気にならない。

Santiagoが近いせいか、住宅にもホタテやCaminoの印が目立つ。

気持ちがワクワクする。

10時半、いよいよ終点が近くなる。

電気メーターまでCamino一色なのだ。

Santiagoの街が見えてきた。

ペリグリーの到着を祝ってくれているのだろう、お祭りのような旗がなびく。

勧化されている気分。

 11時半、Santiagoに到着直後日本のツアー客から本日ボタフメイロがあることを教えていただく。

なんて運の良いときに、まずは到着の手続きをと事務局に到着。

もし始まったらどうしよう?でも到着の手続きをしたほうが良いかも?

迷うが多分間に合うと信じて手続きに向かう。

 

間に合うようだ、急ぎ教会へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


前途多難な故郷熊本だが???ガマだせ熊本

2016年05月08日 | 日常での自分のあり方

6月高校の同級会(卒業後50年)に出席の予定だったが会場が被災して秋に延期になった。

私が予約していたホテルは今再開した。

義兄の葬儀には、できたらそこに宿泊して少し活動したかった。

帰宅後数日して再開のニュース。

同期会は延期になったが宿泊先があれば予定通り行く予定。

熊本県内で一人として災害に合わなかった人はいないと思う。

しかし、中心地は私が帰宅する時動き出していた。

頑張れ熊本と言いたい。

電車で駅で向かう時、私の大好きな電車通りから見える熊本城の石垣はしっかり頑張っていた。

6月に行って何をする?何も考えていない。

68歳の私に何もできないかもしれないが姉達、友人と会えることを楽しみにしている。

九州の観光やホテルのキャンセルが増えているとニュースで伝えられる。

私の住む地域境で熊本の行政に変わって故郷納税をしたくださっているとのこと。

私もぜひ参加たいと思っています

みんなが「ガマ出しています」見届けようと思う。

ガマだせ熊本!


ふるさと熊本から2日後に帰宅

2016年05月07日 | 日常での自分のあり方

葬儀日程の知らせを受け、どれくらい滞在できるかわからないので新幹線で行くことにした。

姉に駅からの路面電車が動いていると聞いたので、空港から市内へ移動し易いと判断。

下の姉が駅まで迎えに来ると言ってくれたが、高齢の姉夫婦に混雑する市内への迎えは返って心配だった。

路面電車が動いているというので、電車の停留所へ迎えをお願いする。

自宅から博多までの乗り継ぎはスムースでした。

博多から熊本までのJRの特急券が購入できなかった。

博多ちゃく後、熊本までの特急券は熊本で着払いできるとの駅員さんの言葉に急いでホームへ行った。

博多の駅員さん達は誠に的確な受け答えだった。

全て自由席、みんな並んでいる。

熊本までの特急が通過して、博多に避難していたが八代まで帰るという女性が前後並んでいたS。

二人とも揺れの恐怖を話してくれた。

5年前の東日本の地震もすごかったが、今回は何か違う。

熊本到着後、すぐに路面電車に乗り、葬儀場へ向かう。

憔悴しきった姉と姪。

それでも姪は健気にも立ち振る舞っていた。

姪の息子達がなんとも頼もしかった。

姪の夫は初めの地震発生から仕事で地震の対応に追われていた。

そして姪が家庭と葬儀の手配に追われていた。

運良く死後翌日には通夜を迎え無事義兄を送ることができた。

到着当日は斎場で通夜を迎え、翌日は姪の家に宿泊。

何かしたいと思っても私にやれることはなかった。

時期が時期なので泊まる宿はなかった。

被災している姉達にこれ以上迷惑をかけられない。

姉達には子供や孫がそばにいてそれだけでも安心。

故郷を離れて50年、熊本で生活をしたのは小学入学までと高校の3年間だけ。

しかし、熊本が私の故郷であることを今回心から思っている。

今帰宅することが私にできることと思い帰宅。