或る双子座の日々

這是一個雙子座的生活日記。
つれづれなるままに

連絡|テルキ病院は無くなってます

2021年02月25日 | ハンガリー(妊娠・出産)
いまだに出産項目を読みに来られる方が多く古い記事を見ていらっしゃり
2017年にはコメント欄でお知らせしていましたが、ハンガリー駐在で出産
時2006年にお世話になったテルキ病院は閉鎖されホームページも消去され
ています。私は帰国して14年も経ち、当ブログの妊娠出産に関する記事に
アクセス頂戴していることに申し訳無さを感じております。

また今日調べてみますとファーストメドセンターも移動していました。
ホームページを見るとブダペスト1区、ハッチュー通りにあるハッチュー
ハーズの5階となっています。セールカールマーン広場とMammutショッ
ピングセンターの近くにあり、車・路面電車・地下鉄のどれでも行きやすい
場所とのことです。HP内に英語で診察予約する電話番号と営業時間の案内、
24時間対応英語電話サービスの案内があります。

FirstMed-the leading provider of private English-speaking family practice

FirstMed is the leading provider of private in-person and online Engli...

FirstMed-the leading provider of private English-speaking family practice

 


大使館は在外邦人のためにさまざまな情報を発信しているのでこまめにチェック
されてください。これから駐在される場合、ご主人に相談して現地情報の収集を
お願いして現地での妊娠・出産が現実的に可能かどうか大体の感触を掴んできて
いただけるといいですね。全世界的なコロナの感染流行の結果、海外における
アジア人襲撃など気になる事件が起きておりますし、各国の事情で入出国もまま
ならない状態に置かれる恐れも普段より大きく、可能であれば日本での妊婦生活
や出産を計画なさったほうが無難なように思います。

在ハンガリー日本国大使館

Ministry of Foreign Affairs of Japan

 


在ハンガリー日本大使館が纏めたハンガリー概況2020年11月配信
https://www.hu.emb-japan.go.jp/files/100119523.pdf

出産のこと 4

2008年12月16日 | ハンガリー(妊娠・出産)
妊娠・出産を考えていて、関連カテゴリーを読み進まれる方のために。
ひさしぶりに以前書いた文章で、更新しますね。

出産が終わって、「これを一人でも多くの方に伝えられたら」とブログを始めた
当初を思い出しました。

プライベートな体験になりますが、ココで出てくる助産師さんは、その後、
First Med Centerを離れてどちらにお勤めか聞いておりませんので
今現在First Med Centerにかかっている方が遭遇することはないと思います。


      
            

無事に出産を終えて、そろそろ退院する頃、病室を訪ねてきた助産師さん。
私のたどたどしい言葉でしたが心をこめて御礼を申し上げました。

happy deliveryができて嬉しい!日本女性の間ではbad caseの話が
一人歩きしていて、妊娠した女性は確実に日本へ帰ると言うようになった。
だけど、私は、知人(同じ先生と助産師さんで出産した。私の妊婦時代、
実に細々と体験を伝えて安心させてくれました)と先生とあなたに会えて
ほんとに良かった。」


そのとき、彼女は、少しためらいがちに個人的な印象として、、、と
前置きしてから色んな気持ちを打ち明けてくれました。


「日本人女性もたくさん出産している。知られていないだけ。
happy caseが10あっても、not happy caseが1つあればオシマイ。
ショッキングな話はパワーがあるから一人歩きしちゃう。」

「そもそも、お産が100%帝王切開にならないって保証ができる?
さまざまなコンディションを考慮して、臨機応変に最も良い方法を考えて
進めるしかないし・・・」

bad caseになるタイプは、クリニックへ通訳と一緒にきて、自分では何も話さない。
その間、ずっと不審そうにしている。そして、出産までの定期検診中はほとんど
なにも質問らしい質問をしない。こちらから尋ねても、じっと静かにしている。
会話らしい会話も無い。そして、出産が終わって落ち着くと途端に様々な不満を
ぶつけてくる・・・。」

