ぶらりぶらり

今日が一番

2013年10月17日 再スタート4日目 中山道「「下諏訪~洗馬」 33629歩  20.9kPart6

2013年11月29日 | 中山道

洗馬宿の宿

洗馬駅まで迎えに来てくださる事になり、間違った道を修正して駅ヘ向かう。

直ぐに「中山道 洗馬宿」の立て札に出会いホットする。

気がつくと17時あたりはそろそろ黄昏れ始めていた。

次には中山道と善光寺道の分かれ道になり、中山道を歩いている事に感謝する。

駅へは道を修正して10分程で到着、間違いを早く気がついて良かった

    

優しそうなご主人が直ぐに到着。

宿までは結構距離があり、あのまま歩いていたら暗闇の中で路頭に迷っていなかったかも?

16年前との違いはやはり携帯を持参している事だろうか?

カメラ他メデイアが持ち物に増えて来た事を、どうしたものか?と戸惑う事もある。

しかし今回は宿を到着数時間前に確保したり、このように迷った時など私を救ってくれるアイテムとなっている。

宿は私と工事関係の男性2人だけ、お二人が宿へ戻る前に急いで風呂に入る。

この民宿はキノコが売りのようで、ご主人がご自宅の山から採って来たたくさんのキノコ三昧の夕食だった。

その中には松茸があり、夫には話せないなあ~なんて思いました。

留守をした上に松茸まで食したなんてね~

風呂上がりに洗濯をしたり、チョットのんびりしていました。

食堂に行くのが遅くなり松茸は冷めてしまっていたのは残念でした

 


2013年10月17日 再スタート4日目 中山道「「下諏訪~洗馬」 33629歩  20.9kPart5

2013年11月26日 | 中山道

塩尻峠~柿沢集落~塩尻宿~洗馬宿

道を間違える事なく20分程歩く、長野自動車道を超える。

昔の建物の残る柿沢集落を超えると塩尻にはいる。

目の前に塩尻を前にして,その先の洗馬まで歩けると確信。

洗馬ただ一つの「民宿ちくら」に電話で予約、空いていた。

           

塩尻に入ると随所に中山道の趣を思わせる町並みだった。

建物や本陣跡など、それに街もにぎやかだった。

コースは左方面だが、右方面へ少し遠回りをして駅の方へ向かう。

今朝ご親切に電話をくださった、駅前案内所へ立ち寄りお礼かたがた情報を頂きに伺う事にする。案内所へ向かう道は駅に繋がっていて駅までコミュニティバスが走っていた。

丁度駅行きのバスが来たのでのる事にする、やはり車は速いな~

案内所の皆さんはとても親切であれこれご助言を頂き、更に貴重な地図を頂く。

この地図は2009年木曽11宿街道づえを購入した方に提供したとお聞きしました。

大変お金がかかったそうで、今は残っているものを中山道を歩いているものへ頂きました。歩いていて大変薬に立ちました。妻籠の案内所に募金箱があったので心ばかりをいれさせていただきました。

私個人の意見を言わせていただければ、このマップは大変良く出来ていて無料ではなく有料にするべきだと思いました。せめて原価だけでもお支払いした方が良いのではと。もしこれから中山道を歩いている時にこのマップに出会われたら1冊200円以上は掛かったそうですのでご参考までに。

          

中山道へ教わったとおりもどりました。

通り道に平出遺跡があります、日本揃った平出一里塚があります。

召すらしいのは一方の一理漬けは住宅地の直ぐそばにありました。

時間的には余裕があったはずでしたが,午後の時間は何と早い事か

ここに到着した時すでに16時を過ぎていました。

急がないと陽が暮れてしまいます。

車が激しく行き交う大きな道19号線をテクテク

民宿の看板が見えてきました、後3k !16時半を過ぎています。

       

