ぶらりぶらり

今日が一番

ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月22日29日目(木)

2015年09月30日 | 巡礼銀の道

Rionegro del Puente~Mombuey8.5k~バス~Puebla de Sanabria 41.5k 標高805~890~920

雨は降っていなかったが寒い朝だった。

今日も最後にアルベルゲをでる。

規則ギリギリの8時半を過ぎていた。

出発間もなく一人でマイペース、咳が出て苦しかった。

なだらかな上り坂、荒涼とした赤い土の大地を一人歩く。

Mombueyまで8.5kそこへ行けば病院がある、そこまで頑張ろう。

Mombueyに着いたらSにめーるして、病院に立ち寄ることを連絡することにしよう。

そして、私に構うことなく自分のCaminoをペースを守って歩いてくれるように伝えよう。

そんなことを考えながら歩いていると、ちょうど6k地点に彼女が休んでいた。

私を気ずかって待っていてくれたのかもしれない。

そこで、メールするつもりの事を伝え先に進んでもらう。

後2.5kとにかくたどり着かなくてはと思いながら歩いていく。

先を進んだはずのエリー&テリーがいた。

彼女たちは、Mombueyでバスに乗る事を決めていた。

私は医者に見てもらってから決めると話した。

12時少し前に到着。

彼女たちとフランスの女性がバルで休んでいた。

声をかけてくれてバスの時間を教えてくれた。

私はその後の事も決めていないので、荷物を持ったまま病院へ。

まず薬局があったのでそこで病院の場所を聞く。

疲れていたのだろう、薬局のすぐ後ろが病院だった。

受付で咳が出ている事を告げると13時過ぎにドクターが来るとの事。

バスが14時半だと告げると、13時15分に受け付けに来るよう言われる。

一旦バルに戻りエリー達と合流、暖かいカフェコンレチェとサンドイッチを注文。

エリーに荷物を減らす事と、Santiagoの郵便局にとりあえず不要のものを送る事を勧められる。

なるほど、荷物を少し点検して彼女達に「そんなものはいらない」とアドヴァイスを受ける。

なぜか溜まった洗濯ばさみが20個近くあった。

そしてSantiagoに送る荷物。

13時5分(約束の10分前にはといつも思っている)に病院の受付に行くとすぐにドクターが来て彼の診察室へ導かれる。

言葉の壁はあったが、私の症状は軽く説明は簡単ですぐ理解してくださった。

気さくで気を張らなくて良いドクターだった。

通常は処方せんを書いてもらい薬局に行くのだが、時間のない私のために、奥へ行き必要な薬を渡してくださった。

地獄に仏とはこういうものか感謝感謝だった。

なんどもお礼を言って、バスにも間に合い41k先のPuebla de Sanabriaまで進む事になる。

 

 


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月21日28日目(水)Part2

2015年09月27日 | 巡礼銀の道
Santa Marta de Tera~Rionegro del Puente 27.5k標高740~805②

今日の距離も20kを超えています。
出発から28日目少しは体が慣れてきたのかな?
それにしても晴れてきません、寒さと雨でもう限界になりそうでした。
11時45分ちょうど昼食どきです、塩梅良くレストランがありました。
朝食も満足に食べなかったので、ここで巡礼メニューで栄養をとります。
暖かいお湯が体にしみます。
メニューは前菜がハモン、チョリソ、メインは鶏肉、そしてデザートはイチゴヨーグルトでした。





1時間ゆっくりしました、身も心も暖かくなり出発です。
再出発時は青空が出ていましたが、10分もすると怪しげな黒い雲が遠くに見えます。
それにやはり寒い。





30分後にはSの姿は見えなくなりました。
相変わらず雨が降ったり止んだりの天気です。










地図では湖の側を通るがまっすぐ行くはずなのだがダムを含めて湖を回って歩いているようだった。しかし、時々みんなと出会うので間違ってはいないようだ。







途中からエリー&テリー夫妻と一緒になり。
3人で15時近く、Farfonの私設アルベルゲに到着。

暖かい飲み物が用意されていた。
聞くとSは少し前に外の水飲み場で水を補給するとそのまま行ってしまったそうだ。

4人だけが泊まれるアルベルゲ素敵だった。
エリーたちは全くここで泊まる気持ちは無さそうだった。
私は正直心の中で迷っていた。体力的に自信がなく、後どれくらい歩くのか迷った。
しかし、彼らについていくことにする。

結果私の歩みが遅いので彼らに多少の迷惑をかけてしまった。
二人で私を気ずかいながら最後まで歩いてくれた。





結果アルベルゲに到着したのは17時近かった。











途中休憩をした時に一緒だったドイツ人のカップルの男性がアルベルゲ近くにいてくれて迎え入れてくれた。人の親切が身にしみた午後だった。

雨具や衣類が濡れていたがアルベルゲの中はヒーターが効いていて翌朝までにはすっかり乾いた。
深夜咳が止まらずまたみんなに迷惑をかけてしまった、明日は医者に行こうと思った。

ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月21日28日目(水)

2015年09月25日 | 巡礼銀の道

Santa Marta de Tera~Rionegro del Puente 27.5k標高740~805

昨日購入した甘い菓子パンをこの台所で朝食としてとる。

7:45いつもよりかなりゆっくり、ほとんどの巡礼者はすでに出発している。

支度を早く始めたのだが、雨が降り出し出足が鈍ってしまった。

雨の様子を見ていたが止みそうもなく、8時20分諦め私たちも完全な雨支度をして出発。

今までで一番の雨模様だった。

歩き始めて1時間、ようやく青空が見えてきた。

それでも雨具を完全にとることはできず歩く、辛うじてキャップをとるとほっとする。

30分後

さらに30分後にはSが大分前を歩いている。

そして、エリー&テリー夫妻が私を追い抜きSも追い抜いていく。

雨は降ったり止んだり、雨具で体は汗でいっぱい。

それでも雨具は離せない。

 

 

 

 

 


はいてくばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月20日27日目(火)Part2

2015年09月23日 | 巡礼銀の道

Tábara~Santa Marta de Tera 23k 標高745~740②

新しくてきれいなアルベルゲ、だが台所は料理できる所ではなかった。

到着後のお約束洗濯、シャワー、ベッドメイキングなどを終え外へ。

小さな店があるが閉店?どうしよう?

他のペリグリーノも同じ店にたどり着いてきた。

他に店もなく途方にくれる、通りかかった地元のおじさんに「メルカドはここだけ?」

聞くとそうだとのこと、するとおじさん強引に店のおばさん?おばあさん?

なにはともあれ強引に開けさせてしまった。

そんな方法もあるんだとおかしくなる

おばさんシブシブ開けてくれた、中に入るがたいしたものもなくふ~ん困った。

なんとか明日の朝食べれそうなパンのような菓子のような

ではレストラン?2件くらいありそうだが、どこも年寄りたちがトランプで遊んでいる。

困った

教会の前のバルに入り、トランプに興じているおじさんの声で邪魔されそうになりながらボカデイジョ(スペイン版サンドイッチ)を注文。

そこへSanta Croya de Teraのアルベルゲに宿泊しているはずの顔見知りが続々やってきた。

事情を聞けばここSanta Marta de Teraの教会はロマネスク様式でサモラ州の主要な歴史的、芸術的遺産の一つだとかでわざわざ見に来たとのことだった。

10世紀に創建された修道院、11世紀末に硬い片石を使用してレオンのサン・イシドロ教会と同じ作風。

私たちの宿に隣接した教会、しかも私たちの宿の世話をしてくださっているのだった。

なんとラッキーな宿ではないか、これで食生活が充実できる場所だったらもっとよかった。

 


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月20日27日目(火)

2015年09月10日 | 巡礼銀の道

Tábara~Santa Marta de Tera 23k 標高745~740

6日ぶりにKと再会してやっと歩き出したのに、昨日のアクシデント

こんなことってあるの

なんと言って良いのかSevillaでの発熱から始まり、なぜ彼女だけに次々と災難が降りかかるのか?

何十年も登山の経験を積み重ねてきた彼女だった。

いつも仲間と楽しく登っていたとのこと、しかもいつも彼女が計画を立てていたとか。

私が仲間と海外の旅をしていたように彼女も仲間と先頭に立って1週間の縦走もやってのけていたとのことだった。

私の旅に比べればよほどの知識がなければできないことではなかったのか

もちろん国内での旅だったとはいえ、適当にできる観光旅行とは訳が違う。

訳がわからなくなってきた。

とりあえずなんとか体調を整え早く復帰してくれることを祈り、私たちはまた二人の巡礼に旅発つ。

綺麗な朝焼けだった。

 

みんなを見送り、上にかぶさる黒雲が気になりながらも萌える朝焼けを眺め30分後にKと別れ出発。

20分歩くとTabaraの町ともお別れでした。

1時間ほど歩いているうちに青空が時々現れ少しホッとしたりまた曇ると雨具をいつ出そうかと案じたり。

はっきりしないお天気だった。

 9時を過ぎるとSの姿はすっかりなくなった。

道は平らで歩きやすかった。

のんびりとマイペースで歩く。

おやSの姿が見えてきました。

私のあゆみもそれほど遅くなかったらしい

銀の道特有の赤い道、てくてくてく

 

さらに1時間半後、気がつけば前にも後ろにも誰もいない

赤い道だけでなくアマポーレが迎えてくれたり、林があったりと飽きさせない道です。

前にはペリグリーノの姿、でもすぐに先へ行ってしまいます。

此の塀らしきものは何時の頃のものだろう?もしかしてローマ時代だろうか?

