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巡礼中・巡礼後、思った事や感じた事・・・自分らしく2

2012年06月30日 | Camino de santiago

男の長旅&女の長旅

会話の中で、お互いの予定を話し始めた時70日という私の行程に皆が驚いた事に私は驚いた。
巡礼者の大方はひと月以上の日程できている人は多い。
しかも、シニア世代はやっと長期間の予定が組めるようになったのだから。

ところが、主婦である女が70日しかも夫は留守番!
殆どの人は”夫は今どうしている”という質問が多かった。

「私の夫は優れた人で、40年近く立派に仕事をこなしてきた。
そして、リタイア後は自然に家事の一部を完全にこなしてくれています。
重いものを運ぶ事が多い、ゴミ出しはこの3年私はやらなくなりました。
特に、趣味のガーデニングで我が家の庭はパーフェクトです。」

”食べる事はどうしているの?”
「彼は料理はパーフェクトではないけど、ベービーではないので自分の健康はちゃんとケア出来る人です」
これは冗談半分ですが「夫にも、誰からも干渉されない独身気分で過ごす時間をプレゼントしたの」
と答えます。

最後に男性に対して「貴方達は私と同じペリグリーノとして、巡礼をしている間”奥さんはどうしている?
食べる事はどうしている?”って質問された?」と質問すると全員が”No!"と答える。
男の人には全く生活力が無いかの様な質問であると思う。

私はこうやって元気に歩いているが、もし不治の病で男性が残されたらどうするのだろう。
長年社会人として経済の一端を担って来た人達が何も出来ないとは考えられない。
確かに家庭の仕事は多岐に渡る総合職であると私は思っている。
男性はもっと社会で見せた実力を家庭でも見せてほしいと思う。

我が姉や知人の女性から「良く旦那様が2ヶ月以上も許してくれたわね」と何人にも言われた。
まだまだ女性の意識から変えなくてはいけないのかもしれない



巡礼中・巡礼後、思った事や感じた事・・・自分らしく1

2012年06月28日 | Camino de santiago


2度目の巡礼行きを考えたのは2年位前だった。
夫がすっかりリタイアしたのは3年前。
リタイア2年前頃から夫は、徐々に我が家に滞在する時間が増えていた。
それまでは、全くの企業戦士の典型的な夫だった。

リタイア後の我が家はいわゆる年金暮らし!
妻の私にとって、家計費から言えば殆ど何の変わりのない生活。
年金暮らしは極貧と言っても過言ではない新婚時代に比べれば楽なもの。
しかし、極貧も若い私達にとっては楽しいものです。
節約お宅の私には、実力発揮の時代だったのかもしれない。

家事の一部を自然に夫がやってくれるようになり、家事も楽になった。
毎日食事を作るのも初めてだが、毎日コンスタントに作ると返って楽しいものになっていた。
反面几帳面な夫の目はかなり私にとって心の負担になって来ていた。
結婚40年、日々を一緒に過ごす時間がこんなにも多いのは初めての事。
しかも、夫はどちらかというと寡黙なタイプ。

巡礼に対する思いが徐々に募る事となる。
2年間は、長いサラリーマン生活に対する感謝の気持ちを含め夫と旅をする事もあった。
又、毎年4月になるとゴルフトーナメント「マスターズ・オーガスタ」を観戦したいという夫の気持ちも解っていたので、整理整頓は苦手な私だがこれなら出来ると実現する。

巡礼に行くなら日程を気にしないで心行くまで歩いてみたい。
考えた末70日の日程を決める。
夫には何の相談もしなかった。
会話の少ない私達なので、この事を伝えるのに半年近くを要した。
但し夫が納得したのかは確認していない







巡礼”自分らしく生きる事”・・・・・65才記念巡礼終了

2012年06月26日 | Camino de santiago

6/19Mansilla~Leon~SantiagoComostela

サンテイアゴまでのバスは16時45分発です。
この日は昨夜遅かったので、私達も8時近くまで爆睡でした。
Linaが台所で働く音が聞こえたので、私達も起きる事にしました。
ブランチを終え、Linaから火曜日は市場が開かれているの聞き早速彼女のお買い物について行きました。

食料、衣類、日用品と3カ所くらいで夫々にぎやかに市が開かれていました。
スペインでは良く豆料理が出ますが沢山の種類の豆類が売られていました。
午後に入っても、TibiとLinaは慌てません。16時に出れば大丈夫よと買い物の後もお兄さんご夫婦と出会いお茶を頂きます。午後1時頃になるとペリグリーノ達が続々とMansillaに歩いて来ます。私達が巡礼を終えてまだ2日しか経っていないのですが、懐かしくなります。

