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ハイテクばあちゃん…銀の道Plata6月4日(水)巡礼43日目Part2

2016年06月22日 | 巡礼銀の道

Santiago滞在・・・K到着②

皆を見送って、正面から駅を見直す。

さて気をとりなおして、カテドラルへ向かう。

Kからメールを受け取る、昨日私たちが歩いてきた道なので時間が読み易い。

30分くらいでは到着するだろうが、Kの体調も心配なので約1時間弱前から待ってみる。

その日は寒かった、それでも普通に歩けば必ず通るところで待つことになった。

1時間経ったときは、私たちも少し早く来すぎたのかもしれない。

30分待1時間どうしたんだろうもう到着しても良い時間なのだが

さらに30分風の通り道で寒い何かあったのだろうか?

今度は心配になってきた。

ただ待つのも時間がもったいないと、以前Kと一緒に郵送した荷物を受け取りに行くことにする。

Sを置いてとりあえず郵便局へ、荷物を受け取り戻るとまだ来ていない

だんだん心配になってきた。

1時を過ぎ、道を間違えるとカテドラルは後ろ側からも来ることができるので周りを探してみることにした。

しかし、約束はカテドラル前なのでSにはカテドラル前近辺に居てもらう。

まずオフィス近辺に行ってみると、ミサが終わったばかりで巡礼者がどんどん出てきた。

なんとそこからKが出てきた。

私は声も出ないくらい驚いた

彼女はドイツの女性二人と来てミサが始まったのでそのまま入って運良くボタフメイロを見たとのこと。

私はあまり腹を立てるたちではないが、無性に怒りを覚えた。

とりあえずそれは良かったと、Sにメールで連絡。

合流して、巡礼の登録をするために事務所に行くことになった。

待っている間も私の心は納得が行かなかった。

寒空の2時間はなんだったのだろうか?

チョットメールをしてくれてたら

Kはご機嫌でせっかくだからカテドラルの前で記念撮影をしようと私たちを促す。

歩き終えて彼女はご機嫌だった

また最後の2日間をKとご一緒してくれたドイツ人のお二人も一緒だった。

私はお礼の意味もかねて二人に昼食をご一緒にと誘う。

私たちも空腹だった、巡礼者同士昼食は和やかに進んだ。

お互い到着を祝い、お別れした。

3人で神学校まで行き、とりあえず荷物をおろし落ち着いた。

でも私の心の中には割り切れないものがあった。

私たちが寒空の中彼女を2時間以上も待ったことを話した。

ただそのあと、彼女が耳元でそっと囁いた。

burariさん私チョット体の調子(内容は詳しく申し上げれない)が良くないの。

私は怒りも吹っ飛び、すぐに医者に行くことを進めた。

ずいぶん前かららしかった、相変わらず医者に行くのを嫌がった。

それでも強引に夕方医者に行く。

結果は思わしくなく、あと3週間日程が残っていたが彼女は帰国することになる。

20年前からスペインではお世話になっているOさんに連絡してお世話になる。

彼は日本のTV関係と番組コーデイネータなどしてスペインで活躍中。

日本とスペインを行ったり来たり大忙しだった。

数時間開けてくれて、マドリッドから彼女は無事帰国。

Sと私はその後ムシア経由でフィニステーラまで歩くことになる。

 


ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月4日(水)巡礼43日目

2016年06月21日 | 巡礼銀の道

Santiago滞在・・・K到着

昨日私たちが到着したのは11時半ごろ、多分Kもその頃につくだろう。

私たちは午前中にSantiago駅を下見をすることにした。

宿にしている神学校はベッドがフラットで居心地が良い。

見晴らしの良い小高い丘の上、ということはここへたどり着く時には毎度坂を登らなくてはならない。

駅は街とは反対方向だった。

Santiagoは都会だ、旧市街を出ると車の往来が激しい。

少し歩くと駅舎が見えてきた。

ここからレオンやマドリッドまで行ける。

ヨーロッパの駅は皆そうだが、改札がない。

車内でも切符は購入できるが多分割高になると思う。

私たち高齢者は6ユーロで一年間有効な4割割引のチケットが買える証明書のようなものがもらえる。

ホームに行くと歩き終わった巡礼者がいた。

なんと見覚えのある顔。

私が一晩中咳をして迷惑をかけたあのフランス人ご夫婦がいる。

また速やかに早朝出発をしたあのご夫婦もいた。

お互い歩き終わったことを祝いながら、ハグをして喜び合った。

皆が去った後の駅は閑散として、外の花が植えられていたことに気がつく。

余談だが、実は私たちがご夫婦と思った彼らはそれぞれの家庭に戻って行った。

なんて素敵なご夫婦達と関心していたのだが、彼らは涙を流しながらお別れをしていた。

私たちはだた呆然とその光景を見ながら頭の中がなかなか整理できなかった。

そして彼らは何事もなかったように私たちと改めて別れのハグをした去って行った。

はて???あれはなんだったんだろう???夢?

私たちの世界にはないものを垣間見た数分の出来事だった。

 

 


ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月3日(火)巡礼41日目 Part3

2016年06月07日 | 巡礼銀の道

Onteiro~Santiago de Compostela 16.3k 標高295~255③

さてKのことだが、メールが入り明日Santiagoに到着するという。

はて、SとKがこちらへたどり着くのは3、4日後になるだろう。

しっかり体調を立て直すにはそれくらいと思っていた。

ところがスペイン人の二人おお兄さんとおじさんの情報ではすぐ近くに迫っているとのことだった。

どうした物かと連絡街の状態だった。

明日の到着

それならばと、本日歩いてきた道のりなのでカテドラルに到着時間が大体読める。

そこで約30分くらいかかる地点を伝え、カテドラルの前で到着を待つことにした。

その旨、メールをする。

美味しいタコは後回し、アルベルゲには2泊予約を入れることにした。



ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月3日(火)巡礼41日目 Part2

2016年06月05日 | 巡礼銀の道

Onteiro~Santiago de Compostela 16.3k 標高295~255②

2年前もボタフメイロを見ることができた。

10年前は何度ミサに出ても出会うことができなかった。

今回は特別な日に運良くSantiagoに到着した。

Santiagoに教会の偉い方々がお見えになっているとか。

それでパラドール のペリグリーノ10名がいただける食事の機会が今回だけは中止になっていた。

初めての巡礼参加でこの儀式が見れるSはなんて運が良いのだろうか?

きっと「なんで私はこんな風にあるいているのだろうか?」とずっと思いながら歩いていた彼女にご褒美がでたのかも?

よかったよかった。

ミサの儀式が終わり興奮気味だった私たちも1時を過ぎて改めてカテドラルの前に行き記念撮影。

今回カテドラルは修復中だった。

観光地にある首だけだしての物を発見、日本と違い有料が多いのでこっそりそれだけ撮影。

ケバブの昼食が大当たりだった。

Santiagoの宿は神学校が提供するアルベルゲに決定。

12ユーロと今までの倍の料金だが、Santiagoはホテルが多くここでも安い方だった。

高台にあり眺めがよかった。

またベッドもフラットで広々としていた。

 

 

 


ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月3日(火)巡礼41日目

2016年05月29日 | 巡礼銀の道

サンチャゴを目前にしていろいろあり一ヶ月以上経ってしまいました。

訪問してくださった方々申し訳ありませんでした。

巡礼の道を歩くことは私のライフワークです。

この記録を続けて、これからも歩いていきたいと思っています。

体調がいまいちで、来年の70歳の記念に歩けるのだろうかという不安があります。

そのプレとして、10日間の短期の旅をしてきました。

ちょっと不安もありますが、4ヶ月以上の筋トレに励んでいます。

体力を回復して来年Caminoを歩こうと準備しています。

⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐

Onteiro~Santiago de Compostela 16.3k 標高295~255

本日はいよいよSantiago到着する。

午前6時45分アルベルゲを出発。

朝食らしい食料は何も持たず、約4k地点にバルあり。

Sはそこで携帯に充電しながらゆっくりと朝食をとる。

16k強の距離で終わると思うと少々のアップダウンも気にならない。

Santiagoが近いせいか、住宅にもホタテやCaminoの印が目立つ。

気持ちがワクワクする。

10時半、いよいよ終点が近くなる。

電気メーターまでCamino一色なのだ。

Santiagoの街が見えてきた。

ペリグリーの到着を祝ってくれているのだろう、お祭りのような旗がなびく。

勧化されている気分。

 11時半、Santiagoに到着直後日本のツアー客から本日ボタフメイロがあることを教えていただく。

なんて運の良いときに、まずは到着の手続きをと事務局に到着。

もし始まったらどうしよう?でも到着の手続きをしたほうが良いかも?

迷うが多分間に合うと信じて手続きに向かう。

 

間に合うようだ、急ぎ教会へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月2日(月)巡礼40日目 Part2

2016年04月14日 | 巡礼銀の道

Silleda ~Onteiro 23.8k 標高490~295 ~Onteiro 23.8k 標高490~295②

二人を見送り、レストランに入ると顔なじみが食事をしていた。

私たちもたっぷり昼食を取り1時間を過ごす。

Kの話になり、日数は充分あるのでゆっくり静養して元気なK担っていると良いね。

私たちよりも4日位は遅いと思った

私は食べることが大好きなSに美味しい蛸を食べる提案をする。

フランスの道の終盤にMelideというところがある。

以前そこで食べた茹蛸が美味しかったのでKを待っている間に食べに行こうと相談事が決定。

レストランをでて約1時間、山の中の一軒家がアルベルゲだった。

近くを見渡しても何もない?昼食をたっぷり食べていて良かった

中に入ると、あのオーストラリアのファミリーとまたご一緒です。

よろしくね

 暫くしてホスピタリティーがやってくる。

デスクの上の方に何やらメニューらしき物?

どうも注文で夕食を用意してくれるらしい。

しかし、その時は何やらさっぱり解らなかった

それに昼食をたっぷり食べていたので食べることに関心がわかず注文もしなかった。

就寝までに少々空腹感を感じていたが大した問題ではなかった。

 

ベッドも良かった、明日はいよいよゴールのSantiago に到着予定。

そこへ賑やかなスペイン人の二人(中年おおじさんと運動グッヅのオタクらしい青年)

私たち二人を見るなり、昨日日本の女性に会ったというのだ。

どうもKの話をしているようだ。

「えどこでであったの?」私たちが泊まったCastro Dozonで一緒だったというのだ。

もうそんなところにきている??信じられない?体を休めていないのだろうか?

あの体でもうCastro Dozonにいたなんて

もちろん、私たちのタコの予定は中止することになる。 

何が何やらさっぱり解らないまま就寝

後で聞いた話では、せっかく一緒にきたのだから3人でコンポルテーラにゴールインしたかったのだそうだ。

 

 


ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月2日(月)巡礼40日目

2016年04月12日 | 巡礼銀の道

Silleda ~Onteiro 23.8k 標高490~295

Castro Dozonのアルベルゲで良いホステルだとこのチラシを手にした時は半信半疑だった。

少し考えるから後でというとオーナー夕方にはここに来る事はできないとの事だった。

なるほど宿をレストランが暇な時間に車で駆けつけたのだ。

 

洗濯物は乾かなかったが、まあまあの宿だった。

朝食を済ませ8時に出発。

矢印がたくさんある、幸先は良い。

もうすぐ終点のSantiagoまで二日を残す。

出発地点Silledaから5.5k軽い上り坂を1時間半かかり歩く。

道は昨日同様緑が多いコースで気持ちが良い。

そんな中カルテラも多く左膝の痛みが辛いかった。

14時に成ろうとしていた、Puente Ullaの町に入った。

アップダウンを重ねながら19kを下ってきた。

空腹でフラフラだった、橋を渡った所にレストラン。

地獄に仏だった。

たとえ到着が遅くなっても良い、何かを食べよう。

 