「あなたはカタコトのハンガリー語と英語とmixしながら、とにかく一生懸命、
意思疎通しようと努力してくれたし、心を開いてくれたでしょう?それがhappy
に終わった一番の理由よ!よく頑張ったわね」と言ってくれたのでした。



      
            


そういうわけで、もしも妊娠出産をハンガリーでしたいと真剣にお考えになって
いる方はぜひ「自分はhappy caseに入るんだ!」という強い意志を持ってほしい
なぁと思います。一念岩をも通すということばもあります。

出産は現実離れしていて、妊娠とわかってからもうんと先で、どうしてもなにか
他人の身に起きたことのような違和感があります。が、そこでぐっと踏み止まって
これは「私のお産」、この先必ず、私が体験する、「私が頑張る」と思って?

大切なのは主語は「私」であるということ。お医者様や助産師さんや施設の問題
だけで解決できない。私の身体が出産のその日まで健康でなくてはならないし、
出産そのものに耐えなくてはいけない。それは日本に居ても同じ・・・

「私」が真ん中にいて、周りの人は赤ちゃんが出てくるのを助けてくれるひと、
と肝をすえられたら、あとは頑張っていく力がわいてくることと思います。
後続の女性たちがみんな「happy case」のお産を体験できるよう、心から
お祈り申し上げます。


産院での食事 おまけ

2008年06月09日 | ハンガリー(妊娠・出産)
私の場合、出産で日曜の夜に入院し、土曜の午前に退院しました。
その間に、食事メニューも一通り把握してしまい、自分好みのもの
で注文が一定するようになってきました。

そのときから、思い違いかと思いましたが注文したのと違うものが
ドカドカとやってくることがありました。

私は、ハンガリー人が大好きなサラミが苦手です。
ハムは何とか食べますが、市販のジェムレ(丸いパン)にスライス
チーズとレタスなどが入ったものが一番口に合いました。

テルキ病院では、それだけ専門スタッフを用意している証でもある
のですが食事においては専属の栄養士さんがいらっしゃいました。

入院してすぐにご挨拶しましたし、ときどき部屋を回って食事の
ほうはいかがですか?と聞かれることもあったように思います。


退院を明日か明後日に控えた頃には、出産以来、慣れない授乳・
おむつがえ、babyの予防接種や生活リズムの記録をとるなど忙しく
退院後は夫の出勤後ぜんぶを一人でこなせるかなど不安で一杯
でした。

看護士さんやベビーケア専門スタッフさんの説明には辞書を片手に
ノートをとり、ケアの仕方で分からないことは質問事項を纏めて
おくなど、神経質に過ごしていました。

授乳が軌道に乗ると、じっとしていてもどんどん噴出してきて
授乳パッドを使用していても気が付くと上着に染みていて
日に何度も着替えなければなりませんでした。

それだけ多量の水分が出て行くわけで、飲んでも飲んでも喉は渇き、
体温が高く頭に血が上っているのか暑くてたまらない。空腹感も
強く、出産前後に見舞われるという精神的な不安定も、私とて
例外ではありませんでした。


給仕さんが食事を持ってくると、いつものようにテーブルに
置いてくれたのですが例によってオーダーと違う苦手なサラミや
ハムが見えた途端いらないといって泣いてしまいました。

我ながら子供じみていますが、いつも律儀にハンガリー語で
ご挨拶をし笑顔でお礼を述べるアジア人が突然泣き出した
インパクトは大きかったようで、すぐに栄養士さんが部屋を
訪ねてきました。

なぜオーダーしたのと違うものが出てくるのか?
チーズが好きなのにサラミやハムばかり出てくると訴えました。

すると彼女曰く、「あなたは出産後で栄養価の高いものが
必要です。あなたが毎日出してくるオーダーでは量も種類も少なすぎて
栄養が足りません。ですから、私のほうで相応しいものを幾つか
加えたり差し替えたりしたのです」と胸を張っています。

