或る双子座の日々

這是一個雙子座的生活日記。
つれづれなるままに

産院での食事 

2008年05月26日 | ハンガリー(妊娠・出産)
更新がなくても毎日見に来てくださる数十人の皆さん、いつも
本当に有難うございます。(無料で利用しているgooでは
アクセスしてくれた人の数だけは分かります)

さて、表題の件は詳しく書きたかったのですが引越しのドタバタ
で入院していたときにつけたダイアリーが見つかりません。
印象だけをもとに話しますがご容赦ください。

私が出産した2006年冬、テルキ病院での食事は、
部屋に置かれたメニュー(A4の普通紙にプリントされたもの)から自由に
選ぶことが出来ました。

事前に用紙が配られて、自分で記入します。わりと時間をあけずに
オーダーの回収が来てしまいます。付き添いに来る家族の食事も頼め
ますから、相手の好みも聞いていたら、結構迷います。貰ったらすぐに
とりかかるか、空いてる時間に有る程度考えておくとよいでしょう。

メニューは、英語とハンガリー語の両方でかかれていたと思います。
サンドイッチ・スープ・パスタ(ペンネ)・肉料理・ヨーグルト
などに加えてコーヒーや各種ソフトドリンクと満遍なく揃ってました。

病院スタッフではなく1階レストランのスタッフさんがお部屋まで
運んできてくれます。

出産を済ませて、授乳の仕方を教わったり産後の母体のケアとなる
メディカルチェックやbabyの検診・予防接種もあわせてちょうど
7日間。

それだけいると食事メニューも一通り把握してしまい、
頼むものが決まってしまいました。

飲み物はフレッシュオレンジジュースが最高で、
絞りたてのジュースがジャーに入って届くと
毎朝待ってましたとばかりにゴクゴク飲みました。

産後の授乳は、体温がカーッと上がって喉が乾いて
たまらないもの。オレンジのツブツブが入ったジュースは
身体に吸い込まれるような爽やかさでした。

パスタ類は、大きなペンネにインスタントのソースを
かけたようなお味でしたが、イタリアンレストランに
行かない限り、ハンガリーのカフェで出るパスタは
みんなこんな感じですから標準だと思います

他に日本人の私に意外なほど懐かしく味わえたのは
チキンスープでした。さっぱりとした鶏がらのおだしで
鶏肉と野菜とそうめんのようなものが入ったスープは
見た目も透明で飲みやすいものでした。

で、それ以外にしても格別マズイということはありません。
ただ、限られたメニューのなかで入院日数×3ともなれば
単純に考えても回数が多い分、行き詰まりやすい・・・。

それが、塩辛い味付けが「たまの外食」ではなく、ずっと続く。
もともと、しょっぱいのが苦手な私には堪えました。

それほど日本食にこだわりがあったわけではありませんが、
疲れた身体を癒すには白いゴハンの柔らかさ、甘さ、主張しない
優しさが格別と気づかされた期間でした。

退院は土曜の午後だったのですが、正午に昼を済ませてから
出ようということで「おめでとう」と夫がロージャケルト
ショッピングセンターにあるスシ店で買った鉄火巻のお弁当を
持参してくれたときは不覚にも泣きました。(笑)

普段なら、「なにこのマグロ、黒すぎて気持ち悪い」とか
「すんごい高い。なのに、きつすぎるワサビで鮮度を誤魔化して
ないか怪しい」とか根拠もなしにひどい悪態をつきますが。

このときばかりは、マンネリした食事にしょげかえっていたので
美味しい美味しいと一気に一人で平らげてしまいました。
いまとなっては懐かしい思い出。

私は産後の身体に力が入らない状態も、髪をふり乱して
「ああ、お乳出てきて!赤ちゃんに飲ませたいの!」と
祈るような心地で看護婦さんと授乳訓練に挑んでいたときも
お見舞いに来られたら困ると思っていました。

でも、ゲッソリしたノーメイクの顔や貸し出された入院服
一辺倒で着替えもしなかった私でも、母と同年代の友人で
かっこ悪い自分も見せてOKだった知人が差し入れてくれた
ブルーベリーマフィンやおにぎりには痺れました。

もしご出産を考えていらしたら、気の置けない友人を
作りましょう。幸運にも本当にリラックスできるお相手と
友達になれたのでしたら、産前に頼んでおきたい。

お祝いなどギフト系の気遣いは無用なので、おにぎりを
数個、ラップに包んでお見舞い時に持ってきて・・・と。

というようなことを、後に続く女性には話しておこうと
今にして思った次第です。

        ^-^

カゼひきました

2008年05月19日 | 2007-12 帰国後つれづれ
水曜にbabyのためにお医者に行って、待つこと2時間。
ようやく処方箋をもって出るまでにカゼを拾って
しまいました。

