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巡礼(北の道)23日目・・・2012年5月11日Part5

2013年01月30日 | 「北の道」巡礼

住宅街をBjarneについて歩きながら彼が私と1週間遅い誕生日だと解る。

団塊の世代の私達は何処へ行っても同級生に出会う。

少し早く感じるが彼はきっと私に合わせてスピードを緩めてくれてると思う。

レストランがあった、これ以上一緒に歩くと迷惑がかかると思いここからバスに乗る事を考える。

Gijonへ行く手段を尋ねる。するとそこに居合わせた二人の男性がGihonまで連れて行ってくれる事になった。

始め彼はバス停を確認してから出かけると言っていたのだが、2人の男性にしっかりと確認をしてくれて先へ進む。ここでワンちゃんともお別れです。

Gijonへ向かって走り始めて暫くすると、前方に見覚えのある後ろ姿!ニーナです!

私の友達なのというと、快く彼女ものせてくれた。ニーナはDevaのキャンプ地アルベルゲヘクラウディア達と落ち合う事になっているとの事、声をかけた事をとても喜んでくれた。Devaには直ぐ到着私もここに泊まりたかった。

でも、GijonにAが待っていると思うと・・・必ずしもGijonへ辿り着くとは限らないとは伝えてあったがやはり行った方が良いと私なりに判断。ニーナともここでお別れした。

Gihonのどこ?と聞かれて、Gihonのバス停なら何処でも良いからとお願いしました。あまり迷惑をかけたく無かったから、でもそれは大変な事だった。何しろGijonは大きな町、メールでホテルの名前を知らされていたのでそれを頼りに探す。しかし、その名前チョット違っていた。探す事2時間、以前も同じ事があったなあ~この時,もう二度と見知らぬ土地での待ち合わせは止めようと心に誓った。

大きな荷物を背負って探す姿はやはり誰にでも良く解るらしく、多くの方の親切を受けた。驚いた事に多くの方がスマートフォンで検索を始める事だった。凄いな~

最後は,前回と同じでAはタクシーで探しまわり再会となった。温かいベッド、温かいシャワー、洗濯物も乾き心地よく就寝

   

 


巡礼(北の道)23日目・・・2012年5月11日Part4

2013年01月29日 | 「北の道」巡礼

 13時13分いよいよ円錐の上り坂に入る、本当に円錐形をなす上り坂なのだろうか?

しかし、登り始め直ぐに急に速度が落ち休憩してしまった情けない

ストレッチを始めて早く再稼働をしなくてはとヨガを始める。

追い抜いたばかりの若者三人組がやって来た。

クラウディアはヨガをする私にカメラを向け同意を要求される。

もちろんOK・・・そう言えば彼女のメールアドレスを聞いていた,あの時の写真送ってもらいたいな。

なるべく早くメールする事にしよう。気を取り直して歩きを再会

14時52分ipodtuchに録音が残っていた。山に入ると3人の地元のおじさんに出会う。

この道が間違っていないかを確認すると、peonまであと2kとの事、自分を励ます。

おじさん達は良く仲間と歩いているらしく,Primitivoがとても良いコースだと話してくれた。

La Costaが終って歩くと伝えると「それは良い、Buen Camino」とお分かれする。

  

さて、登りが一段落すると、下方に町が見える

あれかな?もう町に出た気分だった。

下りが始まる、標識に従って歩くと目の前に犬が水浴びをしている。

私を見かけるとそのまま私の前を振り返りながら歩く。

数年前イギリスで同じ事があった、歩き仲間と山道に入り人懐っこい犬が何処までも私達に着いてくる。

途中道が解らなくなりその犬に従って歩くと、目的地に出た事があった。

この犬もそうなのか?いや違っていたらどうしよう?