なんと、親切心、それも私の身の上を思ってのことでした。
しかし、このときばかりは精神的にも参っていたので
思っていることを率直に伝えるよりありませんでした。

「私は日本人です。お米が好きです。でも食べられないので
パスタやサンドイッチを頼んでいます。塩辛い食事は苦手です。
肉類のなかではサラミが特に脂っこくて苦手です。チーズが
好きなので、チーズ系のものをオーダーしています。」と。

泣きながら「いま、私が選べるのはチキンスープとチーズ系の
サンドイッチくらいで他には食べたいものがない」と訴えると
親切でしてきたことだけにショックだったようで、しばらく
話をすると「とにかく食べなければ。お好きなものを食べなさい」
という結論になりました。

いまとなっては栄養士さんに気の毒なことをしたと思います。
ですが、あのときは私も必死でしたし、やっぱり堪忍ね、という
キモチで振り返る出来事です。



注:
食事の好みには個人差があって、この先入院する日本女性が
皆さん私のようにしょげかえるとは思いません。
あくまでこんなことが在りました、程度に受け止めてください。
病院やハンガリーを中傷するものではありません。


追記:
毎日見舞いに来てくれる夫に頼んで、夏の買い物に使うような
プラスチック製の保冷ボックスを1つ部屋に持ち込んでいました。
そこへ、フルーツジュースやトマトジュースを買って入れて
おいてもらい、食事時間以外の喉の渇きや空腹を慰めていました。

産院での食事 

2008年05月26日 | ハンガリー(妊娠・出産)
更新がなくても毎日見に来てくださる数十人の皆さん、いつも
本当に有難うございます。(無料で利用しているgooでは
アクセスしてくれた人の数だけは分かります)

さて、表題の件は詳しく書きたかったのですが引越しのドタバタ
で入院していたときにつけたダイアリーが見つかりません。
印象だけをもとに話しますがご容赦ください。

私が出産した2006年冬、テルキ病院での食事は、
部屋に置かれたメニュー(A4の普通紙にプリントされたもの)から自由に
選ぶことが出来ました。

事前に用紙が配られて、自分で記入します。わりと時間をあけずに
オーダーの回収が来てしまいます。付き添いに来る家族の食事も頼め
ますから、相手の好みも聞いていたら、結構迷います。貰ったらすぐに
とりかかるか、空いてる時間に有る程度考えておくとよいでしょう。

メニューは、英語とハンガリー語の両方でかかれていたと思います。
サンドイッチ・スープ・パスタ(ペンネ)・肉料理・ヨーグルト
などに加えてコーヒーや各種ソフトドリンクと満遍なく揃ってました。

病院スタッフではなく1階レストランのスタッフさんがお部屋まで
運んできてくれます。

出産を済ませて、授乳の仕方を教わったり産後の母体のケアとなる
メディカルチェックやbabyの検診・予防接種もあわせてちょうど
7日間。

それだけいると食事メニューも一通り把握してしまい、
頼むものが決まってしまいました。

飲み物はフレッシュオレンジジュースが最高で、
絞りたてのジュースがジャーに入って届くと
毎朝待ってましたとばかりにゴクゴク飲みました。

産後の授乳は、体温がカーッと上がって喉が乾いて
たまらないもの。オレンジのツブツブが入ったジュースは
身体に吸い込まれるような爽やかさでした。

パスタ類は、大きなペンネにインスタントのソースを
かけたようなお味でしたが、イタリアンレストランに
行かない限り、ハンガリーのカフェで出るパスタは
みんなこんな感じですから標準だと思います

他に日本人の私に意外なほど懐かしく味わえたのは
チキンスープでした。さっぱりとした鶏がらのおだしで
鶏肉と野菜とそうめんのようなものが入ったスープは
見た目も透明で飲みやすいものでした。

で、それ以外にしても格別マズイということはありません。
ただ、限られたメニューのなかで入院日数×3ともなれば
単純に考えても回数が多い分、行き詰まりやすい・・・。

