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ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月15日22日目Part3

2015年07月26日 | 巡礼銀の道

San Pedro de Rozados~Salamanca 23.4k 標高980~800③

ずいぶん間が空いてしまいました。

この間に日本国中熱波の嵐です。

九州の盆地に位置して滅茶滅茶暑い熊本ですが、それを超えているかもしてない。

そして、私は68才になりました。

今年は旅でお知り合いになった方々から多くのメッセージをいただきました。

さて、Saramancaに到着した私たち。

扉の前に到着した順に荷物が並んでいました。

荷物の数を数えると、ちょうどベッドの数になっていました。

しかし、待っているペリグリーノの中に自転車の巡礼者が居たのです。

アルベルゲはPie(歩き人)が優先です。

そうなると残りの2つのベッドは私たちのもの?

それでもホスピタリティ次第です、北の道で覚えたルールを一応彼らに説明をしました。

私たちは悩みました、5時までここで待ちその結果次第で外を見つけるか?

それとも今のうちに探しに出かけるか?

顔なじみのペリグリーノたちは大丈夫だから、待っている方が良いと引き留めてくれました。

そして午後5時ホスピタリティがやってきました。

半分以上は諦め気分で私たちは最後の列に並ぶことにしました。

そこへEmbalse de Alcantra で知り合ったポルトガル人のエルザとSan Pedro de Rozadosで特別待遇を受けていたスコットランド人の彼が二人でやってきた。

彼らは早い時間に来ていてなんとクローゼットに荷物を置いてSalamanca見物に行っていたのです。

もちろんホスピタリティが到着した時にいなかったので認められませんでした。

最後に到着した私たちはますます居心地が悪くなりました。

それでも他の仲間が「大丈夫だよ、ここにいなさい」との言葉。

ああ私たちはどうすれば良いのか?????

手続きはそんなことにはお構いなく、進みます。

ドイツ人のホスピタリティは規則を守るとても頑固?な人でした。

結果的に私たちは最後のベッドに寝ることができました。



ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月15日22日目Part2

2015年07月24日 | 巡礼銀の道

San Pedro de Rozados~Salamanca 23.4k 標高980~800②

出発から道を間違えたがなんとかCaminoへ戻り歩き続ける。

9時近くMorilleに到着、4.5kの道を2時間もかかってしまった。

 

Googleの翻訳でやってみると”Morille 市町村トパーズ刑務所”とある。

えっここは刑務所?Caminoまで428k,アストルガまでのこと?

それでは長すぎるしsanaburesコースではちょっと短い?

記念撮影の時は、ここの場所がわかるとばかり記念撮影。

それにしても怪しげなおばさんですねえ。

ここにもアルベルゲがあったようだ。

ここにもアルベルゲがあったようだ。

2時間さらに先へ進みます。

道は果てしなく続く。

さらにさらに2時間歩き続ける、地図から行くと下りばかりのはずだがなだらかな坂を登っていました。

アマポーレが咲き誇っていました。

そしてその先にはポールがあり自転車のグループが記念撮影をしていた。

何か見えるのかな?

13時半、遥か彼方に街が見えます、サラマンカ?

あれは~かなり遠い、喜んではいけないよ

14時半、街に着いた?本当にこれってSalamanca?

ぬかよろこびはタブー!と思いながらももしやSalamanca?

いいえさらに1時間歩く、15時半にやっとです。

そしてアルベルゲに到着したのは、さらに30分後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月15日22日目

2015年07月22日 | 巡礼銀の道

San Pedro de Rozados~Salamanca 23.4k 標高980~800

今日は昨日よりすこし距離が短く下る一方です。

ただし膝には要注意です。

朝食を頼んでいたので、7時にレストランの前に行くと鍵がかかっています。

ああスペインだよねえ~それにしてもすこしでも早く進みたいところです。

予定をしていたペリグリーノの中には出発してしまった人もいます。

寝起きのようなセニョーラがやっと鍵を開けてくれました。

朝食が遅くなり8時過ぎの出発だった。

出発直後私たちはとんでもない方向へ歩き始めていた。

そんな私たちを1k近くも追いかけてくれたスペインの巡礼者。

ベッドの近く、レストランでは楽しく笑いあった彼だった。

もしこれが逆だったら~とても1kの距離を追いかけることはできなかった。

冷たい風が吹き、遠くの声が聞こえなかったのだ。

彼はヤコブ様のお使い?に違いない。

感謝感謝感謝でした。

 