もうすぐだと思ったのですが、地図には無い橋を渡らなければなりません。

まてよ間違っているかも?即電話します。

ご主人らしき声、事情を説明するととりあえず洗馬駅まで行けば迎えに来てくれる事になりました。元へ戻ります、直ぐに左への道を見つけました。間違ってすぐだったのです、たすかった~

 

 

 

 


2013年10月17日 再スタート4日目 中山道「「下諏訪~洗馬」 33629歩  20.9kPart4

2013年11月23日 | 中山道

塩尻峠

塩尻峠から30分程下る、途中には茶屋本陣跡、明治天皇が休まれた所等記録がある所の碑がおかれている。始めの頃がなるほどとか結構興味深く読んでいたが慣れるとここにもある程度になる。歴史を深く学んでいる方には申し訳ない。

テクテク歩くのが大好きな私はその頃になると景色の美しさに感動する事が多くなる。私にとっては元気の元はこの美しさなのでしょう。

   

10分くらい歩いた所に2体の可愛いお地蔵様です、「夜通道」の表示有り。

  

ふたたび歩き始めると赤とんぼが私の周りにいっぱいになりました。

一人旅のおばあさんがかわいそうで遊んでくれているのかな?

淋しくはないけど、構ってくれてうれしいよありがとう

更に10分歩くと東山一里塚あり。この塚は、江戸から五十二番目の一里塚で、犬飼清水と茶屋本陣の中間にある。 長野県に残る数少ない一里塚の一つ、やはり両側にある一里塚は少なくこれも一つのみのこっている。

中山道の看板に「→木曽路」の文字、今までは信濃路をずっと歩いて来たがそろそろ木曽路に入るらしい。

アスファルト道に出て少し歩くと分かれ道、はて?どっちに行けば良いのやら?13時。

お得意のウロウロとしていると右後ろに中山道の立て看板、右方向を上りにはいる。

振り返って良かったそのまま行き過ぎるところだった。

 

      

 


2013年10月17日 再スタート4日目 中山道「「下諏訪~洗馬」 33629歩  20.9kPart3

2013年11月21日 | 中山道

塩尻峠~

12時少し前に峠到着、私より少し年上と思われる老夫婦と出会いました。

地元の方らしく,またもや峠自慢です。中山道沿いはとても住み易い所なんですね。

ここにお住まいの方達は本当に自分たちの生活しているこの場所を愛しておられます。

時間もちょうど良いので昨夜スーパーで調達した昼食を取る事にしました。

眺望も素晴らしく、贅沢なランチタイムです。

天気が良すぎて残念ながら富士山は望めませんでした。

でも眺めは素晴らしく、皆さんが自慢する気持ち解ります。

       

良い眺めをおかずに、昼食を終える。

12時半ここからは下るだけという訳でけがをしないように気をつけて歩く。

 

 

 

 


2013年10月17日 再スタート4日目 中山道「「下諏訪~洗馬」 33629歩  20.9kPart2

2013年11月20日 | 中山道

下諏訪宿~関谷宿~塩尻峠

万治の石仏を出てホテルに向かいます。

すでに8時を過ぎていました、今日も先へ歩かなくてはいけないのです。

秋宮を出ると、参道途中にあり室町時代建立された太鼓橋別名下馬橋と呼ばれているとか。

いかなる身分に拘らず馬から下りて渡らなければならない橋です。

下社では最も古い建物で遷座祭の際、神輿はこの橋を渡ります。

 急いでホテルに戻り、9時に街道歩き再開です。
歩き始めて10分程で魁塚ですがゆっくりしている時間はありませんでした。
町中の街道は解りづらく、標識を見つけては歩きますがまたまた標識が見当たらなくなりました。
30分程歩きGSに立ち寄り相変わらず方向音痴の私は手持ちの地図をさして「私はどこでしょう?」
事務員さんは優しく美人でした。
道を聞くついでにトイレをお借りしているところへ携帯が鳴ります。
 