想像を巡らしながら通過します。

午後1時本日の目的地 Teraの文字、心が躍ります。

しかも5分もたたず目的地手前のSantibanez de Teraに入ります。

ああもう少しだ

 

ここにもアルベルゲがあります。

通過中顔なじみに出会います。

ピエールにも出会いました、彼は気の毒そうに「もうアルベルゲはいっぱいだよ」と困り顔。

なんて優しいピエール、アンナもガブリエルも到着しているそうだ。

「大丈夫私たちはSanta Marta de Teraに泊まる予定なの」「今Sからベッドはあるとメールが来たのよ」

彼は安心したようです。

すれ違う仲間達も「あと2kだよ」と励ましてくれます。

これが手前のアルベルゲだった。

少し小雨に降られたけど2時前に到着でした。

新しいアルベルゲでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月19日26日目(月)Part4

2015年09月08日 | 巡礼銀の道

Granja de Moreruela~Tábara 26k(10kタクシー)標高705~745④

2食付きのアルベルゲ、夕食はスペインタイムで8時からだった。

心配したKも痛み止めが効いているらしく夕食までには時間があるので町に一緒に出てみる。

天候が不安定で、にわか雨に遭い、WIFIのあるバルに立ち寄る。

Kの前歯が折れていて、彼女は旅行保険に入っているので治療について聞くことにする。

詳しいことはヨーロッパにある支社に問い合わせなくてはいけなことがわかる。

友人からメールで無料の電話番号を知らせてもらう。

あとは本人同士で話してもらう、どうも難しい様子。

帰国後彼女は無事治療を済ませたらしい、多分保険でまかなえたと思う。

17時にアルベルゲに戻ると夕食の支度をホスピタリティがしてくださっていた。

スペインオムレツをたくさん作っていた。

やってみるかと聞かれ好奇心旺盛な私は最後の仕上げをちょっとさせていただく。

午後8時晩餐会が始まる。

豆のスープが美味しかった。

7割くらいはもう顔なじみでした。

後片付けをして就寝

 

 

 

 

 



ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月19日26日目(月)Part3

2015年09月05日 | 巡礼銀の道

Granja de Moreruela~Tábara 26k(10kタクシー)標高705~745③

道端に倒れていたKを見つけ、念のため痛み止めを飲むように進めた。

痛みが襲わないうちにアルベルゲにたどり着き彼女は倒れるように即ベッドin。

 

医者に行かせたかったが、痛み止めが効いていたせいか行きたがらなかった。

彼女はアレルギーをまた質問されるのを極力嫌がった。

ホスピタリティも心配して病院行きを進めた、私もできるなら行って欲しかった。

彼女が一眠りをしている間にシャワーを済ませる。

ここはありがたいことに洗濯をしてくれた。

洗濯機で洗ったものはしっかりと脱水がされているので乾きが早くて助かる。

洗濯が干し終わり、まだ時間が早かったので街に出てみる。


ハイテクばあちゃん・・銀の道Via de la Plata5月19日26日目(月)Part2

2015年09月04日 | 巡礼銀の道

Granja de Moreruela~Tábara 26k(10kタクシー)標高705~745②

歩き始めは寒くて震え上がってしまった。

しかし、歩けば体がポカポカとしてくる。

三人の距離は段々と離れていく、Kは具合が悪いと言いながらも私よりどんどん先へいく。

どれほどの体力を温存しているのだろう、想像もつかない。

マイペースで進む、ところが10kを少し過ぎたところだったろうか?

いやもっと歩いていたかもしれない?

道を右に曲がると、「えっ」誰か?倒れている

だれ?Kだなんで?

うつ伏せに人が倒れている大きなザック間違いなくKです。

なんと声をかけたら良いのか?一体どうなっているのか?

私の動転というより何が起こったのか暫く理解で来ませんでした。

倒れてから少し時間が経っていたらしく、私が声をかけると気が付いてようでした。

曲がり角でバランスを崩し、背中の重みで思うようにいかなかったようです。

少し休み、歩けるというのでゆっくり歩き始めました。

直ぐにTábaraの街に到着しましたが、アルベルゲまでそこから長かった。

街に入るとピエールと出会いました。

なんだかとてもこころ強かったのを覚えています。

そこへSからのメール、ベッドの残りは後5つ。

ピエールの連れは後から来ているとか、私たちを合わせるとちょうど残りのベッドは満杯に成る。

そう言われても、これからそのアルベルゲを探さなくては。

結局街のはずれにあり、私たちはなんとか間に合いました。

心配していた二人も間に合い5人ともベッドを確保できた。