それが、塩辛い味付けが「たまの外食」ではなく、ずっと続く。
もともと、しょっぱいのが苦手な私には堪えました。

それほど日本食にこだわりがあったわけではありませんが、
疲れた身体を癒すには白いゴハンの柔らかさ、甘さ、主張しない
優しさが格別と気づかされた期間でした。

退院は土曜の午後だったのですが、正午に昼を済ませてから
出ようということで「おめでとう」と夫がロージャケルト
ショッピングセンターにあるスシ店で買った鉄火巻のお弁当を
持参してくれたときは不覚にも泣きました。(笑)

普段なら、「なにこのマグロ、黒すぎて気持ち悪い」とか
「すんごい高い。なのに、きつすぎるワサビで鮮度を誤魔化して
ないか怪しい」とか根拠もなしにひどい悪態をつきますが。

このときばかりは、マンネリした食事にしょげかえっていたので
美味しい美味しいと一気に一人で平らげてしまいました。
いまとなっては懐かしい思い出。

私は産後の身体に力が入らない状態も、髪をふり乱して
「ああ、お乳出てきて!赤ちゃんに飲ませたいの!」と
祈るような心地で看護婦さんと授乳訓練に挑んでいたときも
お見舞いに来られたら困ると思っていました。

でも、ゲッソリしたノーメイクの顔や貸し出された入院服
一辺倒で着替えもしなかった私でも、母と同年代の友人で
かっこ悪い自分も見せてOKだった知人が差し入れてくれた
ブルーベリーマフィンやおにぎりには痺れました。

もしご出産を考えていらしたら、気の置けない友人を
作りましょう。幸運にも本当にリラックスできるお相手と
友達になれたのでしたら、産前に頼んでおきたい。

お祝いなどギフト系の気遣いは無用なので、おにぎりを
数個、ラップに包んでお見舞い時に持ってきて・・・と。

というようなことを、後に続く女性には話しておこうと
今にして思った次第です。

        ^-^

現地出産と帰国出産

2008年05月05日 | ハンガリー(妊娠・出産)
産後は、母の帰国後に備えなければと強く感じました。
昼間、自分ひとりで赤ちゃんの世話をし、自身の食事や
家事をこなして行けるかと言う大きな不安の裏返しでした。

そして、ブダペスト滞在中の母に肩身の狭い思いをさせても
夫婦揃って大真面目に「どうやって赤ちゃんのお世話をし、
自分達の暮らしを維持していくか」に意識を集中しました。

母という頼りになる存在、支えを時限式に現地暮らしから
失う恐怖感のおかげで瞬発力さえ伴えました。

また、その一点で夫とも共同体意識が強まり、一般に遅いと
言われる男性側の「親になった実感」は出産に立会った
瞬間から始まり、そして強固にされていったように見えました。

こうした経緯から、条件が整っていて自分にそのキモチがあれば
「ブダペスト出産は旦那様にとってもいいよね~」と素朴な感想を
持っていました。

しかし!

滞在中に得られた数少ない知人の一人、同い年で気の合った友人は
私に続いて偶然妊娠されたのですが帰国出産を選びました。

出産3ヶ月前に日本に戻り、産後3ヶ月でハンガリーに戻ってきた
友人。ずっと会えなくて寂しかったのもあるのですが、純然たる
キモチで「酷な質問だけど、ご主人と離れて暮らすの嫌じゃなかった?」
と聞いてしまいました。

「そりゃ、寂しくなかったわけじゃないよ。でも、産後のあの育児に
追いまわされる時期、夫を振り回さないで済んだよ。ブダペストで
仕事に忙しく疲れている夫をドタバタに巻き込まなくて済んで
本当によかったと思う」と話してくれました。

目からウロコ!

