或る双子座の日々

這是一個雙子座的生活日記。
つれづれなるままに

やっぱりウィルス

2008年11月23日 | 帰国後ママのくらし
金曜の夕刻行くと、すでに患者でいっぱいの待合室は、問診票を書いたら
一時帰宅を指示されました。

1時間したら来てくださいとのことで、1時間後に参りましたが、そこから
さらに1時間弱待つことになり、弱ってグズグズ泣いたり、泣き叫んだりする子が
多い小児科の待合室は大人でも堪えました。

子どもも泣いている子を見ると気になるようで、振り返って様子を見守ったり
「赤ちゃん、泣いてるよ」と心配げ。そうして神経を消耗するようで、「大丈夫よ」と
落ち着かせ、静かに待つよう促し続けるのは親としても難しくキツかった。

でも残業残業で、予約外の患者を診てくれる先生にこそ感謝、看護師さんや
スタッフさんにこそ感謝。実は、その日最後の患者がわが子だったので、後片付け
をしながら見送ってくれる皆さんを、本当に有難く思いました。


話は前後しますが、いったん自宅に戻ったとき、リラックスしたらしく、折よく
便がとれました。道行く人には関係のないことですから、匂わないようジプロック
の袋にいれ、手近にあった濃い色のレジ袋で外から見えないのを確認して診察に
持参しました。

事前にインターネットで調べて、白っぽいサラサラの便はウィルス性の風邪の
可能性が高いといっていましたので午前中に出たレモンイエローの透明に近い
奇妙な便を思いました。今回はファンデーションのような色でホットケーキの
種に似た形状。

先生は、一通り話を聞いた後、一応見せてくださいといって覗き込むと
「ああ、これは特徴的な便ですね。ウィルス性です。重篤な下痢に移行しない
ウィルスかどうか調べておきましょう」と話し、看護師さんの手で検査に。

10分後には呼ばれて、重症になるウィルスでないことが明かされ、整腸剤の
処方をうけました。タンがきっかけの咳き込みで吐くことも伝えて、痰きりも
出してもらいました。

最初に嘔吐があって、その後、下痢が始まるというのがウィルス性の風邪に
特有な経過だそうです。(はっとしたら、すぐお医者様に行って、ふさわしい
処方と指示を受けたいですね)


「食事は数を多く、1回量を少なく。水分を多く、少しずつ。」
「飲み物は柑橘系は避ける。食べ物は消化の良いもの。」
「嘔吐したものや便に触れたらよく手を洗い清潔にして二次感染を防ぐ、
床の場合、漂白剤を薄めたもので拭いても良い。」とのご指導。


本人も食欲がないので、食事はストップ。水分だけ、あまいレモンウォーターを
好むので少量ずつ飲ませて様子を見ました。

食べないので、下痢も見ませんでしたし、おなかに消化不良のものがたまって
いないので軽く咳き込んでも即吐き出すということはなく、すごせました。

弱っているときは食事をさせないのも有効な手段だとわかって、また新たな
体験となりました。一度にごくごくいっぱい飲みたがるのをいさめて、少しだけ。
忘れたころに求めに応じて、また少し。水分さえ足りていれば元気なもの。

普段通り陽気に遊んで、でも疲れやすく、こまめに横になって眠ります。
眠るとてきめんに顔色が良くなり、数時間持続。

元気そうにふるまい、あれ食べたいコレ食べたいと言い出す。でも疲れやすい
のをみていると、急に食べれば弱った身体は受け付けないはず。

かわいい要求につい、こちらも気を許して、応じたくなるのをこらえ
「いろいろ食べると吐いちゃうから我慢ね」「いっぺんにたくさんはやめとこう、
おなかいっぱいね?ごちそうさましようね」と言い聞かせてを繰り返し。

眠っても心細いらしく、ぐずぐず泣いて起きたりするので、そしたら安心させて
あげるため、すこしオーバーかなというくらい赤ちゃん返りさせて「よしよし
いい子ねいい子よ大丈夫よ」と抱っこして慰めると泣きながらも甘えてくるのが
わかり、コチラも安堵できます。

子どもが病気すると母親としても少し気落ちしますが、こうして親の庇護を求めて
泣かれたりすると本当に可愛くて初心に帰る思いができます。

無事に生まれてきて、ココまで大きくなってくれた、とまだ小さなてのひらを見て
思ったり、安心して眠る顔に癒され、「ママも慌てずユックリだな」と思ったり。

初めてのウィルス性の風邪とも、落ち着いた気持ちで過ごす連休となっています。
なにはともあれ、人の集まるところ、うがい手洗い、疲れをためずよく寝かせる、
に気をつけて出来るだけ少な目の風邪で冬を越したいですね。



