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巡礼(北の道)11日目・・・2012年4月29日part2

2012年11月30日 | 「北の道」巡礼

11日目(4月29日)Bilbao~メトロ~Portugalete~バス~Castoro 57k   part2

ミニャモおじさんお別れしてバスに乗り込むと,高校生達が大騒ぎ。どこかの海辺に行くようでテンションが上りきっていました。薬でもやっているのかしら????兎に角地元のおばさん数人は何度もたしなめたのですが彼らは鼻でせせら笑い,余計にエキサイトしたようでした。彼らが下車した後本当に頭の中からホットしました。

落ち着いてipodtuchを見るとこのバスwifiが流れていました。帰国後町に出かけてチョットネットをしようと思っても無料のwifiはありませんがスペインではコーヒー一杯で無料で使用で切る気楽さがありました。

海岸通りをバスが快適に進み、Casutroに到着。闘牛場の側が停留所でした。そしてその横にアルベルゲがあり本日の終点です。57k歩く所を一日で進んでしまいました。心残りはありますが、来てしまいました。2年後のリベンジをと今心に思っています。


 


巡礼(北の道)11日目・・・2012年4月29日

2012年11月26日 | 「北の道」巡礼

11日目(4月29日)Bilbao~メトロ~Portugalete~バス~Castoro 57k

 

イタリア三人組みのアドヴァイスを受け、私達もユースから80番のバスでバスターミナルで下車、メトロでポルトゲル迄。歩けば19.7k。

駅から地上へでる、はてどちらに行こう?後で解った事はそこから左方向へ行けば北の道だった。私達は右側海方面へ先ずは進む、Aの調べでは湾には橋がかけてありそこをゴンドラで渡るという、是非乗ってみたかった。

その前に,教会とインフォメーションへ行くことにする,もうすぐ10時なので当然開いていると思った。途中に屋外にある動く歩道,決して雨の降らない所ではないのに屋外にエレベーター、エスカレーターそれに動く歩道がある事に驚く。

10時を過ぎても教会もインフォメーションは開いていなかった。そのまま湾沿いを歩いて橋を渡る事にする。ここはちゃんと営業をしていた。

ゴンドラで向こう岸に渡り,さて北の道を歩こうと思うが矢印もホタテもない?聞けば今渡った方面だと教えられる。何故か私達は自分たちの居る所から何処でも歩けるという大きな勘違いをしていたようだ。再びゴンドラに乗り今来た所まで戻る。

当然のこと、私達は方向を見つける事が出来なかった。とりあえず歩き始めると前に小さなおじさんが私達に向かって,ニコニコしながらやって来る。彼こそヤコブ様のお使いミニャモおじさんだった。

「ペリグリーノかい?インフォメーションへは行った?カテドラルは?」私達は全部閉まっていた事を告げる。相変わらずニコニコしながらミニャモおじさんは、ついてくるように私達に告げる。用心深いAは乗り気では無かったが、他に方法が無かった私は思い切ってこのミニャモおじさんにかける事にする。”ミニャモ!私達はとことん貴方について行きます”と言葉の通じない彼に叫ぶ。彼はスペイン語オンリーだったが,何故か通じた。

インフォメーションは開いていた、係の女性とお互いたどたどしい英語でのやり取り。どうもこの時間から私達の望むアルベルゲまで歩く事は難しいらしい。バスをどうにか使ってもアルベルゲに泊まれるかも不明、問い合わせも不可。するとミニャモおじさんニコニコしながら、着いて来いとのこと。ついて行くと先ほどの教会,やはり開いていない。チョット待て!ミニャモは何処かへ消えて行った。数分後戻った彼は扉に向かい大声で何か叫ぶ、内から神父さんらしき人が出て来て私達はカテドラルの中へ。

ミニャモおじさん何者???カテドラルの中を案内して頂いたが、私達の心境は興味深く見ながらも何処かそれどころではない気持ち。時間がどんどん過ぎて行く。これからどうなるんだろうか??????