犬と1時間程さまよってしまった。この犬はただ私に付いて来ただけだった。

戻ろう、解らなくなったら元に戻るのが一番と今来た道を戻る事にする。

30分程戻るとデンマークのBjarneにで会う。彼も違う所で迷ったとの事だった。

この道で間違いなかったらしく、彼について行く事にする・

チョットした間違いだった、最後の所で右に行く所を左に行ったのだった。

    

住宅街に出た、あ~あ良かった。

「この犬は君の?」彼からも,通りか方地元の方にも聞かれた。

事情を話私の犬ではない事を告げるが,このワンちゃん私から離れない。

情が沸くのを必死に思いとどまる。

元々動物は嫌いではない,でも私は旅人無理だ

 


巡礼(北の道)23日目・・・2012年5月11日Part3

2013年01月26日 | 「北の道」巡礼

12時丁度にPrimitivoとLa Costaの標識があるCasquitaに到着した時は感激だった。

ここからいよいよ円錐形の坂道に入るのだが、下記の二つの地図をご覧頂きたい。

先ず方向だが一つは右からもう一つは左から見て頂きたい。

どちらが正確な高低図なのだろう。ドイツの青年アミルは円錐形の坂を膝の悪い彼は上れそうも無いのでバスでパスをすると言っていた。私はどうしてもあの分かれ道を確認したかった。

12時半円錐形の山を10k,気持ちを引き締め歩くがあっという間になだらかな坂道になる。これもスペイン風?と思っていた。しかし、その時私はまだ円錐形の所まで辿り着いていなかった。一息つき持ち歩いていた赤い大きなパプリカをかじりつく。歩き始めると、朝私達を追い越して行ったクラウディア、ニーナ、デビッドの三人休憩中にで会う。お先に~失礼~と追い抜くが、本当の円錐形の坂に入り休憩しながらヨガをやっている所に彼らがやって来た。

クラウディア私のヨガをパチリ、そうだまだ彼女にメールをしていない確か書いてくれたからそのうち送ってみなくてはあの時の写真も送って欲しいな瞬く間に又追い抜かれてしまった。

高速道路の下をくぐった後が円錐形だった。

    

 

 

 

 

 


巡礼(北の道)23日目・・・2012年5月11日Part2

2013年01月25日 | 「北の道」巡礼

Villaviciosaのカフェで休養を終え、Aはバス停へ私は矢印に沿って歩き出す。

しかし、直ぐに矢印が無くなる。大きな町は直ぐに矢印が消える,しかも通りすがりの人に聞いても知らない人が多い。都会は苦手だなあ~どうも道を間違っている気がする。平成4年長距離歩きの始まり東海道53次を歩いているときもそうだった。

違う道を歩いていると何となく変なのだ、体中で「違う!違う!」と何処からか聞こえてくるのです

インフォメーションの標識を見つけて,引きえす事にする。見覚えのある顔がチラホラ。

係の女性は一人、スペイン語オンリーで捗らない。

英語の出来るペリグリーノがいて助かる。何とか道を聞き出し、歩き始める。

AMANDIのホテルの立て札、何処かで聞いた名前???そうだ地図上にある町名。

俄然元気がでる、本当に私ってファジーだな?

私も含めて数名が前後になりながら歩き出す。

丁度お昼、昼食組がレストランに吸い込まれて行く。

10時半にカフェでスイーツを食して私は先へ進む。

 

フランスのおっちゃん一人旅のようでお互い片言の英語でお互いの情報交換をしていたが彼は早い。

一杯の矢印嬉しいな~ そこへ車が停まる、"Buen Camaino"飴を頂く”えっ何?・・・グラシアス”

  

丁度12時、ここでプリミテイーボとLaCostaの分かれ道の位置に遭遇。

La Costaを歩き終えたら,又来るからね。”Hasta la vista. (また会いましょう)”

 



巡礼(北の道)23日目・・・2012年5月11日

2013年01月25日 | 「北の道」巡礼

23日目(5月11日) 46,393歩31.8k : sebraya~Villaviciosa~El Curbiello~Gijon(ヒホン)

いつもの事だが、スピードのある若者より私達は1時間は出発時間が早い。

皆に見送られながら8時に出発。出発間もなく面白い宿り木がある。まだこんな写真を撮る余裕が私達にあった。

   

