ぶらりぶらり

今日が一番

ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月24日31日目(土)Part2

2015年10月17日 | 巡礼銀の道

Puebla de Sanabria~Requejo12k~タクシーLubian 18.9k 標高920~990~1300②

ここ数日の寒さとは違いかなり暑いだった。

体調不調の我々は温度の差に体がまだついていかないようだった。

バルの中に入ると客でいっぱい。

エリーの助けを借りながらなんとか昼食にありつく。

すっかり疲れた私たちは、標高差300m以上もある道を越えなくてはならなかった。

約18.9kの距離を歩くにはかなりの時間を要する。

心配なのはアルベルゲには16人用のベッドしかない。

とても歩いて行き私たちのベッドが残っているとは思えないと判断。

エリーに相談すると、ベネズエラ出身の彼女はスペイン語も達者だった。

彼女がLibianのアルベルゲまでのタクシーを探してくれた。

3人で乗れば一人4ユーロ位の料金になる。

エリーもこの距離の不安はあったらしく、私たちに荷物を一緒に運ぶことを依頼された。

商談成立で彼女たちは荷物なしでLubianまで夫と歩くとのことだった。

正直言うと私もその仲間に入りたかったが断念する「なぜ?」う~ん何故だったのだろう?「

タクシーは約19kの距離を走り抜けて行った。

昼前にはアルベルゲに到着、もちろん私たちはいの一番だった。

エリー夫妻のベッドも確保して村に出てみた。

のどかな、村を一回りしてBarで昼食。

Barの中は大勢のおじさんたちが昼間から立ち飲みをしながら談笑していた。

かなりアジア系の我々おばちゃんを珍しそうにしていた。

多分我々は酒の肴になっていたのだろう。

夕食も兼ねて、たっぷり栄養をとる。

アルベルゲに戻ると続々と巡礼者達が到着。

なんだか後ろめたい気持ちにになりながらエリー達の到着を待ったがなかなかたどり着かない。

だんだんベッドが埋まっていく、もしベッドが満杯になった時エリー達のベッドをどうやって説明したら良いのだろう。

荷物は置いてあるが、こんなことはやっぱりいけないなあと心密かに思った日でした。

エリー達は私がやきもきしたことも知らず楽しそうに到着した。

なんとか最後のベッドが無くなる前に到着して私はホッとする。


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月24日31日目(土)

2015年10月16日 | 巡礼銀の道

Puebla de Sanabria~Requejo12k~タクシーLubian 18.9k 標高920~990~1300

3婆婆揃ったところで再出発です。

Sと私はお薬のおかげで元気を取り戻しました。

咳が止まらないのはKのみです。

緑と水の町Sanabriaともお別れです。

町から出て境界線の看板を見ながら525号線を歩きます。

ここ数日の寒さと違い好天気、出発時雨具で寒さをしのいでいたが熱くなり雨具をしまう。

出発1時間半後525号線を越え巡礼路らしい道を歩く。

30分後からは道路に戻ったりcamino道を歩いたり。

1時間ほど歩き、12k地点のRequejoの町に入る。

昼も近くここらで昼食と思っていると、バル発見すでにエリー夫妻や他の巡礼者がもう休憩を取っていた。

 

 


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月23日30日目(金)

2015年10月13日 | 巡礼銀の道

Puebla de Sanabria 滞在

今日は風の為こちらに滞在です。

お薬が効いたのか、咳が出なくなりました。

みんなが出発して、私は階下の部屋へ引っ越しをする。

ゆっくり朝食を取り、洗濯をして部屋に落ち着いたのはもう10時を過ぎていた。

お茶をして、部屋に戻ろうとした時なんとSが入ってきた。

久々に3人揃う、ホスピタリティが階下の部屋に私たちを一緒にしてくれた。

寒かったらしく、すごい形相だった。

咳が出ていたので、病院へ行くことを勧める。

場所は解っていたので、Kと違い重症ではないので一人で行かせる。

私とKはとりあえず不要な荷物をサンチャゴに送る為郵便局へ。

結構な距離だった、聞けばKはこの街中で降ろされて滞在しているアルベルゲまで歩いたそうだ。

昨日の運転手さんに改めて感謝した。

街中のバルに入り再びお茶をする。

なんだか巡礼中ではなく、ここで生活をしている感じだった。

荷物を送り、アルベルゲに帰る。

3人揃いちょっと早い夕食を食べに出かける。

入ったレストランの上はホステルらしく、ここにエリー夫妻が宿泊していた。

食事をしながら、Sが昨日私が病院へ行くから先へ行くように伝えたことにとても立腹したいた。

何故自分を頼ってくれなかったのかと大変な鼻息だった。

付き添いが必要なほどの症状でもなかったので迷惑をかけたくなかった。

それから、昨夜が彼女にとって初めて一人での宿泊だった。

その時初めて気がついたのだが、彼女はたくましいのだがすご~く寂しがりやなのだった

よほど寂しかったようだ、ふふふふ

 

 


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月22日29日目(木)Part3

2015年10月10日 | 巡礼銀の道

バス~Puebla de Sanabria 41.5k 標高805~890~920昨日宿泊したアルベルゲになんとKが居た。

Kの打ち身した顔が真っ青には驚きだった。

それでもよくなったそうだ。

入り口のすぐ右手の部屋が彼女の部屋、2段ベッドが2台4人部屋だった。

すでに他の巡礼者がいるので、私はフランスの女性と2階の4人部屋。

自転車のお兄ちゃんが二人同宿だった。

Kに医者に行ったかを尋ねると、結局行かなかったらしい。

咳は相変わらず、首もおかしいとの事。

嫌がる彼女を強引に近くの病院に連れていく。

彼女はアレルギーのことを聞かれるのが嫌らしく、また無料ということも心の負担になっている(それは私も納得)

しかし、真っ青になったあの顔は一度診ていただいた方が良いと思った。

レントゲンを撮り診察をしていただき、薬も出してもらう。

あの衝撃から首の頚椎が2か所ほど潰れていた、しかし直ぐに何をすることもできない。

体調の不具合などの原因が解っているだけでも良いのではないだろうか?

今から思えば彼女にとっては何も変わらなかったのかもしれない。

 


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月22日29日目(木)Part2

2015年10月05日 | 巡礼銀の道

バス~Puebla de Sanabria 41.5k 標高805~890~920

気さくなドクターに診ていただき、薬もいただきました。

診療費は無料、どこかに寄付の箱でもないかと探したが見当たらなかった。

親切に診ていただきしかも診療費も払うことなく次へすすむ。

この恩を無駄にしないよういただいた薬を飲み終えた時には元気にならなくては。

ドクターにPuebla de Sanabriaへこれからバスで進み、そこで無理をしないよう治療に専念すると約束。

バスの前席に座るとはるか向こうの山には積雪が見えた。

寒いはずだと納得。

Sは今晩この辺に泊まるはずだが、もう到着しただろうか?

思わずアルベルゲを目で探すが、バスはあっという間の通り過ぎていく。

41kをあっという間に走り、Puebla de Sanabriaに到着。

大きな街だった。

気の利いたドライバーで巡礼者がよく泊まる場所で止まってくれて、私たちは宿を探す時間が短縮された。

教えてもらった宿に行くと、ピエールがいた。

他の仲間もいて、Kがここにいるよと教えてくれた。

なんという偶然だったろう。

Kにあうと彼女の顔が打ち身で真っ青だった(驚き)

とりあえず私もホスピタリティーに医者からいただいた診察証明書を提示してここに2泊することになる。