実は前夜、塩尻観光案内所にメールで宿に着いてお尋ねをしていたのです。
急な事なので携帯の番号もお知らせしておきました。
何とご親切にも、男性の方がメールを見ましたとお電話をくださったのです。
 
下諏訪から歩いて塩尻に宿泊するのはチョット早すぎると思いました。
そこで塩尻の先にある洗馬の宿について質問をしました。
今日で明日の話です、私も途中でwifiが作動するかどうか不安でしたので電話でご連絡が頂ければと思ったのです。
係の男性はあの近辺には一件しか民宿が無いとの事でした。
もし良かったら案内所は駅の隣なので立ち寄ってみては?とのこと。
番号をお聞きして、とりあえず塩尻まで歩く事にしてその後ご連絡をしたい旨お伝えしました。
 
時間はあっという間です,すでに10時を過ぎています,今日はどこにたどりつくのでしょう
私は一本道をずれていたようです、しかも私はすでに岡谷に入っていたのです。
途中から中山道の標識のある道に出会い、歩き始めて直ぐに「右中仙道、左いなみち」と刻まれた道標が建っていました。
又caminoでもあったように普通のお宅の塀に心躍る「中山道」の文字に感謝でした。
            
10時40分太陽は大分上に上がり暑くなっていました、岡谷市消防団第一分断前にベンチがありました。
チョット休憩,水分と甘いものの補給です。
落ち着いた住宅街です、少し先に今井番所跡、旧御小休本陣がありました。
住宅街を終えると山の中へ入って行きます。横川山、丸山など木に名前が貼付けてあります。
この山の持ち主?それとも山の名前?
この道で良いのかしら?と少々不安な気持ちになります、通りかかりの方に念を押すように再確認です。
「そうだよ」の返事にどれだけ気持ちが落ち着くか感謝です
 
        
11時半地図にある石舟観音に到着してホッとします。
観音様にご挨拶、急な石段を上がります。
何故かipodtuchのカメラがビデオになってしまいました。
観音様をお見せ出来ないのが残念です。
是非足をお運びください。
 
観音様でご夫婦にお会いしました。
何度もこの近辺は歩いておられるご様子でした。
山水でしょうか?流れる水の音、仲の良いご夫婦とのわずかな会話が私の心をなごませてくれました。
観音様を出て10分歩いた時に、振り返ってみました。
いい景色なごんだ心にもう一つのご褒美を頂いた気分でした。
午前中の私はいつも余裕があります。
更に山道を歩いていると散歩中の同じ年頃のおじさんと立ち話。
中山道を何度も歩いた話、中山道沿いに暮らしている事をとても誇り思っておられました。
こよなく自分が生まれ育ったこの地を愛しておられるご様子が素敵でした。
お別れして先へ進みむと、峠は直ぐでした。
     
 

 


2013年10月17日 再スタート4日目 中山道「「下諏訪~洗馬」 33629歩  20.9k

2013年11月19日 | 中山道

下諏訪早朝散歩

昨夜途中で予約を入れた「グリーンサンホテル」は駅の直ぐ前だった。

チェックイン時に、温泉がある事を知らされた。

しかし、温泉は一つしかなく混浴も出来ないので一回のみの予約制。

途中温泉街があり少し悔やみながら歩いたが、料金の安いビジネスホテルで温泉が味わえるなんてありがたい

今日は峠超えの20k以上を歩き、温泉で足の疲れを回復した。

私のこの種の歩きは日を重ねる毎に歩く距離を伸ばせる、3日目で20kを歩けたのは上々。

本日は早朝から下諏訪を歩くつもりだったが、温泉で体をほぐしたせいか朝寝坊をしてしまった。

散策に出かけたのは7時を過ぎていた。

昨日は諏訪大社秋宮からスーパーとホテルを目指して歩き中山道をパスしてしまった。

諏訪大社秋宮へ直行する予定だったが、急遽中山道の通りを歩く事にする。

本陣跡や武田信玄の矢徐石など立ち寄る所もあり、中山道を歩けば下諏訪宿への最後は下り坂。

そう言えば昨夜薄暗い中で下りながら急カーブを右折して諏訪大社秋宮ヘ向かい場所を確認してホテルへ向かったのを思い出した。

        

