或る双子座の日々

這是一個雙子座的生活日記。
つれづれなるままに

隨に|意識したことなかった

2024年04月04日 | 2024
入学関連で自ら画面入力を進めていくのを「おおきくなったもんだ」と眺めてたら
送信ボタン押す前に家族名等のダブルチェックをとスマホを渡されて目を通すこと
になった 

スクロールしていくうちに、中学の卒業年度や高校の入学・卒業年度欄が出てきた
年号であれ西暦であれパッと確認できると信じて疑わなかったらしい

「いや念のため、検索させて本当にすぐ見られるし安心だから」というわたしに
「ママはこどものこと何でも知ってるんじゃなかったの?」「なんかショック....」
と言われてしまいこちらもショックだった

「だって履歴書に書くのは自分のもので....いつまでも小さいと思ってた我が子の
入学・卒業年度がいつかなんて意識なかった ごめんね」

早生まれさんは足し算で簡単に算出とはいかず間違わぬよう気を使うのにな....

夜、手帳に書き出してみてここまで来てしまった自分に改めて驚いた
母親になってからはもう、衛生だ安全だ、栄養だマナーだ、気遣うことだらけ
だからどれもこれも「やるしかない」で駆けてきた 
急に目の前に現れた「もう大きい子の親」の看板は大きすぎてよく見えない

その大きな子はといえば、新生活への不安から、何かといえば弱音を吐いて、
派手な八つ当たりを繰り返してくる 情緒の上がり下がりが激しくて見ている
こっちだってしんどい せめて慌てずに耳を傾けてやらにゃぁと思う

けど母ちゃんだって人の子だ 定期券の買い方一つ取ったって昔と様変わり
してて、駅も人員配置を減らす一方だ 接続する経路次第でSuicaとPASMO
をどう組むか等でターミナル駅まで行かなきゃ難しいらしいような話で
そんな相談をする夫と子を眺め、デジタル化してるようなしてないようなだね
こりゃと我が子を通して見聞きするあれこれがいちいち新しい

そんな全部と折り合ってしれっと大人の風を装わなきゃならんのだ
なぁに痩せ我慢でいっぱいよ

さて今までも乗り越えてきた これからも乗り越えられるはず
お茶でも飲んで一息入れよう

隨に|なんとかなった

2024年04月01日 | 2024
一般受験で進路が決まり、卒業ディズニー行く、わかった、ネイルやって
みたい、髪型変えたい、卒業式終わるまでは待って、卒業したから予約、
わかった、だのなんだのと校則の抑圧を離れる喜びを爆発させる子を眺め
ちょっと待った入学前に必要なものはなんだとバタバタと

携帯を新機種に変え、ノートPCを調達し、その持ち歩きに使うリュックも
高校3年で使い倒した特大から標準サイズでノートPC収納用パット内蔵型で
買い直し

就職活動で必要になるので入学式に臨んで用意すると良いという大学側から
のアドバイスに従って、ジャケット・スカート・パンツの3点セットを探しに
出かければ、売り場担当にその上に着るコートも勧められ、ブラウス、バッグ、
ベルト、ストッキング、パンプスも合わせて購入。裾上げ等の加工があって
受け取りは入学式の2日前という綱渡り

子育てというと幼い子を持つ時期が一般に思い浮かべられがち
でも、当たり前だけど、人はいきなり大人になどならない

中学、高校、受験、入学後と続く「大きい子を持つ親」も物心両面での
支援に追われ慌てる毎日だ

自分たち世代と違う持ち物や考え方、社会のあり方という大きな渦の中に
放り込まれ、絶えず価値観の上書きを迫られている


みんな同じようなスーツを着るのは約30年前の私たちだって嫌だった
だけど入学式はまだ服装自由で何着たらいいかと悩んだんだった....とか
スーツ選びは、紺・グレー・黒とまだ幅があって、自分に似合う色が
わからないなら紺色が無難とされて一番人気だった
わたしは白と水色のシャツを買って、前者は紺、後者はグレーのスーツ
に合わせて心身共に滅入るあの時期を乗り越えたんだった

黒しかない売り場で「サイズ違いを持ってきて」という試着室の声で
我にかえり、母親の自分にかえった週末だった

隨に|受験生がんばれ

2024年01月13日 | 2024
今日と明日は共通テストですね

数日前から痴漢は全力で阻止していこうって各交通機関や警察、通勤中
に見かけたら協力すると心に誓ってくれてる大人のぜんぶに幸多きこと
を祈りたい

今日は少し前から断続的に盛大な雷鳴が轟いている
窓越しに稲光が白く閃いて、道路を走るタイヤが水滴を引く音がする
数時間、音だけだったが空を見なくても降ってきたのが分かる