疲れて その2

2008年11月21日 | 帰国後ママのくらし
ウィルス性のかせかはともかく、いま子どもの顔に気になる肌荒れがあり
自宅にある自然系クリームを塗って保湿を心がけてきたけれど・・・

もうすこし軟らかく伸びて、持ち歩きも楽な小さな入れ物に入っている、
肌に優しく安心して塗れる、と思い出したワセリンを買いに、ママチャリ
でお出かけ。15キロ近い幼児を乗せて。

買ったらすぐに開封して、その場でお顔に塗ってあげてほっとする。
ちょっとパンだけ買いにコンビニへ寄って、さぁ帰ろうと自転車のスタンドを
あげて、サドルに乗ろうとした瞬間、バランスを崩した。

ああ、これは最悪のケース、こんなの初めて、と思いつつ横倒しになろうとする
自転車が脛に当たった痛みに耐え、子どもが受ける衝撃を最小限にしなくちゃと
念じてとっさにハンドルから手を放さず地上ギリギリのところまで保持。

不自然な体勢と、そこで力んだ肩の痛みに耐え切れなくなり、スローモーション
で結末を見た感じでした・・・

ハンドル一体型のシートにいた子どもは、最後まで支えた母の様子で予測が
ついたらしく、地面につく前、さっと両手を出して、10センチくらいの
落下衝撃に耐えてくれました。

が、怖かった~。
寝てないって恐ろしい。
30過ぎて、「バファリンの日2日目」と睡眠不足は痛かった。
火事場の馬鹿力さえ欠片しか残しておいてくれない。

幼児との二人乗りは、危険性は認知していて、いつも安全運転をこころがけて
きたけれど、慣れた気の緩みが出たようす。今日はヘルメットもしていなければ
近いからとシートベルトもしていなかった。最初のころは神経質にやっていた
のに・・・

そして、大前提に健康があったのだと思い知らされた感じ。
体調悪いときは歩きに限ると思った午後となりました。
幼児を載せて走るママ、お互い気をつけよう!

以前、教育テレビの育児番組でママチャリに幼児と乗る際の注意点として、
「怖いのは走行中より、乗り降りの直後。加速するまえが一番バランスを
崩しやすいから」と紹介されていたのを思いだいました。

実際、一瞬でバランスを失った自転車の勢いを止めることは不可能。
今回の体験は、まさにその実証。幼児を載せた、スタンド解除、
ペダルを踏むぞ、というそのときこそ慎重に!


ちょっとネット検索するといっぱい、注意がでてるものですね。
少し勉強して、今まで以上に気をつけます。

参考URL:
 はっぴーまま.com
  こどもといっしょに自転車にのるには
 神奈川県警
  自転車の幼児座席をお使いの皆さんへ
 自転車産業振興協会 
  自転車用幼児座席に同乗した幼児の頭部衝撃実験結果について

疲れて その1

2008年11月21日 | 帰国後ママのくらし
食事中の人は読まないでください。


さて、10月にひいた風邪のしつこい鼻炎がようやくおさまったようだとほっと
して成長する子どもに目を細めていた今日この頃。すると少し前から、夜、
寝苦しそうにいびきをかいて咳き込む。そろそろタンを切るお薬を貰いに行った
ほうがいいかしらと気にはしていたものの。


昨日は、いつになく食事のペースが遅く、いくら待ってもモグモグかみかみ
長いこと口に入れていて、イライラ。普段、体調に留意して2食になっても
気にしないようにしていたにもかかわらず。まじめに食べて、と怒ったりも
して少ないながらも一応3食こなしよう促してしまいました。

恐るべし月の便りのイライラ。


夜になって、こどもはおなかが痛いと訴えて、ぐずぐず泣き。
もう何も与えないほうがいいという母親の直感をよそに、こどもは安心したいのか
牛乳をせがむ。そこへちょうど帰宅した夫。「お腹が痛いなら牛乳はいいだろう」
と、少しあたためて与える。こどもは嬉しそうに飲む。

…私はなんとなく消化が進まずにお腹が痛いんじゃ?「牛乳は
脂肪分があるし、さらに痛くしない?」と不安を訴えてモヤモヤ・・・


その後、おなか痛いの訴えが再開。「冷えたのかな、パパと湯船で温まって
おいで」と送り出す。風呂上りには機嫌よく、苦労する寝かしつけもなく
あっというまに寝息を立てたこどもに一安心。


