或る双子座の日々

這是一個雙子座的生活日記。
つれづれなるままに

雪景色

2006年12月30日 | ハンガリー(赤ちゃんと一緒)
今日は朝見ると一面の雪景色でしたが、量は少なかったので
昼過ぎには溶けていましたね。初雪以来、ずっと雪は無かったから
この冬はまだ2度目。暖冬ですが、クリスマスらしい景色。

先日風邪を引いて以来、babyの散歩も毎日とは頑張れず、
短時間の近所への買い物に連れて行っていました。
それだけではbabyはつまらないだろうと思い、一路公園へ。

babyは近頃、乳母車に乗るのが大嫌い。座ってもベルトを嫌がる
のでしめません。前や横に乗り出して動く地面を見たい。
眠いときと機嫌のよいときは静かに乗っているけれど・・・

公園でキャッキャッと声を立てて喜ぶブランコで遊んだ後、
帰り道で泣き出す。クッキーを食べさせて気を紛らせ、
バスを待っていたけど、その間に抱っこしても泣き止まない状態に。
それでもおしゃぶりをあげたら一時的に大人しかったので
乳母車に戻してバスに乗り込んだら、ものの30秒くらいで
ビービー大泣き。

静かな車内で響き渡る赤ん坊の声。ひとに緊張感を強いる
ようで、けっこう混んでいたのに皆息を飲んでいるのが分かる。
babyが泣けば泣くほど物音一つしない車内。急いで乳母車から
抱き上げてあやしても大声をあげ、おしゃぶりも吐き出して泣く
ので、どうしようもなくいたたまれず次の停留所で下車。

しかし、自宅まではまだ遠い。早く帰ってあげたいが、バスに
乗れない。私が泣きたかった。そのあと20分間泣かせっぱなしで、
歩道駐車に邪魔されながら、なんとか家に帰り着きました。

ほかに公園を知らないので、バスに乗って行くモスクワテールそばの
森林公園。いかんせん、バスまちに10~15分、乗っても5~7分、
降りてから歩いて7、8分でようやく着く場所だけに、親の私も
往復だけでも結構しんどい。

・・・・・・もっと近所に公園は無いものか?

バス通りの狭くてボコボコの歩道を縫い、家までの方角がはっきり
わかるとこまできてから、普段通らない住宅街に入って歩道駐車の
少ない道をたどり始めたところで発見!!!
赤ちゃんも使えるブランコもちゃんとある標準的な児童公園!

赤ちゃん泣かせて可哀想だったけど、そのおかげでもっと近くに
ある公園に遭遇できた!これで、赤ちゃんが疲れない、飽きない
うちに自宅へ戻れる。この先さらに寒くなるから余計に有難い。

赤ちゃんと過ごしていると年の瀬も感じません。
なんだか淡々と過ぎていきます。
                      
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クリスマス

2006年12月26日 | ハンガリー(日常)
クリスマスは24日のイヴがもっとも盛り上がり、その後、25日に
終わっちゃうんだなーという雰囲気になり、26日ともなれば残り
ケーキのセールとなんとも寂しいかぎり。突然、「もういくつねると」
がかかり、正月に向かってGo!な日本。

欧州では25・26日が国の祝日になっているところがほとんど。
12月にはいると始まるギフトやデコレーションへの買い物熱は
こちらを圧倒しますが、祝日の2日間だけは大抵のお店は営業を
休むことになっていて、自然と家にいるか散歩するしかなしと
いった時間は懐かしい安らぎがあります。

いまでは「正月も休まず営業」「夜9時まで」「即日お届け」など
といった言葉が踊り、年末年始といっても特別困らなければ
感慨も深まらない慌しい日本も自分の子供時代は違ったんだけどなあと
思い出されてなりません。

23~25日までウィーンへ行ってきました。

宿泊中のホテルのロビーにはチャリティと書いたテーブルで
シルクスカーフを売るお金持ちそうなおばちゃんがいて、
通りがかりの欧米人は買わずにいられないように次々と
購入していました。いくらか聞くのが怖くて私は横目に
眺めるばかりでしたが、現金を直接箱に入れる募金より
速くて確実なチャリティの募り方だなァと感心してしまいました。

ウィーンで覗いた市庁舎前のクリスマス市は一段と華やかで、
ハンガリーに比べるとなにもかも洗練されてみえました。
ただ、どちらにもよさがあるので良し悪しは言えませんが、
もっとじっくり見てみたい、歩きたいと思わせるステキな空間でした。

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クリスマス市

2006年12月18日 | ハンガリー(日常)
強盗犯についての続報もなく、今週末も冷えこみが厳しく
なってきたもののクリスマス市を見に行ってきました。
その活気のなかに身をおくだけで楽しいんですよ。

子どもの頃思っていたお祭さながらに、屋台の立ち並ぶなかを
とりとめもなく見て歩く幸せ感。もうもうと立ち上るソーセージ
などのお肉を焼く煙、ホットワイン売り場の長蛇の列、、、
そしてライトアップされファンタジックなカフェ・ジェルボーの
写真を撮る人々の無邪気な顔をみたり。クリスチャンでなくとも
小さい子からおじいちゃんおばあちゃんまで、みんなワクワクして
いる様子を見ると幸せな気持になれます。

夫はホットワインを飲みたくて、あちこち並びかけるのですが
横入りする人々の強引さ、誰が先か後か分からない人だかりに
イライラ。じゃ、別なとこへ、とクリスマス市の人の波を
泳ぎ、ようやくモーツァルトチョコ店そばの売り場だけ、
列も少なめ、人も秩序正しく並んでいるのを発見。
ようやく風物詩のスパイシーなホットワインが飲めて
妻としては一安心。