正直に帰国出産する妻のキモチをぶつけてくれた友人に感謝すると
ともに、現地出産を選んでも帰国出産を選んでも働く夫の健康を
第一に願い、大切に思う気持ちは同じなんだと心を打たれた一瞬でも
ありました。

出産と母

2008年05月04日 | ハンガリー(妊娠・出産)
そもそも論「ブダペストで産む」のが全てではありません。
もともと少数派で、日本に帰る人のほうが標準です。

それでも、現地出産したひとに話を聞きたいという方は多く
いらっしゃることでしょう。ですから、あくまで私個人の体験
ですが、それでもよければ参考にして下さい。

私の場合、母が半ば受難といった形になりました。
妊娠の報告と同時に、予定日の前後トータル1ヶ月ほどハンガリーに
来て欲しい、と当然のようにお願いしてしまったからです。

根拠は、まるっきり先入観でした。まだ妊娠もしていない頃、知人の
日本女性がブダペストで出産しました。後日、彼女から「1ヶ月間、
日本から母にきてもらった」と聞いて以来、「海外出産なら母を
呼びよせるもの」という意識が出来上がってしまっていました。

簡単に頼む娘に困惑している母の様子は受話器越しでも良く分かりました。
一人で飛行機に乗ること、英会話が必要とされる可能性が高いこと、
ブダペストへの直行便がないことなどプレッシャーが重くのしかかって
いるようでした。

そこで、少しでもプレッシャーを減らすため乗り継ぎを回避しました。
夫のほうからブダペスト・ウィーン間の車での送迎を申し出て
くれたのでウィーン止まりのチケットを手配しました。

(ウィーンの空港なら小ぢんまりしていて迷いにくい。ANAと提携している
オーストリア航空もあり、日本語の話せるスタッフもいるだろうと考えました。)

が、当の母にしてみれば単身海外へ向かうことには変わりないし、
無事に夫の車に乗り込むまで不安だったことでしょう。

出産のための入院5日間のうち最初の2日は、母に付き添って貰いました。
(家族も病院に泊まれます。詳細は「ハンガリーでの妊娠・出産に関して」
参照のこと)

退院して、生まれてはじめてのママ・ライフが始まると昼夜を問わぬ
授乳で細切れの睡眠。買出し、食事の支度、アイロン・掃除機かけと
いった家事も、母頼み。

いまでは、悪いことをしたと思います。毎日ココで暮らしている私に
とって日常でも、母にはどうだったか?何日か前に来て、一度か二度
案内されたくらいで一人で買い物してきてと頼まれるのはストレス
フルだったことでしょう・・・

母は、最初にノドや鼻を乾燥で痛めました。冬でしたので暖房と水の
違いからか肌はカサカサ痒くなり、ボディローションをマメに塗るよう
薦めたりしました。

時差と、長いフライト・濃い味付けの機内食など、もともと眠りも
胃腸の具合も悪いようでムリをさせるのに気が引けました。更に
なににつけ思い出すのは、留守宅の父のこと。心配そうでした。

このため、母を早く日本に帰してあげなくちゃ、と強く思いました。
半面、母の帰国後、ひとりでやっていけるのかとても不安でした。

産後の体調が回復し、ムリがきくようになってくると同時に夫と率先して、
普段通りの暮らしを取り戻そうと試みました。なるべく母には見守って
いて貰い、なんとか赤ちゃんのお世話を生活に組み込もう、そのリズムに
なれよう、としました。

そうなると家事を切り盛りし、忙しく立ち回っているのが好きな母。
折角来たのにすることがないと言って寂しげなばかりか、段々
腹立たしげになってきているようでもありました。

結局、夫と相談し、少しだけでしたが滞在予定を縮め、前倒しで
帰国してもらいました。

そういうわけで、私は里帰り出産ならぬ、呼び寄せ出産をしました。
やはり、いちばん身体のキツイ時期は母に食事の支度や買い物を
頼めたのは大きな助けでした。

しかし、「これが標準でしょう」と同じことを他のお母様に
強いるのはやっぱり酷なのではないかと思っています。

ご自身が現地出産か帰国出産かに悩む以前に、母君の
キモチも聞いてみると参考になるかもしれませんね。

(改めて、頑張ってくれたお母さん、有難う!