が、どんでん返し!
眠っていたけれどいつものようにタンにむせて咳き込んだと思ったらウェッと
いううめきのあとゴボゴボ・・・ひゃーんと泣き出す。

あとは親が大慌て。いそいで夫が一緒に風呂に入って汚れを流し、動揺して泣く
のを湯船で抱っこして落ち着かせ、あがると急遽子ども部屋に布団を敷いて
添い寝。

私はその間に洗濯。思い切って、布団も枕もぬいぐるみも洗濯機。
回している間に、洗面所に桶。こどもの超お気に入りで大切なクマの
ぬいぐるみとデリケートな羽毛のキルティングされた着用布団についた
吐瀉物を手洗い。脱水、ベランダに干す、までを繰り返して終わったのが
午前1時半。

急いで風呂にはいり、髪を乾かして2時半ころ、夫と交替。会社があるので
普段のベッドでゆっくり休んでもらいました。その後、2回、3回目の嘔吐に
つきあいました。(さすがにこのときは、咳き込んだらすぐ口もとへタオルを
あてがえるよう準備しておき、ざっとすすいで洗濯は明日、と丸めて流しに。)

咳き込むたびに吐くのではないかと身構えてタオルをもって様子をうかがう
ため、ほとんど眠れずに朝となり、6時ころ起きた夫に報告。

起きたこどもは機嫌よく、元気にパパに甘える。親としては、いつ吐くかという
恐怖はぬぐえず。白湯だけ飲ませて、様子を見て、おなかすいたと訴えないので
胃腸を休ませようと食事はおやすみ。

予約ダイヤルも昨夜のうちにかけたけれど、既に満杯。直接受診の申込を
考えて、診察開始30分前に様子を見に行ってくれた夫。予約制だけに
きっかりまで開けないらしく、すぐに帰宅。会社に行く時刻を2時間遅らせて
くれていたので、あとは頑張るからと送り出す。


昼を過ぎて、本人が食べたいというので蒸しパンと林檎ジュース。
いま調べたら、どちらも好ましくない食べ物で反省。
(とにかくおかゆ・うどんのような消化によいもの、水・お茶・イオン系飲料
と決まってるみたいですね)


食べたら眠ったので、その間に書いています。午前中は吐かない代わりに2度、
水っぽいものを下から。



こ、これはもしや日本で有名なウィルス系の風邪?と心配になってきました。
ハンガリーで子育て中は、日本のニュースを見て恐ろしい~帰国したら、この子も
餌食に?と心配はしていましたがインフルエンザと風邪数回でこなした昨冬。

ついにきたのか?と思いつつ、かかりつけ小児科さんの午後の診療再開時刻
3時半になったら子どもを起こして行って見ようと思います。
今日も眠れないと辛いので・・・


はやとちり

2008年11月14日 | 2007-12 帰国後つれづれ
派遣会社を選ぶとき、厚生年金に加入できると聞いて登録した会社。実際、そこで
1年間働きましたが、加入自体は任意だったため、その間、私の申し出がなかった
ため、国民年金加入者として働いた記録になっていました。(現在では強制加入)

ということで結婚以来、7年、まるっきりずっと夫の保険料支払によって
まかなわれる第三号被保険者だったとわかり、そうなると「ねんきん特別便」の
記載も特に問題なく・・・安堵しました。


私より5年くらい前に結婚した人は姓が変わった時期を明記するようにという欄が
あったので、「比較的新しいデータに属しているらしい」、「学生時代、親が肩代わり
してくれた保険料分もちゃんと記載されている」と見て心底ほっとしてしまいました。


それにしても、結婚当初に厚生年金から国民年金に切り替わりましたよとの社会
保険事務所から届いたハガキ、派遣時代の雇用契約書、源泉徴収表などなんでも
かんでもとっておいてよかったぁ・・・

(↑問い合わせの際、平成○年何月から×年の何月までのデータについて、
とか「何を聞いたらよいのか」を決める手がかりになったので。)