午後3時、Linaが私達の為にスペイン料理を作ってくれて早めのDinnerが始まります。先ずヌードル入りスープ、豆料理、肉料理それからTibiお手製のフラン(これはプリンと殆ど変わりませんが、Tibiは頑固にフランと言います)でした。とにかく4時出発なのですが皆慌てません(笑)最後に記念撮影16時ちょっと過ぎに出発です。レオンの町はたまたまお祭りで予定の道路が閉鎖、それでも10分前に到着。そしてバスも出発が少し遅れていました。スペインらしい移動日です。

私は5年後に70才の記念巡礼でセビリアから銀の道を歩く事にしました。
その時Linaも一緒に歩く約束をしてくれました。
私達は、お互いスペイン語と日本語で良く2日間コミュニケーションが取れたものだと思います。私達も2ヶ月間の巡礼で多少スペイン語の雰囲気がつかめるようになっていたのと二人が息子のデビットの力を借りながら何とか英語を使おうとした努力があったからだと思います。

最後にLinaはこれから英語をもっと勉強して5年後までに頑張ると言ってくれました。私も、改めて5年後に再度巡礼に挑戦するのですからスペイン語を少しでも出来るようになりたいと思いました。

解っていた事ですが二人との別れは辛いものでした、5年後の再会とお互いの健康を祈ってお別れしました。北の道Norte,Primitivo,ポルトガルの道と望みの道の巡礼を終えた私はなんて幸せ者だろうと今回感じました。感謝の気持ちで一杯です。

セゴビアの休日(250キロ往復)

2012年06月23日 | Camino de santiago
6/18 セゴビア観光(250キロ往復)
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2ヶ月近く歩き続けて来た胃袋に体を動かさずご馳走だけを頂いていると消化せず、苦しくて朝食はパスしてしまった。

Linaがトルティージャなどお弁当を作り始めたので参加しました。
片道250キロに位置するセゴビアはTIBIが10歳から3年過ごした所だとか、お目当ての水道橋が見えて来ました。

水道橋をくぐり抜け、お土産屋さんやレストランの立ち並ぶ通りを楽しみカテドラルへ、敬虔なカトリックの2人には特別な所のようです。

ウォルトディズニーの母はここセゴビアの人で、ディズニーランドのお城はアルカサル・デ・セゴビアがモデルといわれている。
時間も大分すぎていて、私達は帰宅時間を心配して中の見学は辞退した。

その後は、数カ所を散策しましたが後から場所の名前を確してインターネットで検索するとセゴビア近辺の主要な所へ案内されていました。

実はその後が本番だったのです。再び水道橋に戻り夕陽に写る水道橋の影を見る為だったのです。

最後に、Pedraza という 1620年にタイムスリップしたような小さな村にいきました。
小さいけどホテル、カサ、それに洒落たレストラン,バルがある。
ここのマヨール広場は昔闘牛場だったそうだ。

レストランやバルの2階の出窓から闘牛見物をしたという事です。
ここで最後のお茶を楽しみMansillaへ戻ったのは12時を過ぎていました。

巡礼終了後→Santiago Compostela~Mansilla

2012年06月21日 | Camino de santiago
6/17 Santiago Compostela~Mansilla    2453(349)1.5k

巡礼終了後、5年前知り合ったTIBIとLinaの住む  Mansillaへ移動。スペインに来てから何度も電話を貰っていた。巡礼のみで予定の無い旅です。先の約束が難しい!

コンポステーラに着いてから電話すると繰り返すのみ。ノルテ:La Costa が終わりAとの別行動が始まる時、帰国日から逆算してMansilla訪問と2人の最終合流日を決定した。

Leon迄バスで6時間、途中カミーノのフランセをバスが走ります。沢山のペリグリーノが歩いていました。私達も昨日迄歩いていたのですが、5年前が思い出されます。

バスターミナルで2人が迎えに来てくれました。5年ぶりの再会でした。レオンから車で20分位です。彼らの住むMansillaは巡礼道にあります。町の中はペリグリーノであふれています。6年前に泊まったアルベルゲを覗いて見たり、町を散策して懐かしくなりました。

アルベルゲの周りにはバルやレストランが増えたようです。近年特にフランスの道は歩く人が増えたと聞いています。

昼食にLina手作りのパエリアが特に美味でした。夕方少し離れた町に眺めの美しい所に案内されその後ワイナリーへ案内されMansilla特有の料理をご馳走になりました。

明日はセゴビアへ行くと聞かされ、マドリッドに近いセゴビアに行くという事は何処かへ泊まるのだろうか?その翌日はサンティアゴに戻らなければいけない私達です。しかし、簡単に明日は早起きして日帰りすると聞かされ、帰りもバスに間に合うよう送ってくれるとの事だった。

2日間の休みを私達の為に取っていてくれたのです。それで何度も何時来るのかと電話をくれたのだと気がつきました。

2人の心つかいに感謝するばかりでした。