諏訪大社秋宮ヘたどり着きお参りをする。

大きな御柱に出会う。

私のお目当ては万治の石仏!秋宮でお参りした後同じ敷地から行くことが出来た。

高さ2mほどの半球状の自然石に頭が載ったユニークな石仏です。

       

 


2013年10月16日 再スタート3日目 中山道「和田宿~下諏訪」34442歩 21.8k Part5 

2013年11月17日 | 中山道

一里塚跡~下諏訪宿

一里塚跡を過ぎ、山道から又ロードになる。

15時半、標識に導かれて進むと水戸浪士を弔う「浪人塚」あり。

元治元年(1864)、水戸藩、尊皇攘夷の急進派の若い武士たちが筑波山で挙兵する。

天皇党と名乗って、京都にの朝廷に嘆願しようと中山道沿いに侵攻してきた。

そこへ幕命を受けて高島・松本藩が阻止しようとして戦いとなり、多くの犠牲者を出しました。

その御霊を弔う浪人塚があります。

つくばに住み始めて35年になる私、住めば都で最近筑波山を心から美しいと感じるようになった。

熊本生れの私ですがすっかり茨城県人である、私としては水戸浪士を弔う「浪人塚」を素通りする事は出来ませんでした。

   

10分ほど歩き橘橋茶屋本陣跡を通り過ぎ54番目の一里塚を通ったのはもう16時を過ぎていた。

下諏訪に到着する頃には暗くなる可能性がある。

歩きながら宿の手配をしなくては、通りかかった大きな道路に大きな看板がいくつかあった。

目についた宿へ電話をかけると1万円以上の上等な?宿、う~ん・・・

あれこれ言っている場合では無いと思いながらもパス

観光協会に電話で、安い宿を探していただくがなかなか手順が悪く時間ばかりが経ってしまう。

とりあえず2,3の宿の電話番号を聞き自分で交渉する事にする。

駅のビジネスホテルに電話して、素泊まり5000円に決定。

   

宿も決まり、気持ちも楽になり回りを見る余裕が出て来た。

すると温泉街を通過 これは先走ってしまったのだろうか?

温泉魅力あるなあなんて少々後悔しながら歩く。

16時半過ぎ木落とし坂に入る、諏訪神社の木落とし。

そう言えばTVで話題になっていたなあ,などと考えながら17時間近諏訪大社秋宮まで3.5k

もう少しだ頑張ろう

諏訪に到着した頃に、陽はとっぷりを暮れていて神社へのお参りは明日朝にする事になる。

スーパーで今夜明日の食料を買いホテルに到着18時を過ぎていた。

      

 

 

 


2013年10月16日 再スタート3日目 中山道「和田宿~下諏訪」34442歩 21.8k Part4

2013年11月13日 | 中山道

和田峠~石小屋跡~西餅屋茶屋跡~一里塚跡

道を失い途方にくれたわたし・・・なんの強運を自負する私です。

何とかなると思いながら周りを見渡すと、家が・・ひ・と・が・住んでいる気配

おそるおそる近づいてみると山の中の一軒家、真新しいログハウス風です。

考える余地などありません。

声を掛ける、「すみませ~ん

中から何となく学者風な男性が出てこられた。

事情を話し、お話をするうちに頭の中が繋がってきました。

ご親切にも途中まで車で送って頂く事に、もちろん遠慮をしている時ではありませんでした。

奥から奥様も出てこられた、優しそうで気さくなご夫婦でした。

せめてお礼状でも後で、ご住所とお名前をと申し上げました。

がそんなの良いから進みなさいと言ってくださいました。

かくして次の山への入り道まで送って頂いた。

1度歩いた山道を歩く気力は無かったけど、次の段階からだと十分歩く事が出来た。

感謝感謝感謝でした。

迷い始めてからすでに1時間を経ち,峠を越え下り始めた頃には13時半を過ぎていました。

しかし、ここからは細かく標識が何度もあり安心して歩けました。

 