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月14日21日目part2

2015年07月18日 | 巡礼銀の道

Fuenterroble de Salvatierra~San Pedro de Rozados 28k 標高950~980②

11時珍しくこの時点でSと一緒だった。

二人でいると油断するのか、私たちはすっかり道を失ってしまった。

後で解ったことだが、まっすぐ進み突き当たりになった時矢印に気がつかず金属の門を開けなかった。

何の疑問も持たず左に曲がり山の中へ入っていった。

後から男性が来て3人でウロウロするも、先へ行くしか方法がないと思い込んだ。

3人で何度か下へ戻ったり上がったりしたが、門を開けて入ることはつゆほども考えなかった。

道にでて、地元の人らしく道を彼が聞いてくれた。

彼がスペイン人で助かった。

その道を少し登ったところが地元のおっちゃんの敷地らしく、私たちは彼に必死に追従した。

か弱い???私たちは二人の男性の後を追いかける作業は大変だった。

その後Caminoの道への目星のつく場所までたどり着きヘトヘトになった私たちは彼にお礼を言って休憩。

11時半私たちは1時間山の中をさまよっていた。

手持ちの食料で昼食兼休息をとる。

12時15分また歩き始め、1時間半黙々と進む。

13時45分この辺りからSとの距離が離れていく。

ここから2時間一人黙々と進む。

15時45分やっと街が見えてきた。

すこしづつ街が近ずくが、なかなかたどり着かない

宿にたどり着いた時には16半だった。

ここはホテルがアルベルゲの世話もしていていた。

ペリグリーノはこのホテルの泊まるものアルベルゲに泊まる者と様々。

しかし、食事はこのホテルでみんな一緒だった。

道に迷った男性ともここで出会い、迷ったこともまた楽しい話題となった。

無口だと思ったあの男性ワインが入るとしゃべるしゃべる~~~なんだよ

楽しい夕食だった、いつもは節約だけどたまには10ユーロ奮発します。

 


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月14日21日目

2015年07月16日 | 巡礼銀の道

Fuenterroble de Salvatierra~San Pedro de Rozados 28k 標高950~98010kてま

午前7時朝食が振舞われる、温かいコーヒー、ミルク、パン、チーズ。

本日28k早めに出発の予定だったが、動きの悪い私は結局7時になり朝食もいただいて出発。

ここの宿代はドナテイーボ(寄付)さて朝食も含めてあのベッドで5ユーロ位であろう。

少しお部屋の差別もあったしお世話になりました。

 

今日もあいかわらず寒い朝、しかし昨日よりは風が少なく歩きやすかった。

30ほど歩くとSalamancamade 49kの標識。

49kはちょっと無理だから20k手前のSan Pedro de Rozadosまで歩く。

延々と続く道、バルもなく手持ちのものでエネルギーを補給。

2時間半ただひたすら歩く。

 

 

 

 

 

 

 

 


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月13日20日目part3

2015年07月14日 | 巡礼銀の道

Calzada de Béjar~ Fuenterroble de Salvatierra 21.5k  標高 790 ~950③

13時登り道を歩き終わったところが後5k地点のValdelacasa。

後ろには美しい景色、よく登ったねというご褒美でしょうか?

街中へ入っていくと、ペリグリーノ達が私に声をかけてくれます。

友達はもうアルベルゲに居るよ

やっとアルベルゲに到着です。

このアルベルゲは地元の信者さん達が活動をしている場所です。

そこで私たちは寝ることができるのです。

小さな台所があり、多くのペリグリーノ達はお互い場所を譲り合いながら夕食を作りました。

立派な台所はありましたが、そこは信者さん達が使うところのようでした

始め、台所から良い匂いが流れてきて、もしかしたら私たちに振舞われるものかしら?なんて大きな勘違いをしてしまいました。

夜は近くの教会でミサがあり、断ることもできず寒さに震えながら参加しました。

みんなでその帰りにバルへよりカフェコンレチェで乾杯

ベッドルームはおせいじにも立派とは言えませんでしたが、ベッドがあるだけでも幸せでした。

ただ今でも納得がいかないのは一部のペリグリーノ(スコットランドの人)だけが、特別扱いの部屋で寝ておられたのは誠に不思議でした。

 

 


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月13日20日目part2

2015年07月13日 | 巡礼銀の道

Calzada de Béjar~ Fuenterroble de Salvatierra 21.5k  標高 790 ~950②

天気は良いしちょうどおやつタイム、私の休み癖がでました。

wifiがあるのを確認して30分ほどCoffee break.