昨夜クラウディアとニーナが私達のベッドへそっとやって来て,VillaviciosaにはバスがあるからそこまでAの荷物を持ってくれるというのだ。本当に優しい娘達、気持ちだけ受け取り明日は頑張ってVillaviciosaまで歩く事を約束する。

滑り出しは順調だ、しかしそんな私達にcaminoは甘く無い。

30分程歩くと、巡礼の始まりに充分経験したぬかるみだった、負けないゾ~

出発から約1時間,もう若者達は私達に追いつき追い越す、“Buen Camino"

  

その後、私達より少しお姉さんらしい女性が来る。

チーズを買いに3k先までお使いに歩いて行って来たという。

何だか、ゆっくりとした生活”スローフード”そんな生活に憧れます。

いろんな欲を捨てれば私も出来るかもしれないけど,煩悩を捨てきれません。

10時半Villaviciosaに到着、素敵なカフェで休憩。

AはここからGijonまでバスで進みます。

 

 

 


巡礼(北の道)22日目・・・2012年5月10日

2013年01月21日 | 「北の道」巡礼

22日目(5月10日) 25,994歩17.4k : La Isla~sebraya

 昨夜というより今朝若者達はベッドインだったらしい。

ドイツのおばちゃんしっかりと見届けていて今朝大騒ぎだったと私にささやく。

睡眠不足でもきっと私達を追い抜いて行くのだろう。

私だって二十歳の頃休みに会社の海水浴場の寮に出かけ、早朝駅から出勤なんて事もあったな~

アルベルゲを出ると直ぐに平に矢印が、ありがとう探す事も無く進みます。

歩き出して直ぐにA体調不良バスに乗りたいようだが、バス停は遠く頑張るしかない。

1時間後Colungaに到着、結構大きな町。しかし、まだ町は目覚めたばかりだった。

ここにhiromiちゃんのHPに美味しいパン屋があると書いてあったとAはなんとしても買いたい様子。

さすがグルメのAさん、体調不良も何のその食に関しての執念には脱帽!あの元気さは食にありでね。

町を出て直ぐ,もうバルは無い事が解り道路の側で手持ちの甘いものを食す。

いつでも何処でも食べ時が来ると敷物を敷いて食べてしまう私の流儀。

でもお行儀の悪いこんな食べ方Aは余り好まないのだがそんな事言っている場合ではない。

休憩中ヴォイツコフツカ夫妻、Anna、Lisa,トビ君達が声をかけて行く”Buen camino!"

景色は緑豊かな山の中、昼近くなり上り坂を前にしてAは限界になった。

昼でもあるし、乏しい私の知識を全部だし彼女にマッサージをしたり彼女自身にストレッチを示唆。

デビットが通りかかる、「大丈夫少し休んでいるだけ」皆優しい自分たちも大きな荷物を背負っているのに。

ここは踏ん張りどころと、又歩き出す。住宅街にスペイン風のタイルのイス・・・

その後は記憶が無い写真も無いた,兎に角歩く。

  

車内杖が見える車が通り過ぎた、ペリグリーノが乗っているらしいと思っていたら目の前で止まる。

車の中から何とクラウディアとニーナ、誠にバツが悪そうに降りてくる。

私達だってパトカーで送ってもらった事もありましたよ。

その道から左手にcaminoの道が有、アルベルゲまで30分の標識。

なるほどもうすぐなんだ、その車でバス停ヘ考えないでも無かった。

しかし、どうも地図から行くとその先のバスがCaminoの道に繋がっているとは考えられなかった。

Aを励まして30分歩く事にする。

クラウディアとニーナは手伝う事を申し出てくれたが、彼女らの荷物は半端な大きさでは無い。

先に行き私達のベッドの確保をお願いする。30分程歩いた後私はAにここで休憩を取る事を進める。

その間急いでアルベルゲまで先に行き様子を見る事を思いつく。

15分程歩くとアルベルゲ、皆がいてまだホスピタリティが来ていなかった。

荷物を降ろし、引き返そうとするとニーナが一緒に来てくれた。

頑張りやのAが歩いて来ている、直ぐにニーナが彼女の荷物を抱えてくれた。

Aは遠慮するがこんな時は甘えても良いんじゃない?との私達の言葉を素直に受けてくれた。

15時少し前に到着。ホスピタリティが来て後はいつもの作業だ。

  