重要そう、と思っちゃうとなんでも捨てられなくて、書類の類はクリアファイル
のポケットに通知ハガキもパンフレットもごっそり入れておくほうで・・・

帰国して以来、夫から「とにかくファイルが多いよなぁ」と私の持ち物に
ついて小言を言われることもありましたが・・・

テプラで背表紙を当てて、誰が見ても何のファイルか分かるように整理さえすれば
後々、また役立つかもしれないと思いました。


もちろん、捨てられるものはサクッと行くことにきめていますが、今回のように
公的機関において本人が支払ったことを証明してもらえず、自身の手で口座引落や
領収証といった証拠を提出するように求められ、困惑している人生の先輩方の映像
は気の毒でショッキングなものでした。

既にウン十年もまえに勤めた会社が現在は残っておらず、データ照会を願い出る
ことすら不可能という方など色々なケースが紹介されていましたよね?
私自身、所属していた派遣会社の窓口となっていた支店事務所は廃止されたのか
現在使われていない電話番号になっていてドキドキしました。※

 ※
 登録時のセンター連絡先をネットで調べて相談すると、すぐに社会保険関連の
 窓口へ照会して折り返し電話をくれた上、その場で給与台帳なるもののコピーを
 郵送してくれることになり、もう届きました。迅速な対応で、大手にしておいて
 良かったと別な安堵もしました。)


これまでなら5年以上経過して一度も見なかった書類は捨てようかな、と
判断できたようなものも、まことに捨てづらくなったと感じている主婦の方は
多いだろうなぁ、、、と思った今週でした。



ショック

2008年11月04日 | 2007-12 帰国後つれづれ
何ですか?小室哲哉さん逮捕って。
逮捕のつづきが麻薬でなくて、ちょっとほっとしたものの、金銭絡みと知ると
それはそれで痛々しく。


中学時代は、宮沢りえちゃんの「僕らの7日間戦争」という映画が人気を集め、
Seven Days Warという主題歌は思春期の心をガッチリ掴んで、クラスでは
ロックバンド全盛でプリンセス・プリンセスやジュン・スカイ・ウォーカーズ、
お兄ちゃんがいる子はユニコーンやレ・ピッシュを聞いているなかでも、
TM Net Workのカセットテープは頻繁に貸し借りされていました。

私自身も、お兄ちゃんがいる子は新譜をカセットにダビングして回してくれた
ので有難く借りて、お小遣いをはたいてカセットテープを買い、コピーテープを
作って、きれいなカセットラベルを購入して、丁寧にタイトルを書き写したもの。

後に、小室さんブームが起きても、前段階のTM時代に思春期の思い出がギッシリ
つまっているだけにソロで大成功していくのをさびしいと思う反面良かったねと
思ってもいましたが・・・


うーん。小室さん、最近、音楽活動してないのかな?なんて思っていた矢先に
こんなニュース。残念だなぁ。ほんと、残念。


高校時代はドリカムが好きで、大学では槇原敬之さんを好んで聞いていました。
なので、その後、逮捕の報に接したときは驚いたし、残念でたまらなかった。


槇原さんは覚せい剤事件のあと、世界にひとつだけの花で見事に復活を遂げたので
今では暗い歴史も過去のものとなって若い人は知らないだろうなぁってところまで
来ていますが、元ドリカムのメンバーだった西川さんはどうしているんだろう?


今30代以上の人しか知らないであろう金髪にピアスがトレードマークだった
西川さんが、覚せい剤で逮捕されたときはショックだったなぁ。それで、報道と
前後してスパッとメンバーから除かれたときはさらにショックだった。

「見るからにお喋りはうまくなさそうだし、周りのひとに盛り立てて貰って初めて
上手に力が出せるタイプの彼・・・この先、誰が彼を支えられるんだろう?自力で
精神的安定を取り戻して、新たに仕事を続けていく力を得られるんだろうか?」と
勝手ながら心配に思いましたが。

いま、ウィキペディアを見たら、その後も波乱の人生で自暴自棄になったのか
結局また覚せい剤に手を出してしまったようで逮捕され、昨年11月に出所って
なってるのをみて寂しい限り。


音楽という才能の世界で生きている人のなかには、どこか現実世界で生きていく
テクニックとしての図太さやコミュニケーション能力が欠けていて、信頼できる
協力者(右腕のようになって支えてくれる誰か)を失うと途端に窮する、
がんばればがんばるほどクモの巣のようなところへ足を取られてしまうタイプが
ありますね。

そんな危うさを抱えたひとたちは、どうやってふたごころある人たちに囲まれずに
立ち直るきっかけや強さを得たらいいんだろう?


小室さんも西川さんも、いつか再び大活躍して、暗い今を払拭できる日が来ます
ように・・・と祈らずにはいられません。


今日は、完全に個人的テーマで失礼。