母子手帳

2008年02月12日 | ハンガリー(妊娠・出産)
ようやく引越し先でもネットにつながりました。
でも、部屋が片付いていないのでパソコン部屋の入り口に付近には
山のような荷物があって、隙間を縫って椅子にたどり着き、そぉーっ
と打っています。(引き続き、更新は不定期になりそうですが
お許しくださいますよう・・・)

ようやく旧居に戻り、住民票を得てみると乳幼児健診など自治体が
行っている子育て支援について知識ゼロのため、区役所から
福祉センター窓口を案内されました。

申請しておけば乳幼児が医療にかかるとき補助が受けられることや、
日本で産んでいれば集団検診の案内が来るといったことがわかりました。

そこで、お勧めするのが帰任されて住民票を取ったら、まず
福祉関係の窓口を訪ねて母子手帳をもらうこと。(地域の子育て支援
プログラムのしおりなども貰えますので行くと情報が得られます)

自治体負担の1歳半検診も2歳のお誕生日までは受けられるという
ことで早速、集団での歯科検診と個人での内科受診をしてきました。

毎回必ず「母子手帳を出してください」「それが、まだ持って
ません。」のやり取りになります。

住民票を取った日に、申請してもらっておけばよかったと思いました。
「海外で出産したもので・・・」などと説明する手間も
後に並んでいるママたちの面倒くさそうな顔も避けられます。

ハンガリーでは専らFirst Med Centerで貰ったアメリカ版
Baby Bookで成長と予防接種の記録をつけてもらっていました。

妊娠がわかったとき、日本の母に頼んで自治体に受け取りにいって
もらった母子手帳もハンガリーで手元にあったのですが、うんと
小さいときはよくネンネしてる時間を見繕って開き、ポツポツ
書き込みもしていたのですが・・・

途中からまったく省みなくなり、日本の母子手帳への書き込み
を怠っていたため今頃あたふたしています。

引越し荷物のどこに紛れているかも思い出せないので、ちかく
区の保健センターへ行ってもらってくるつもりですが・・・

母子手帳は自分で申請しないと黙っていてももらえませんから、
ハンガリーで出産されるなら、「帰国したら母子手帳申請」と
覚えていらっしゃると良いでしょう。

・出生体重、血液型
・妊娠週数
・受けた予防接種の種類と回数
・首すわりした月齢
・ハイハイした月齢
・一人歩きした月齢

少なくともこの程度は日本語でメモしておくと、あとで母子手帳への
書き込みがしやすいだけでなく集団検診の問診票への書き込みも
楽に行えると思いました。

妊娠中にご家族に頼んでもらっておくと、ハンガリーで生まれてからの
さまざまな成長発達の記録(ママが書き込む欄がたくさんあります)が
取れるのでなお良いと思われます。


出産のこと 3

2007年03月11日 | ハンガリー(妊娠・出産)
妊娠がわかって最初の診察から始まるのは英語のやりとり。
そうでなくても病院というところでは余計な質問をして良いのか
と気を回し、タイミングを逃してしまうもの。

しかし、ここは外国。
聞かなきゃ、言わなきゃと肝に命じました。

この本の実用的且つ豊富な英文質問例から引用したり、参考にして
単語を入れ替えて作文し、ノートに纏めました。

毎回、診察に入るとすぐそれを見てもらいました。(英文は次の検診日
までに準備すればいいので、日本人の得意な読み書きが活かせます。)

これは英語は分かるけれど、その場でポンポン聞いたり、話したり
するのは苦手なのだと相手に伝わって良かったと思います。

日本的な以心伝心を期待せず、「もうすこしユックリ話してください」
「なんとおっしゃったか分からなかったので、書いてもらえますか?」
と勇気を出して頼みました。

毎回、電子手帳を持っていき、ちょっとした単語のつまずきなら
待ってもらえるので、その場で検索したりしました。

ちょっとしつこいかしら?という質問をしたいとき。
その場に居ない主人に悪者になってもらえば角が立たないので、
「夫が聞けと」「帰ったら夫に説明したいから」「これはしないですね」
「これは○○の検査ですね?」などと曖昧な点を残さないようにしました。

こうした努力は、ごく当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが
案外と気力を要します。今振り返っても、検診前は予約から緊張して
いたものでした。