ミニャモおじさん又してもニコニコしながら,私達を外へ導く。町を歩くとたくさんの人々が彼に声を掛ける。なかなかの顔役のようだ,でも私達はどうなるの後ろからついて行く私の目に彼の手に5€札がしっかり握られているのが見える。これから教会に行く予定ではなかったのだろうか?私達とこんな事していて良いのかな???

先ほど歩いて来た通りを戻り、来た方向へ歩き始めバス停で止まる。気がつくと歩道にホタテのマーク。その時ここがcaminoでこの方向へ歩けば良かったのだしかしミニャモは待ってろという仕草。暫く待っている間に12時を過ぎる、何時迄もミニャモにつき合ってもらうのも悪いのでこのヘでありがとうと告げるがミニャモおじさんニコニコして待て待てと両手で静止する様子。

バスがやって来た,礼を告げて乗り込むと彼も一緒に乗り込む。握りしめていた5€で私達のバス代を支払ってくれた。えっえええそこから1時間車窓を楽しむ気分ではない。終点に着きミニャモおじさんと運転手さんの説明で”次ぎに来るバスで行き運転手さんの言う通りに下りればCastoroだからそこからcaminoを歩きなさい”と言われている様な気がした。

乗って来たバスはそこからUターンしてPortugaleteヘ向かうらしい。私達の乗るバスが来て彼は運転手さんに私達を託し帰宅して行った。まさしく彼はヤコブ様のお使いだったに違い無い。グラシア~ス!ミニャーモー!

 

 



 


巡礼「北の道」10日目・・・2012年4月28日

2012年11月24日 | 「北の道」巡礼

今日から、巡礼中にipod touchから記録していた内容と重複するかもしれませんが、写真はipod touchからアップ出来なかったのでこのまま進みますがご勘弁。

ビルバオの休日

ユースからグーゲンハイムまでは、バスNo.80→バスターミナル→トラムの順で直ぐ近くまで行く。トラムは自動販売機がある。うろうろしているとどなたかが必ず助け舟を出してくださいました。

遥か遠くに見える大きな建物がユース、目の前の坂道を下り道なりに行けば辿り着く

ビルバオに関しては何の知識も無く、ただ歴史ある大きな町という事で一日滞在する事にする。何がお勧めの場所?多くの人がグーテンハイムがお勧め。では行ってみる事にする。ここに関しての説明は「地球の歩き方/旅スケ」 http://tabisuke.arukikata.co.jp/mouth/42126/ が誠に的をえた説明をしてくださっているのでアクセスしては如何でしょうか?

正直言って、知識不足の私には良く解りませんでした。ただすご~いと驚くばかりでした。しかし、この建物のある所はビルバオでも中心地のようでインフォメーションが目の前にあり何処へ行くにも便利な所ではありました。一日中雨もあり良い骨休めでした。

館内でイタリア三人組に出会い,彼女達は連日の雨でぬかるみがかなりひどいので、ポルトガレまでメトロで行くという。インフォメーションでポルトガレまでのメトロでの行き方等教えてもらいました。カフェでお茶して、夕食の生ハムを買い,駅のステンドグラスは見事でした。

 



巡礼「北の道」9日目・・・2012年4月27日

2012年11月23日 | 「北の道」巡礼

9日目(4月27日)41,749歩28.4k:Gernika~Lezama~Bilbao

8時少し前に出発。町の標識に樫の木のイラスト。樫の木はGernika のシンボルなのだろう。

町を出て山道に入る。Aのペースは早く先に行ってもらう。

のんびり屋の私はうっかり標識を見逃したらしい。馬のお食事中に前を通り過ぎようとすると異常なまでの馬達の驚きように、ペリグリーノ達が毎日通過するのに慣れていないのかなあ?なんて考えながら進みます。その時に気がつくべきでした。その後、羊さん達も右往左往します。それでも気がつかない

下り坂です、”おかしいな?地図には登る一方なんだけど????”その辺で少し変だとは思いました。でもここまで来ちゃったしなんて思って坂道下っちゃいました。さすがに下り終わったら大きな道路に出てしまい、間違った事を自覚。それでも何とかならないか?と思案するもどうにもできない事をはっきり自覚。20分経っていました。戻るしか無い20分の下り坂です、元の道にもどって1時間のロスでした。Aに連絡してとても1時間のロスでは迷惑がかかるのでどんどん先に進んでもらう事に、宿も別になるのもしょうがないと思っていました。