金曜の夜から徐々に熱が上がって、土曜の朝には
ついに38.2℃に。夫も体調不良を訴えていたので
近所の内科で抗生物質を貰って戻りました。

それが、babyとお医者にいったとき、健康診断なのか
ご夫婦で見えた方がありました。お子さん男の子2人
はほったらかしで・・・

お人形や本がたくさん置かれた子供用スペースに
親子でいた私達。後からきた兄弟は、話し掛けに応じた
私にすぐ甘えたい様子でした。

ところが、弟君の鼻の下には茶色がかった緑色の
鼻汁が屏風のように垂れて固まりかけてヒラヒラ。
だいたいそんな状態で、本人も気になるから鼻息で
フンとかやっています。

が、時間も経ってかなり固くなってきています。
周囲もガサガサと汚い感じ。

2歳くらいと見え、その顔で抱きついてこようとするので
カゼがうつりそーとドギマギ。相手の親御さんもいるし
余計なことしてはいけないと思っていました。

でも、親御さん夫婦は待合室のソファに座って
それぞれ週刊誌を手にとって大きな声で思い思いの
ことを述べ合っていました。

お子さんのことは時々振り返って、「おい、散らかすなよ。
かたづけなさい」というばかり。

このままでは、この鼻汁がbabyについてしまう・・・と
焦った私はポケットティッシュを出して、こっそり
鼻を拭ってあげました。

正直、昔話で人を試すために出てくる人物かと思うくらい
触るのは嫌でした。が、「この子に罪はない」とも思いました。

我が子にするのと同様に優しく「チーンてしてごらん」と。
とりあえず青茶の洟は綺麗に。

でも乾燥してバリバリになった周囲の汚れまでは、乾いた
ティッシュではふけませんでした。

その間、息子の顔から汚れが取れたことにもご両親は
気づきませんでした。幼稚園くらいのお兄ちゃんもじっと
見ているだけ。

すると一旦、お母さんの足にじゃれつきにいった弟君は
邪険にされて再び戻ってくると今度は私にあからさまに
甘えておなかに顔をうずめてきました。

簡単に拭っただけのお顔がパーカーにこすりつけられた
ときは、内心、カゼが心配でたまりませんでした。

さらに甘えてもいいらしいと思ったのか、そのまま膝の上に
寝転んできたので、尚、驚いていました。

するとわがbabyが動揺して「どいて」というジェスチャー
をしてみせると、弟君、なんとわがbabyをぶちます。

正直、冷や汗をかいてしまいました。
彼らがやってくるまえに、その幼児コーナーでしばらく
会話した別なママさんが助け舟を出してくれました。

お互いに子供の名前を尋ねあっていたので、お嬢さんが
「babyちゃん」と名前を呼んでくれたのです。

おかげで、「はーい」と返事をしてbabyを抱き上げて
その場を脱出できました。

ここ1ヶ月、ずーっとノドが痛くて、余りにも長いので
そろそろ内科へ相談に行こうと思っていたところでした。

病院に退屈したbabyは帰宅してすぐに遊びに行こうと
ぐずったので私も手洗いうがいもできず、玄関に荷物を
置いてすぐまた外出してしまったのがいけなかったのです。

昨日の診断は咽頭炎。それからくる熱。先生も「ここまで
腫れると水を飲むのも辛いでしょうけど、水分補給しないと
脱水症状になってしまいます。スポーツドリンクのような
ものが一番いいですから、しっかり飲んでね」と。

久し振りにお天気に恵まれた週末だったのに、とんだ災難に
なってしまいました。

鼻水恐るべし。うがい手洗い怠る無かれ。

子育て中のママさん、お互い、身体に気をつけましょう。
病院に行くときは自身の健康も守らないと・・・

今日もノドが猛烈に痛み、微熱で節々も軋むよう。
皆さんもご自愛ください。



現地出産と帰国出産

2008年05月05日 | ハンガリー(妊娠・出産)
産後は、母の帰国後に備えなければと強く感じました。
昼間、自分ひとりで赤ちゃんの世話をし、自身の食事や
家事をこなして行けるかと言う大きな不安の裏返しでした。

そして、ブダペスト滞在中の母に肩身の狭い思いをさせても
夫婦揃って大真面目に「どうやって赤ちゃんのお世話をし、
自分達の暮らしを維持していくか」に意識を集中しました。

母という頼りになる存在、支えを時限式に現地暮らしから
失う恐怖感のおかげで瞬発力さえ伴えました。

また、その一点で夫とも共同体意識が強まり、一般に遅いと
言われる男性側の「親になった実感」は出産に立会った
瞬間から始まり、そして強固にされていったように見えました。

こうした経緯から、条件が整っていて自分にそのキモチがあれば
「ブダペスト出産は旦那様にとってもいいよね~」と素朴な感想を
持っていました。

しかし!