カンカンのお天道様がまだ存在、そうだ寝袋を干そう!若者にも声をかけ皆で寝袋干しが始まる。

もうヨーロッパは夏時間、10時頃まで陽が落ちない。

食料を売りに車がやってくる、シェフのニーナに食材は私達が買うから今日のデイナーをお願いする。

  

ヨーロッパのお天気は気まぐれ!あんなにお天気だったのに急に雨も、慌てて洗濯物を取り入れる。

でもその後は又お天気になり虹の贈り物、食事が終わりまだ外は明るい。

昨日と違って今日は近くにレストランも無く皆で談笑、何カ国のペリグリーノ達だったのだろう?

 

 

 

 

 

 

 


年金暮らし・・・・エコな生活・・充電式電池が使えない!!!

2013年01月19日 | 年金暮らし

巡礼の記録を数日していない、コラム(http://www.tsukubamon.jp/column/burari)に追いつきそうなのだ.

コラムに書けなかった記録の補助としたいと思っているが、そのコラムのチョット進まないでいる。

寒いせいかも?いやチョット家事が溜まっているからだろう・・・多分。

超節約お宅の私もこの寒さにウオッシュレットの座椅子を温かくしました。

ところがチョット温度を下げたいと思い調節したのですが動かない

いろいろやってみるけど出来ない。。。困った

仕様書を何度も探しても駄目なのでとうとうTOTOさんに電話しました

我が家は随分前から電池は充電式に変えています。

原因はそれだったのです、お答えに充電式の電池はリモコンの不具合に繋がるとのお返事。

我が家には,普通の電池等無いそれでもそう言えば何かに付いて来た様な???

遠い記憶を辿り、探してみました。

ありました、早速変えてみると正解でした。

でも!変ですよねこのエコな時代にそんな事・・・・そう思いませんか?


巡礼(北の道)21日目・・・2012年5月9日part2

2013年01月14日 | 「北の道」巡礼

本日私の足の調子が良く、Aとずっと一緒に歩いている。と思ったらAの調子が悪くRibodeselaからバスで進みたいとの事。infoでバスの情報を聞くが、直ぐには無いとの事。

バス停のマップを頂き先へ進むがなかなか私達が望む時間にならない。結局13時半頃5k地点のSan Estebanまで歩く。110 標高までの上り坂を体調の悪いAは良く頑張りました。

そこには体育館の様なアルベルゲ有り、バス停も合った。アルベルゲは閉まっていたが、バスを待っている間にホスピタリティがやって来た。ここに泊まろうと提案したが、Aは気が進まないようで丁度来たバスに乗り込む11kのカット。

 

何とバスにはクラウディア、ニーナ、デビッドの3人が乗っていた。

朝寝坊をしてバスに乗ったとか、お陰でIslaに到着してから私達は労せずしてアルベルゲに到着。

チェックイン時に日付に5/9と書くと、9月じゃないよという9/5だったのだ。

国が違うとチョットした違いがあるものだ。

ベッドを確保、シャワーを浴びて洗濯を済ませた頃、続々と顔見知りがやって来ました。

Debaで知り合ったトビアス(以後はトビ君)、ビルバオで知り合い時々一緒だったドイツ女性の2人組。

ヴォイツコフツカ夫妻、Anna、Lisa、ファミリアも来る。

Islaではちょっぴり先輩の私達、チェックインの場所まで案内する。

その後一つしか無いレストランに全員集合で、盛り上がり夜が更けた。

     

若者は完食大分ワインが利いているようです。最後に記念撮影。

 

この後若者は海の方へ繰り出して行きます。

私は、乾かなかった洗濯物をカーテン代わりに就寝zzzz





巡礼(北の道)21日目・・・2012年5月9日

2013年01月13日 | 「北の道」巡礼

21日目(5月9日) 30,156歩24.6k : Piñeres de Pria ~La Isla

 

午前8時心地よいアルベルゲに別れを告げ歩きます。牧歌的な景色が1時間程続きます。

  

 1時間位歩くと、(Habitacion)(Hay Camas部屋空いてます)の看板が続く。

私達より先に行ったペリグリーノ達が泊まったかな~?