巡礼路に戻り歩き始めました。Aが間違った私の為に手ぬぐいをかけてあるとの連絡に、貴重な手拭(彼女は何でも上等なものを持っている)誰かに持って行かれては大変と内心思いました。分かれ道にありました素敵な手拭が、やれやれ丁重に閉まってお返ししなくては、でもお陰で二股の道も迷う事無く進めました。今日もぬかるみが待っていました。それも半端じゃないぬかるみです。

巣鴨のGoroで誂えた靴,履き慣れるまでかなり時間がかかった靴でした。でもさすがです今回の巡礼では雨にも負けずぬかるみにも負けずの靴でした。ぬかるみ続きの毎日です、ドロドロで水たまりがあるとしゃぶしゃぶと洗います。他の巡礼者がそれを見て驚いたりおかしがったりです。それでも内にしみる事はありませんでした。

正当な巡礼路が雨で閉鎖になり、その半端でないぬかるみと格闘しながらの道を又間違えたらしくて森の中に迷い込んでしまいました。道路が見えたので壊れかけた有刺鉄線の間を縫いながら道路へ出ます。しかし右?左?どちらへ行けば良いのか?今来た方面ヘ向かって大声で怒鳴ります。”オーラ!Hola! Camino ! ペリグリーノ~”必死でした。すると上の方から”Hola~” やれ助かった

マドリードのサリア、アントニオとイタリア三人組、アントニオはGPS持参のペリグリーノだ。私の持つipodtuchの地図とてらし合いながら方向を探してくれた。元気なイタリアおばさん3人組そんな事待っていられないとさっさと歩き始める。方向が決まった時は何処かへ行ってしまっていた。しかも,我々が行く反対方向に行ってしまったのだ。

3人で歩き始める。バルセロナのトニーと出会った,間違っていない巡礼路の出口で出会う。そこから巡礼路に沿った637号線まで4人で歩く。彼らについて行くのは大変だった。何度も先に行ってくれるよう同行を辞退したが,彼らも何処を歩くか解らない日本のおばあさんを置いては行けなかったのだろう。本当に感謝感謝でした。



そこから一人でLezamaまで進みました。16時過ぎた頃Lezanaの標識が見えもうすぐ到着するという時にAからメールが入る。”今何処?””Lezamaに入ったよ、雨が降り出したから雨具を装着している所”

間もなくAと合流、彼女途中からデンマークのANNと知り合いずっと一緒だったとか。そんな事はさておきここのアルベルゲはシーズンオフで未だクローズ、しかもホテルも無いどうしよう

なるほどそれは困ったそれでここにはFEVEからBILBAO行きの電車があり今何人かのペリグリーノが待っているらしい。後で解った事だがイタリア3人組もそこに居たらしい。ANNの資料によると近くのバス停から2キロの所にホテルがあるらしい。

とりあえずそのバス停に行ってみようよ。話が決まり行ってみると塩梅良くバスが来たのでそれに乗る事になる。雨の降る中17時もとっくに過ぎ,見知らぬ土地でおばさん3人2キロを歩くのは止めよう!そのホテルだってあるかどうか解らないのだ。

バスはBILBAOまで行くそうだ2キロ先と言っても停留所の名前もホテルの名前も解らないのだから。1時間近くバスに乗っていた、ビルバオは縦に長い、地図を点検するとアルベルゲは町の端っこ,次の出発にはもってこいの場所ではないか。しかし、下りる所が解らない???私達より少し若いご夫人に聞くと彼女アルベルゲを知っていた。ああ神様!無神論者の私も思わず神に感謝しました。

しかし、11.2kのこの距離をバスで一気に通り過ぎてしまった。どんな道だったのだろう?2年後には是非リベンジしたい。

大きな川と橋のそばで降車して彼女バス停まで我々を導いてくれました。丁寧にアルベルゲまでの行き方を教えてくださいました。女神様の様な方でした。教えられたアルベルゲはユースホステル、ペリグリーノ料金で泊まる事になりました。ただし1泊分だけです。アルベルゲは原則1泊のみです。