そこで、靴底から上がってくる冷気に凍えてきたところ、よく見ると
モーツァルトチョコ店でホットワインならぬホットチョコレート
を出していたので私はコチラを。案外甘くなく、ココアのような
感じでした。猫舌の私が、もうすこし熱ければいいのにと
思う温度でしたがご愛嬌でしょうか。1杯499Ft也。

ちなみに1Ftのお釣りを出す気なんてサラサラなくて、
当然のように500Ftでした。なんか素直に500Ftて
書いてくれたほうが気持ちいいのに・・・という割り切れない
気持になりましたが。

今年は初雪を見てから1度の雪も降らず、暖冬という感じです。
いつもは北海道の映像を見ると「ああ、ハンガリーて北海道と
にてるよなぁ」と思うものですが、今年は「もう雪降ってるんだ?」
という不思議な心地で見ています。

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歩道駐車

2006年12月12日 | ハンガリー(赤ちゃんと一緒)
子持ちになって、乳母車を押す身になってみるまで知らなかった。
欧州だから石畳部分が結構あるのは横に置いても、段差に
スロープがないことが多いし、ついていても申し訳程度。
車輪がつっかえ易い。さらにハンガリーは、素人目に見ても
歩道や道路にデコボコやひび割れが多い。路面電車は好きだけど
レールが渡っているところは、難所のひとつになった。

これも最近気がついたことだけど、道路は大抵、へりにむかって
かまぼこ状に沈みこんでいて、その上に作られた歩道は車道に
向かってかなり傾斜している。乳母車を押すと斜めに走って
車道へ落ちそうになる。

こういうとき、どんどんハンドルをとられ落ちていってしまう方に、
「そうはさせません」と乳母車の鼻先をちょいと反対側に向かせ、
でも普段と同じように真っ直ぐ押す。これは4輪駆動タイプの
乳母車の話なんだけど、車体はそっぽむかせても、タイヤは
素直に道路と平行に動いてなぜかラクに真っ直ぐ進める。

住宅街では歩道への駐車で通せんぼされるので迂回するのも
しばしば。先日は、駐車に道を阻まれ、車道に下りるわけも行かず
焦りました。幸い、細心の注意を払って横をすり抜けられたけれど。
(頭にきたので写真を撮ってみた。)

なんだ、これしきと思うかもしれないけれど、端っこは住宅の
石塀。舗装の間から草も生えてりゃアスファルトはいい加減に敷かれて
表面はグニャグニャで水平じゃない。乳母車の車輪は弾力性がないから
細かい穴にハマる。そのたびに引き上げたり後退したり。車にぶつかる
ギリギリの幅で本当に往生した。

さらに欧州の車は盗難防止アラームがついてるから、至近距離に長く
いると装置が働いて車のアラーム音がサイレンみたいに鳴る。
あんまりのんきに押してなぞいられない。はやくすり抜けなければ、
不審者とみなされてアラーム音が響き渡る恐怖。気が気じゃないのだ。
毎回、ドキドキさせられる。

そんなわけで、バリアフリーは車椅子だけじゃなく乳母車を
使用するひとにとっても優しい。乳母車で外出しやすい社会は、
子育てにも優しいわけで、れっきとした少子化対策になるのに
と思う今日この頃。

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かぜ

2006年12月11日 | ハンガリー(日常)
土曜の夜から具合が悪く、babyの世話は夫が主体になって
やってくれて、日曜一日ゆっくりさせてもらいました。

昨日は丁度お米が少なくなったところで、日本食材屋うさぎやさんに
行ったついでに夫が私の好物を買ってきてくれました。
狭くて薄暗い売り場で、それを思いついた夫の気持が嬉しく、
かりんとうが嬉しく、さっそく開けてバリバリ食べています。
おいしい・・・

そんなこんなで今日は頑張らないことにしてダラダラ。
そしたらテレビから文人墨客という言葉が聞こえ、国語の授業が
懐かしく思い出されました。

学校を出ると本など読まなくても誰にも何も言われないし、
詩や小説や随筆など、また新作や名作のバランスなんて誰かが
考えてくれるわけでもない。好きな分野、気になる作家など
自分の嗜好でいくらでも読んでいい。代わりに読まない時期が
どれほど長くなろうと表面的には何も困らないかもしれない。

だけど、確実に言葉を忘れ、会話も直接的な話題ばかりで
短文ですばやく交わす記号に近くなってくるし、それにも
気づかなくなる。

国語の時間は嫌でも自分と趣味の合わない文章やテーマを
読まなければいけないこともあったけど今となっては
なんと貴重であったか。

最近はbabyもいるし、ユックリ本を読まなくなった。そのうえ
カタコトのハンガリー語や英語を使って暮らしてる。直観が冴え、
大体理解できる。そしてあと一歩が分からなくても仕方ないと
諦める。ムズムズしても仕方がない。ほんとうに話したい事が
あったとしても、それを言葉にして相手に伝えられない苦しさ
も常に抱えている。こどもみたいに単純な言葉でしか話せない。
そうするうちに日本語も抜け落ちてくような不安を覚える。
思索すら怪しく思えてくる。

そうだ、土曜の昼過ぎにはインターネット書店でたくさん注文
したんだった。良かった。それに昨夜から、好きな小説を
引っ張り出して読んでる。

昔、憧れた先輩が同じ本を面白そうに何度も読む姿がカッコ
よく思えて、自分もその作家の本を読んでみてハマッた。
好きな本を何度も読み返すのは、なんともいえず面白い。
大人になったから許される読み方かもしれない。

うっすら頭が痛いせいか、今日はなんだか理屈っぽいや。
babyが起きたし、何か食べようっと。
                      

コメント (7)
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