    

峠を越えて10分ほど下ると石垣が少し残る石小屋跡、苔むした石仏に時の流れを感じます。

ここからは下りのみ、膝の状態が最近は良くなっています。

再び痛めないよう用心をして下ります。

標識で刻々と下諏訪への距離が減っていくのが解ります。

下諏訪教育委員会のお陰でしょうか?ありがたい事です。

            

峠を越えて1時間が過ぎやっと西餅屋茶屋跡に到着。

民宿みやで作ってもらったおにぎりで昼食です。

 

腹ごしらえをして,先へ進みます。

道路に出たり、山道に入ったり中山道は近代化と共に寸断されて来たのでしょう。

何度も道路を渡りましたが「中山道」の標識に励まされて歩きます。

53里目の一里塚を横目で見ながら先へ、落ちそうな道でも安全に歩けるよう人の手が入っています。

感謝です

    

 

 

 


2013年10月16日 再スタート3日目 中山道「和田宿~下諏訪」34442歩 21.8k Part3

2013年11月11日 | 中山道

和田峠~東餅屋跡

接待茶屋跡を発って30分避難小屋あり、大分荒れている。

先ほど運転手さんがもう少し先へ行くと又水飲み場があるとおしえてくれた。

ここのようだ、やはり接待茶屋で飲んだ水の方が安心して飲めるようだった。

  

ゆるい上り坂を30分ほど進み、道路に出る。

標識に度々出ていた東餅屋に到着。

3.6kを2時間かけた、ドライブインだったらしいが閉鎖されていた。

   

少しカーブした上り坂を終えると道路を挟み道に誘う入口有り。

山の中へ入る、後で解った事だが142号線ビーナスラインをくぐるように道が続いていた。

曽於142号線をくぐるトンネルをあるく、その時は今までに無い道にワクワクした。

     

ところがトンネルを出て再び道路に出た私は狐に包まれた気分だった。

右へ行けば何でもなかったのだが、左に行ってしまった。

うどん屋があったが、台風の影響か?店は閉まっていた。

尋ねる事も出来なく、諏訪への標識に従って歩いて行った。

なんと又東餅屋に出てしまったからだった。 

 

ああ又しても方向音痴の私の悪い癖が出てしまった 

 


2013年10月16日 再スタート3日目 中山道「和田宿~下諏訪」34442歩 21.8k Part2

2013年11月08日 | 中山道

男女倉口~和田峠

男女倉口のバス停,昨日はここまで来たかったんだな。

峠の入口から直ぐに三十三体観音がある、いよいよ和田峠を超え始まる。

雨の様子見で出発を少し遅らせたので,すで10半を過ぎていた。

     

雨は殆ど止み、雨具で山道を歩くのは少し体が重く感じる。

近年どこの山道でも「熊出没 注意」の看板を良く見る。

この頃から私も鈴を持参していたので,リュックの上にぶら下げて歩いていた。

雨上がりの山道を黙々と歩く,珍しい花では無いがこんな状況の時に真っ赤な色は何故か元気が出る。20分ほど歩くと「接待まで800m」の標識あり。

    

通常だと800m10分位で歩けるが軽い上り坂、20分かかった。

唐沢の一里塚から約1時間、復元された接待茶屋跡は丁度休憩所のようになっていた。

「接待茶屋は江戸呉服商の豪商かせや与兵衛が1000両を幕府に寄付しその利息で運営された施行所である。11月から3月まで、峠を越える旅人に粥と焚き火の馳走をしたという・・・」と説明が記されていた。

雨具を脱ぎ身軽になる、ここで休んでいるとトラック等が止まりペットボトル持参のドライバーが水を汲んで立ち去って行く。