食堂に行くと息子Kevinがいるこんな日に知り合いに会えるのは嬉しいことです。Kevinは息子と同い年で私が勝手にオランダの息子と思っております。


巡礼「北の道」8日目・・・2012年4月26日

2012年11月22日 | 「北の道」巡礼

8日目・・・2012年4月26日Gernika滞在

巡礼に出る前から、ピカソ作ゲルニカで有名なこの地に2泊したいと思っていた。

町には1937年4月26日のゲルニカ爆撃記録された平和文化をテーマにしたゲルニカ平和博物館があります。偶然私達が巡礼で歩きついて翌日がその日だったんです。

町を見学して午後一時から町のシアターでイベントがあるというので拝見する。

昨夜ご親切にも宿を紹介してくださった牧さんと渡辺さんのコラボレーション圧巻でした。

入り口には、地元のおじいさん達何を話しているんでしょう。

ヨーロッパを歩くと、この光景田舎の方へ行くと良く見かけますがこの方達チョットおしゃれですね。

バスク議事堂には天井に素晴らしいステンドグラスがあります。それは樫の樹の下に長老が集まる光景を描いたものです。300年前の樫の古木の方は枯れてしまっていて石柱に守られています。爆撃で被害を受け僅かに残る新芽を育て樫の木は代々植え替えられながら立っています。なんだか岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」と重なるものを感じます。


巡礼「北の道」7日目・・・2012年4月25日part2

2012年11月21日 | 「北の道」巡礼

4月25日44,647歩28.8k:Markina~Gernika ②

16時フランスおっちゃん3人組に出会う。左に行けば2kの距離、右の道は本来の巡礼道だと言う事だった。彼らも我らも迷う事無く右を選ぶ。

最後の下りは可成りハードだった。17時半Aが待っていてくれたGernikaの入り口に到着。

宿泊予定のユースは満員、仕方なく町へ向かう。明日Gerunikaでは「被爆記念」のイベントがあり、ホテルも満員の所ばかりだとの事。

途方に暮れていると、日本人の女性から声をかけられる。自分たちの泊まっているホテルに空きがあるかもしれないので聞いてみてはどうかとの事。彼女はヴァイオリニストの牧千恵子さんだった。

明日「被爆記念」のイベントに参加の為に、長崎被爆者の会の皆さんとGerunikaに滞在中。彼女はDeux Marchésというユニットをアコーディオン奏者Miyackこと渡辺美和子さんと組んでいる。明日Deux Marchésはイベント会場で演奏するとの事だった。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~belmusic/profile/profile.html

http://www.geocities.jp/miyack2/

本日歩き始めに一緒だったトビ君やラファエロ達が宿泊する隣のホテルで宿泊する事になった。ツインで46€一人23€。牧さん始め長崎被爆者の会の皆さんには本当に優しくして頂きました。

部屋に落ち着いた後、受付の青年のお勧めのレストランへ向かう。するとそこにJo&RonaldとKevinがレストランが開くまでのつなぎで入り口のBarで待ったいた。彼らは何処かで出会い仲良しになっていた。

再会とAの古希の祝いを兼ねて乾杯 彼らとは今でもfacebookで時々交流中

 


巡礼「北の道」7日目・・・2012年4月25日

2012年11月19日 | 「北の道」巡礼

4月25日44,647歩28.8k:Markina~Gernika

私の支度は相変わらず遅く、8時半過ぎの出発。

本日も厳しいぬかるみでロードを歩く事を進められる。

しかし、避けて歩けないぬかるみもあった。

スタート直後は、トビ君&オランダおっちゃん&フランスおっちゃん、ラファエロ、フランス組オーストラリア組と皆でにぎやかに歩き出す。しかし,彼らは早い、いつの間にか私達二人になり黙々と歩く。

昼頃にフランスおっちゃん3人組、オースオラリア熟女3人組と再会。

13時MUNITIBARでBar有り、中に入ると先を行った皆がいて盛り上がっていた。

彼らは歩くのも早く、楽しく食べて飲んでさっさと又歩き出す。凄いパワーです。

15時頃見つけた古そうな道しるべと何故かパンがそのままむき出しのまま入ったバケット(美味しそう)