  

 この日は線路を2回も超えました。「良いのかな~?」と何時も言いながら結構面楽しんでいます。

日本ではあり得ない経験です。再び昨夜の雨が水たまりになっています。もうこれくらいでは驚かない

      

3時間ほど歩いてにぎやかな港Ribadesellaに到着、約10kを歩く。

お祭り気分で店を見学後、出店で食材を購入ごベンチでランチ!

    

私達の前のベンチでは、お散歩途中の休憩でしょうか?

ホノボノといった感じです。


 



巡礼(北の道)20日目・・・2012年5月8日Part2

2013年01月11日 | 「北の道」巡礼

私営のアルベルゲLa Llosa de Cosmeに入って行くと既に、ヴォイツコフツカ夫妻とAnna、Lisa、ドイツのおっちゃんがいるドイツのおっちゃん『ファミリア!」と叫び歓迎してくれた。本当に我が家に戻った喜びだった。

彼らの部屋には2段ベッドが3台、空きベッドはひとつしか無かった。オーナーは出かけていた。母屋の横に倉庫を改良した部屋があり,多分大丈夫との事だった。

 

倉庫を改良して作られたロフトにマットが4つ敷く事が出来るスペースだった。階下にはシャワー、台所、テーブルがあり快適だった。Aは奥が良いというので私はトイレも近いので出口側のマットの上に寝袋を用意する。

シャワーもそこそこに、Ewaがパスタを作ったので皆でパーテイしようと呼びに来てくれる、ポーランドスタイル?兎に角赤ワインtパスタで再会の乾杯 BuenCamino

帰宅したオーナーは可愛い二人の女の子の美人ママだった。彼女は日本人に好意を持ってくれていて親切に対応してくださった又,自炊の為の食材も用意してくれた。洗濯もしてくれ、丁度雨が降り出したので乾燥もしてくれて大助かりでした。これで本日の宿泊代は10€安い!

ママは忙しく,買い物から帰宅後私達の対応に追われて間もなく子供達を迎えに出かけてしまった。すれ違うように、Llanesで知り合ったクラウディアが雨の中やって来た。後からニーナとデーヴィットも来るという。思わず顔見知りの到来に喜ぶ私達。

しかし、クラウディアは奥のマットに決めて良いかと私に問いかける。私は構わないけどAは奥が良いと言っていたから私の一存では答えられないと伝える。彼女それでも、「貴方達は早く出発するでしょ、私達は出発が遅いから奥の方が良いと思う」自分の主張をはっきりという彼女に「解ったわ、一応Aに伝える事にする」と返事をする。Aに伝える、始めに場所を決めたのは私達よ!と彼女の気持ちも解るがクラウディアの言った理由を話す。Aも「そう言われればそうね」と納得する。

クラウディアはなかなかのしっかり者で用心深い。私がブログを書いていて貴方の写真も載せたいの良いかしら?というとどういう風に私の写真を載せるの?まあ私のブログ等たいした事ではないのだが,そう聞かれると返事に困り説明するのに骨が折れた。

雨の中二人も到着、ロフトにはニーナも含めて女性だけが寝る事にした。一つ開いていたベッドを使ってもらう事にした。シェフのニーナは台所にある食材を使い、チョットした料理をしてします。それが結構美味しいのだ、料理好きのAはすっかりニーナの料理に感服してフアンになったようだ。

デーヴィットはErnesto神父のアルベルゲで、リブロという夕食前の話し合いを英語からドイツ語に通訳していた青年。秋から薬剤師としてインターンになる青年だった。3人とも節度のある若者達だった。

  

多くのドイツ人は食料を必ず持って歩く、特にシェフのニーナのリュックは超重いリュックだった。若いけど身体中コリコリだというので,日頃覚えたヨガを指導する事になった、若いからだろうか三角のポーズも直ぐに習得。