barを出て少し歩くと出発から9k地点のValvrede de Valdelacasaです。

9kを3時間もかけてしまいました。

仕方がありません、登りが多いのだから。

なぜかこのコースにはパンチョのオブジェが多い。

でも何故かふっと笑ってしまう。

結構元気が出ます。

のんびり歩いているとさらに3.5k歩いたようだ、ちょうど1時間結構早かった。

そしてこの街を10分後にはもう出てしまっていた。

11時半を過ぎている、休憩後1時間ぐらいしか経っていないけど、お昼にしよう

若い女性が切り盛りしているバルに入る。

ここでは充電ができた。

人気のない街だ、矢印を見失わないよう歩こう。

12時45分、目的地まで5kの標識。

 

 

 

 

 

 


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月13日20日目

2015年07月12日 | 巡礼銀の道

Calzada de Béjar~ Fuenterroble de Salvatierra 21.5k  標高 790 ~950

寒い朝7時起床、既にペリグリーノ達は朝食を食べ始めていた。

いつもそうだが、朝食の時皆勢いが違う。

どこへ座ろうかと私たちはいつもうろうろしてしまう。

やっと朝食を食べ終わり、7時半出発

110分歩くとCalzada de Béjarの街とお別れ。

セヴィージャからしばらくは真夏の中を歩いていた。

歩き始めて20 日目本日は木枯らし吹く真冬です。

まるで泥棒と間違われそうな私たちです。

冷たい風に吹かれながら1時間経った時にKからメールが来る。

サモラに2~3日滞在するらしい、良かったゆっくり休養して体を少しでも回復してほしい。

9時40分、教会の屋根にコウノトリが巣を作っている。

以前スペインでは毎年巣つくりをしていくうちにその重さが相当な重さになると聞いた。

最近日本でもコウノトリの巣つくりを喜んでいるニュースを聞くことがある。

しかし、日本の家屋の上では心配だなあなんて心配している私です。

10時近くなり、お日様が出てくると少し暖かくなりホッと一息。

 

 

 

 

 

 


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月12日19日目part4

2015年07月11日 | 巡礼銀の道

Aldeanueva del Camino ~ Calzada de Béjar  22.3k 標高535 ~790④

午後8時、夕食が終わっても外は明るいサマータイム中のスペインです。

広場にwifiエリアがあると聞いて散歩に出かける。

同宿のご夫婦がベンチで食後ゆっくりお話し中かな?

あまりの微笑ましさに許しを得て一枚。

広場のwifiはあまり感度がよくないようだ、諦めて散歩のみにする。

村人が夕暮れを楽しんでいたり、何やら狩野戦利品?自慢げに見せてくれる。

のどかなむらなんだなあ、登っている時は汗だくで暑かったがだんだん寒くなってきた。

ここは標高が高く、翌日冬がやってくるなんてその時考えもしていなかった。

ベッドの通路にはみんなのザックが行儀よく並んでいます。

そろそろ10時お休みなさい


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月12日19日目part3

2015年07月04日 | 巡礼銀の道

Aldeanueva del Camino ~ Calzada de Béjar  22.3k 標高535 ~790③

みんなの温かい笑顔に迎えられ体の力が抜けていくのを感じていた。

「Sがいるよ」先に到着したSがすでに到着していることを会う度に私に知らせてくれる。

なんてみんな優しいんだろう、こうやって記録しながら目がしらが熱くなる。

私のベッドも用意されていた。

シャワールームは混んでいた、まずはチェックイン。

このアルベルゲはマキシとマヌエラの夫婦で運営されていた。

今夜は彼らが作る夕飯を予約した、もちろん明日の朝食もここでいただくことに。

シャワーと選択が終わり、落ち着いて宿の周りを少し歩いてみた。

夕食は19時から、普通のレストランは21時とか22時からだがアルベルゲは私たちのお腹と同じで助かる。

19時から始まった夕食はGalisteoの綺麗なアルベルゲで一緒になった3人組。

彼女はドイツ人後男性は到着直前に励ましてくれたフランス人のお兄ちゃん、それとドイツ人のハビエル。

どんな仲間かは不明、しかし彼女とはOlivaで知り合った。

Kがビショビショの洗濯物を室内で干したところ階下まで水が垂れてしまった。

その階下のベッドが濡れてしまってその時の対応がまずかったらしくKを見る目が強かったのを覚えている。

Olivaに到着した私は到着後チェックインをしている時にそのことを知り「私の連れのしたことだ、ごめんなさい」

ところがその時彼女は貴方の過ちで無いから気にし無いでと優しく言ってくれた。

しかし、その後あの素敵なところで一緒に晩餐をした時彼女のKに対する態度は冷たかったのを覚えている。

そんなこともあったなあ。とりあえずこの晩の食事は楽しいひと時だった。