なんだか良いですねえスペインって感じです。

ぬかるみを避けたアスファルトのロードは可成り私の膝にダメージを与えました。

 

 

 

 


年金暮らし・・・・つくば・北条を歩く

2012年11月14日 | 日常での自分のあり方

11月10日は25年も間続いているつくば市商工会主催の「「日本の道百選」を歩く会に参加。

昨年東日本大震災に続き今年5月に竜巻の被害にあったつくば市北条の町です。

この歩く会は北条の方々の温かい心を感じるイベントです。

毎年参加は出来ないのですが、今まで5,6回参加したでしょうか?

参加すると頂ける手ぬぐい、おにぎり、豚汁+筑波山神社近辺の温泉と楽しさが一杯です。

豚汁とおにぎりを頂く場所の寄付の箱でも置いて頂けると良いのにと感じました。

節約おたくの私今回は、食べるもの等は現地調達しようと出かけ、私に似合わないお買い物を沢山いたしました。

他の方に比べれば、購入数は少ないかもしれませんが少しでも北条へのささやかな気持ちでございます。

神社直前に茶屋が設置されていて、そこで見かけた葉っぱで作られた草履可愛いでしょう

旅仲間のMさんが時々訓練の為に筑波山を登っていると以前からお聞きしていました。

その時は是非誘って頂けるようお願いをしていました、イベントの翌々日に登るとの連絡に再び筑波山に向かいました。

8時45分から登り始めたのですが、出会う方々はシニアばかりでした。

ところが、御幸が原に到着すると子供連れがいっぱいです、あれ!今日は平日なのに?

今日は茨城県民の日だったのです。なるほどそれで下山する頃にはもう家族連れで混雑状態でした。

今の若いご両親は、本当に家族単位で過ごされていて良い事です。

今年命名されたという紫峰杉も拝見しました。詳細はhttp://www.ttca.jp/?p=5409

数日前に降った雨で石が滑り易く、膝の動きが当日は良く無かった私は何度か滑ってしまいました。

紅葉が少し遅いようですが、途中で見た赤い葉っぱに思わずパチリ

 


巡礼「北の道」6日目・・・2012年4月24日

2012年11月03日 | 「北の道」巡礼

来年の旅の計画を始めて何となくブログへの手が進みません。

カナダへ何処からは行って何処から帰国しようと思案していました。

でも今朝突然頭が回り始めました、やっと暗闇から抜け出した気分。

さあ!この調子で遥か4ヶ月前の記憶を手繰り寄せる事にします。

6日目(4月24日)44,644歩28.8k:Deba~Markina

昨夕から降り始めた雨は今朝になっても止まず、マーヤは何としてもMarkinaより先に行くと出発しました。

本日は標高500k近くまで上ったしかもかなりのぬかるみだった。

しかし、その雨も11時近くなると止んでくれた。

景色はいつも通り私達を優しい気持ちにさせてくれる。

雨の後の緑と青い空はは格別美しい!

 

ひょいと見上げるとビニール製の矢印、何処かで売っていたら買って行こう。

 

しかし、この一帯だけで先にはこの面白い矢印のビニールは無かった(ざんねん)

 


この美しさを糧に,歩く歩く

Markinaの麓に到着したのは,既に5時近かった。下りる時に矢印を見失っていたので辿り着いた時はホッとした。

それでもアルベルゲの位置が解らず,散歩中の主婦3人組に案内をしてもらい無事に到着。

夕飯の支度時間帯で大丈夫だろうかと取り越し苦労をしたものの、スペイン時間の夕飯は8~11時彼女らにとっては何の問題も無い時間だったらしい。それにしても我々にとっては感謝感謝でした。

元教会だったアルベルゲには昨夜知り合った、ドイツの青年トビ君が巡礼中に仲良くなったオランダとフランスのおっちゃん達とすっかりリラックス状態だった。

シャワーがチョットぬるかったが、ベッドはたっぷり余っていた。

ここは寄付、シャワーがぬるいので3ユーロにする。