でも、海外出産は自分の一存で決めたこと。せめて「ハンガリーで
産んだからこうなったと言わない」、「考えられることは全部やった
のよとbabyにいえるように」、「日本でしても後悔する人はする」と
考えるようにしました。

空気を読む、行間を読む、というのが習慣化している日本人にとって
「分かっていることもあえて言葉にして確認を怠らない」ほどの
積極的なコミュニケーション姿勢を保つのは容易ではありません。

それでも、おなかにいる赤ちゃんを思うと段々「母は強しだ、
私にもできるはず」と強くなっていけました。^-^

また、今の時代、日本の本やインターネットを通じて、日本と海外で
異なる妊娠中の診察過程も有る程度確かめておけたので、助かりました。

そして、医師や助産士さんの側から見ても「(言語の違いで)あやふや
な理解のまま出産に臨むひと」よりは「自分でも調べてくるひと」
「ゆっくりで地道でも意思疎通しようと積み重ねるひと」が歓迎される
のだなと感じました。

出産までの何度も有る検診の間に、先生と助産士さんが私のつたない
英語のクセを知り、何を不安に思い、どういうことを心配するかを知り、
私という人間に慣れていきました。

そして私もまた、先生や助産士さんの英語やお人柄に慣れる・・・。
それは、互いの信頼が蓄えられた過程といえました。

不安な出産の瞬間を支えたものは、あの信頼感だったと今も思います。



出産のこと 2

2007年02月19日 | ハンガリー(妊娠・出産)
「本を読んでください」の話は、ひとまず横に置いておくとして、
たとえば何を考えたらいいの?という方に・・・

我が家のケースで言えば、最初のうち「こどもができたら・・・」という
仮定の話、男のひとには想像しづらそうでした。「奥さんの好きなように
していいよ」とニコニコするばかり。

「○○のとき、どうする?自分でアイロン当てて出てってくれる?」などと
話すうち、徐々に実感をもって聞いてくれる空気ができした。

そのうち、自分で当地で出産した知人の奥さまのケースを聞いてきてくれたり、
男性側の心の準備が始まってドンドン頼もしくなってくれたのを覚えています。
                           

内容が重複するQuestionもありますが、たとえば・・・ 

____________________________

・出産は10ヵ月後だけど、妊娠中いつからいつまで当地で過ごす?

・出産に備えて3ヶ月前から帰国する?日本に戻ったら産後は何ヶ月
ころハンガリーに戻る?そのとき迎えに来て一緒に飛行機に乗ってくれる?


・出産は日本?ハンガリー?それはブダペスト?いま住んでいるところ?

!日本に帰る場合、実家に近い産院に通えると思う?(How to本では、
出産間際に地元から実家近くへの転院は通院のみで出産を断られる
ケースもあるとか。早めに準備するよう注意書きがありました。)


・ブダペスト以外の都市で暮らしている場合、妊娠中、検診に通うに
ふさわしい英語の通じる医院はある?

!地方都市で、ハンガリー語しか通じずカタコト・コミュニケーション
でも不安が残らない?何度でも問い返し、紙に書いてでも答えてもらう
といった努力は苦にならない?


・地方都市かブダペストかを問わず、英語でのコミュニケーションや
体調、交通の問題など何か困ったとき、ご主人に協力を仰げる?

・地方都市かブダペストかを問わず、自然分娩でなく帝王切開になると
いった予想外の展開になっても先生や医療スタッフを信じて任せられる?
あとで「日本で産めばよかった」と思わない?

・地方にお住まいの場合、産前産後だけなど期間限定ならブダペストに
引っ越すという選択肢はあり?

!妊娠するとトイレが近く、長時間揺られるとおなかが張って苦しいことも。
「妊娠中の検診と出産だけ、ブダペストへ通う」方式は個人的には
おすすめしません。やむを得ずそうするとしても、最低でも出産3ヶ月前
くらいにはブダペストに引っ越していたいかも。


・今住んでいるところにエレベーターはついてる?ついていれば自分と
乳母車の両方が余裕で入る大きさ?