滞在中に得られた数少ない知人の一人、同い年で気の合った友人は
私に続いて偶然妊娠されたのですが帰国出産を選びました。

出産3ヶ月前に日本に戻り、産後3ヶ月でハンガリーに戻ってきた
友人。ずっと会えなくて寂しかったのもあるのですが、純然たる
キモチで「酷な質問だけど、ご主人と離れて暮らすの嫌じゃなかった?」
と聞いてしまいました。

「そりゃ、寂しくなかったわけじゃないよ。でも、産後のあの育児に
追いまわされる時期、夫を振り回さないで済んだよ。ブダペストで
仕事に忙しく疲れている夫をドタバタに巻き込まなくて済んで
本当によかったと思う」と話してくれました。

目からウロコ!

正直に帰国出産する妻のキモチをぶつけてくれた友人に感謝すると
ともに、現地出産を選んでも帰国出産を選んでも働く夫の健康を
第一に願い、大切に思う気持ちは同じなんだと心を打たれた一瞬でも
ありました。

出産と母

2008年05月04日 | ハンガリー(妊娠・出産)
そもそも論「ブダペストで産む」のが全てではありません。
もともと少数派で、日本に帰る人のほうが標準です。

それでも、現地出産したひとに話を聞きたいという方は多く
いらっしゃることでしょう。ですから、あくまで私個人の体験
ですが、それでもよければ参考にして下さい。

私の場合、母が半ば受難といった形になりました。
妊娠の報告と同時に、予定日の前後トータル1ヶ月ほどハンガリーに
来て欲しい、と当然のようにお願いしてしまったからです。

根拠は、まるっきり先入観でした。まだ妊娠もしていない頃、知人の
日本女性がブダペストで出産しました。後日、彼女から「1ヶ月間、
日本から母にきてもらった」と聞いて以来、「海外出産なら母を
呼びよせるもの」という意識が出来上がってしまっていました。

簡単に頼む娘に困惑している母の様子は受話器越しでも良く分かりました。
一人で飛行機に乗ること、英会話が必要とされる可能性が高いこと、
ブダペストへの直行便がないことなどプレッシャーが重くのしかかって
いるようでした。

そこで、少しでもプレッシャーを減らすため乗り継ぎを回避しました。
夫のほうからブダペスト・ウィーン間の車での送迎を申し出て
くれたのでウィーン止まりのチケットを手配しました。

(ウィーンの空港なら小ぢんまりしていて迷いにくい。ANAと提携している
オーストリア航空もあり、日本語の話せるスタッフもいるだろうと考えました。)

が、当の母にしてみれば単身海外へ向かうことには変わりないし、
無事に夫の車に乗り込むまで不安だったことでしょう。

出産のための入院5日間のうち最初の2日は、母に付き添って貰いました。
(家族も病院に泊まれます。詳細は「ハンガリーでの妊娠・出産に関して」
参照のこと)

退院して、生まれてはじめてのママ・ライフが始まると昼夜を問わぬ
授乳で細切れの睡眠。買出し、食事の支度、アイロン・掃除機かけと
いった家事も、母頼み。

いまでは、悪いことをしたと思います。毎日ココで暮らしている私に
とって日常でも、母にはどうだったか?何日か前に来て、一度か二度
案内されたくらいで一人で買い物してきてと頼まれるのはストレス
フルだったことでしょう・・・

母は、最初にノドや鼻を乾燥で痛めました。冬でしたので暖房と水の
違いからか肌はカサカサ痒くなり、ボディローションをマメに塗るよう
薦めたりしました。

時差と、長いフライト・濃い味付けの機内食など、もともと眠りも
胃腸の具合も悪いようでムリをさせるのに気が引けました。更に
なににつけ思い出すのは、留守宅の父のこと。心配そうでした。

このため、母を早く日本に帰してあげなくちゃ、と強く思いました。
半面、母の帰国後、ひとりでやっていけるのかとても不安でした。

産後の体調が回復し、ムリがきくようになってくると同時に夫と率先して、
普段通りの暮らしを取り戻そうと試みました。なるべく母には見守って
いて貰い、なんとか赤ちゃんのお世話を生活に組み込もう、そのリズムに
なれよう、としました。

そうなると家事を切り盛りし、忙しく立ち回っているのが好きな母。
折角来たのにすることがないと言って寂しげなばかりか、段々
腹立たしげになってきているようでもありました。

結局、夫と相談し、少しだけでしたが滞在予定を縮め、前倒しで
帰国してもらいました。

そういうわけで、私は里帰り出産ならぬ、呼び寄せ出産をしました。
やはり、いちばん身体のキツイ時期は母に食事の支度や買い物を
頼めたのは大きな助けでした。

しかし、「これが標準でしょう」と同じことを他のお母様に
強いるのはやっぱり酷なのではないかと思っています。

ご自身が現地出産か帰国出産かに悩む以前に、母君の
キモチも聞いてみると参考になるかもしれませんね。

(改めて、頑張ってくれたお母さん、有難う!