なんと、レストランの前のテーブルにオランダの青年とフランスのおっちゃんが今から発とうとしていた。

なんだか顔見知りに会うのは嬉しいものだ。

彼らは今日中にサンチャゴに到着予定だそうだ。

元気だなあ、やっぱりヨーロッパの男性は体力があります。

フランスのおっちゃん、お別れに持っていたバケットを半分にしてプレゼントしてくれた。

僕はもう今日で終わりだから一本は多いんだよと

もう彼らとは会う事もないだろう、いろいろありがとう

オランダの青年も初めてあった時より数段たくましたくなっていた。

あの頃は、初めて親から離れたばかりの坊やだったのに

Buen Camino

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月1日(日)巡礼39日目 Part4

2016年04月11日 | 巡礼銀の道

Castro Dozon~Silleda 28.1k 標高750~490④

Castro Dozonで一緒になったオーストラリアの大家族。

次男坊の奥さんはアジア人らしい女性、彼らには肌の色などはなんの意味もないようだ。

日本人である私たちにも自然に接してくれる。

もっとも巡礼ではあまり人種的差別は受けた事がない。

夕飯をこのレストランで隣同士の席でご一緒だった。

最初のスープが少し塩っぱかったがそれ以外は大当たりのメニューだった。

もともとアルコールに弱いSだったが、料理の美味しさにワインを過ごしたようでかなり盛り上がってしまった。

隣のファミリーもびっくり、翌朝「今日も彼女はワインを飲むのかしら?」とファミリーの奥様がジョーク。

彼女の楽しい良い方はかなり受けたようだった。

久しぶりのホテルでゆっくりできたが、洗濯ものが乾かなくて弱った。


ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月1日(日)巡礼39日目 Part3

2016年04月05日 | 巡礼銀の道

Castro Dozon~Silleda 28.1k 標高750~490③

天気がよく、通りで洗濯を干している女性がいた。

スペイン特有の干し方だといつも思いながら通り過ぎる。

今日は干している人がいるのでつい声をかけてしまった。

「これってスペイン風?」

女性は戸惑った感じだったが、いつもこうやっていると答えてくれた。

結婚した頃、夫の実家に行くと兄嫁がこんな風に干していたのを思い出した。

私は限られたスペースのなるべく早く乾くように工夫しながら干すのが大好き。

でもこれだけスペースがあればそんなことは考えないかも?

地元の方となんでもないことで、完全に言葉が通じなくてもこのような交流が私の旅の楽しみ。

525号線に沿って歩いていく、14時半アルベルゲ近辺でDeza川らしき川を見たが目の前に大きな橋がそびえ立つ。

そのまま歩くと土橋があった、歴史が感じられる橋加えて文字の書かれた石。

残念ながら詳細はわからず、銀の道はローマ時代の物が多かったからこれもそうかな?

気分はローマ時代、そろそろ今日の終点Silledaの街に到着のようだった。

 

街に到着したがシエスタタイム、街は死んだように静かだった。

おまけに今日は日曜日♪日曜はダメよ♪昔こんな歌が有りましたよねえ。

スペインの方にはシエスタは大切な時間らしい。

散歩中のご夫妻に出会い、昨日予約したホテルまで案内をしていただいた。

どの国に行っても、街の方々は親切です。

4年後の東京オリンピックには私もどこかで笑顔で迎えてあげたいと思っています。

カウンターに行くとなんとそこには昨日このホテルの営業をしていたおっちゃんでした。

オーナーだったんですねえ。

 

 

 

 

 

 

ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月1日(日)巡礼39日目 Part2

2016年04月04日 | 巡礼銀の道

Castro Dozon~Silleda 28.1k 標高750~490②

前日登った分、今日は下る。

12.9k地点まで来るとアルベルゲ有り、誰もいる気配はない。

入り口も閉まっていた。

時間的にも距離的にもここで開くのを待つ気持ちにはならなかった。

それでもKならここで泊まった方が体に優しいからきっとここに泊まるだろう。

そうだと良いなあ、ゆっくり体を休めてほしいから。

私たちは先を急ぐ、下りで膝を用心しなければと思いながら歩く。