・今住んでいるところは、坂の途中だったり、急な階段を通らなければ
大通りに出られない場所ではない?

!妊娠中は坂が思いのほかキツく。ゆるくても長い坂だと苦しいので
勾配の問題ではありません。また冬期は雪が積もるので足を取られる
心配があります。

・今住んでいるところは、近くに食料品や生活用品が1軒でいろいろ
揃えられる商店かスーパーマーケットはある?

!つわりがひどい時期や、産後すぐなど買い物自体が億劫に。サッと
行ける、徒歩でも短時間で戻れる距離にあると便利。(ベビーカーで
行き来できる道があるかも良く見て。)
____________________________

今すぐに答えを出そうとして話しあうのじゃなく、思い出したときに
「そういえば妊娠したら○○はどうしようか?」とか「こどもができたら
生活変わるよね」といった感じで。

一気に考えて深刻な気分になるのでなく、二人でちょっとずつ心の準備を
していけたら嬉しいですね。

出産のこと 

2007年02月15日 | ハンガリー(妊娠・出産)
ハンガリーで出産しようかなァと考えている方のために・・・。
(あくまで個人的な見解ですので、あらかじめご承知ください。)


「日本人で出産した人も居るらしいから、私も産めるかな?」

「帝王切開になった人が多いらしいから怖いな・・・」


でも、「日本女性」とひとくくりに言って、医療機関や担当医師は
みんな同じ?出産前の健康状態や妊娠経過もみんな同じ?

日本女性は、もともとこちらのひとに比べて小柄。そして女性によって
大変スリムだったりすると、担当医師の不安は倍増するかもしれません。

自然分娩にこだわらない文化的背景も手伝って、帝王切開率が高い。
危険回避が遅かったと後で追求されないよう、比較的早い段階で
判断されるものなのかもしれません。

個人的には幸運に恵まれ無事に出産できましたが、といって皆さんに
オススメしたいとも思いません。

なにしろ日本なら言葉の不安もない。妊娠中に限らず、産後の
体調回復まで家族の全面バックアップあり。心身ともにリラックス
できることが分かっています。

そして黙っていても妊娠とともに自治体や医師や看護士から
ふさわしい時期にふさわしい案内が得られそうな日本と比べ、
自分から働きかけないと何も起きない。

調べ物したり質問したり書きとめてもらったり。「あなたのお産、
どうしたい?」と出産までに何度となく問われ、「こうしたい」
という意思表示をし、共通認識を培っておく・・・。

日本的「以心伝心」を期待する心が出てくると、聞くに聞けず、
言うに言えず。気が付いたら流れ作業的に診療が終わってしまう。
毎回心を奮い立たせて積極コミュニケーション!結構しんどい。(笑)


母親学級で同席したドイツ・フランス・アメリカなど各国ママを見て
実感したのは「欧米人にとって出産は医師が主導するものではない」こと。

もちろん健康状態と相談しながらですが、「麻酔分娩」「スケジュールの
関係で計画出産(帝王切開)」など様々な選択肢の開示を受けて、医師に
リクエストし、納得行く形で産むぞという姿勢が見えました。

助産士さんに対する彼女たちの質問が、麻酔による無痛分娩に集中した
ことは特に印象的でした。

診察料の高いFirst Med Centerでの英語ママクラス。でも、ある
フランス女性はリーズナブルに済ませたいようで、出産施設だけは
公立病院ですると言いました。

その場合、提携している私立テルキ病院で産むのと違い、何から何まで
持参しなければいけません。助産士さんは、戸惑わないよう心配して
実に細かい点まで時間を割いて説明していました。

(個室なし、トイレは共用スペースまで歩く、タオルからスプーンや皿や
コップ、それからそれから・・・。必要なものを聞いてるだけで厳しい条件に
圧倒されました。)


ノーラ・コーリ著「海外で安心して赤ちゃんを産む本」は、何から考えれば
いいのかサッパリ見当がつかない私たちに優しく答えてくれる良書。
いつも薦めていますが、やはり必携の1冊と思われます。