3時過ぎから英語を解いてるだろうこどもたち
昼間から暗くなってしまったうえに試験最終盤の5時過ぎからヒアリング
試験が控えてる

気が散るから、その間だけでも雷神様に眠っていてほしい
みんな集中力が途切れませんように
普段通りできますように

隨に|次行ってみよう

2024年01月08日 | 2024
主婦として母として、ある年代になるとみんな転職を避ける。

6月に入った職場は下は40から上は還暦過ぎまで在職。
「長くお勤めいただける職場です」と自慢げだった。
「無理をいっても無理と言わない、辞めない年代」の方が
長く居るだけでは?との不安がよぎった。

サクラちゃん(仮名)、わたし、前に一度いたことがあるコスモス
さん(仮名)と3人が新人だった。指導担当は「質問があったら
聞いて」とは言うが、質問に答えるのも教えるのも面倒くさそう
だった。

ある日、教えられた通りにやったサクラちゃんがとがめられた。
慎重なコスモスさんもやはりとがめられた。指導担当のイライラが
渦を巻いて吐き出され、朝起きたことは午後になっても言われ、
退勤時にも言われ、次の出勤日の朝にも言われた。一事が万事、
こんな調子だった。

変更になった点が多く穴だらけの古いマニュアルが次々と降って
きては必死に手書きのメモで補いながら業務に当たった。すぐに
繁忙期を迎えた。

器量良し性格良しのサクラちゃんは弱っていった。ときどき何か
言いたそうに目を合わせるだけになり、その綺麗な目を暗く覗く
たび胸が痛んだ。9月末、サクラちゃんは辞めていった。

10月最初の出勤日、わたしとコスモスさんは会議室に呼ばれた。
「新たに数人募集するから一足先に入職した先輩としてサポート
を頼みます」と言われ狼狽した。「別に責任なんて負わせない
ですよ」「先に入ってちょっと慣れてますから新しい人たちの
不安を和らげてくれたら。それだけです」という。
コスモスさんには「習熟と進捗が速いので、同じく前にいらした
ことがある方を採用して、経験者ペアとして動いてもらうつもり
です」という。

コスモスさん向けの研修が始まり、一人になった。それまでも
遠慮しがちだったトイレや水分補給がいよいよ困難になった。
「入力が追いついてない!」と不満げなベテランや社員が席を
立って直接モニターと手元の動きをチェックしにくるように
なり、「終わるまで昼休憩はなし」で夕方近くになってお弁当
を食べた。これは俗に言う黒い職場なのでは....

わたしにも新業務の研修があり「これをこうしてこれをこう」と
デモンストレーションを見せられ、「一人でやってみて」と言う。
一回や二回、見せられただけでベテランと同じ知識がついて同じ
スピードで動けたら新人なんて世の中に存在しないではないか。
「すみません、できません」と言ってもダメだった。

やれとばかりにじっと待つ、その威圧感たるやもう。待たれても
できないので気まずくて「何をどうしてどれをどうしたのかが
わかりません」と言ったら1人は「できないとかわからないじゃ
なくて、覚えて」と怒り、1人は「何がわからないかわからない
から言って」と怒った。

こんなのはまるで部活だ。
「勝つためなら多少の強引さは必要なの」
「あなたには、反則しても勝つっていうガッツが足らない」
「勝ちたく無いの?」「一生ベンチ入りできないわよ」と
けしかける顧問が大嫌いになった。中学1年で途中退部した。
部員に無視されるのも後ろ指や陰口も顧問教師の嫌がらせも
あったけど図書室と向かい合わせの図工室で活動する美術部
に入り直してオタクな友人達に習ってイラストを描いたり、
図書室で画集をめくって気に入った絵を水彩絵の具で自由に
模写したり、体育系の高揚感・一体感はなくても特に後悔は
なかった。

「辞めたら内申書が傷つく、だから辞めちゃだめ」がいまは
「辞めたら次の職場はない、だから辞めちゃだめ」になった。

10月末、ドライアイと老眼と近眼が進み、メガネの作り直しが
必要になったのを機に辞めた。
次いってみよう、だ。

隨に|新年ですね

2024年01月05日 | 2024
お久しぶりです。

昨年はパートを年度末の区切りで辞めて、数ヶ月ゆっくり休んで、
20代以来働いたことのなかった派遣でブラック職に消耗され、
冬が来る前に辞めたというバタバタした年でした。

春先はコロナ感染後の長引く咳に悩んでやめたこともあり「療養中」
という投稿も用意していたのですが、その間に何回もお仕事紹介して
くれた担当さんメールを断り続けて数ヶ月。
ついに「近所で8時間未満で扶養枠内でPC業務で電話もとらない」
案件を「公開募集かける前に電話でご紹介したくて」という連絡が
閲覧中のスマホに受電。これもご縁かとお受けしたのでした。

今度は「新しい仕事」という投稿も用意していたけれど、「職場に
関する一切の情報発信は禁止」と情報保護研修があっただけに
「特定の職場」ではない一般的価値観でこのモヤモヤを記すには
どうしたらいいかと揉んだままに。

そのうちなんだかんだ書き留めてもどこか今さらかと。
ブログ自体も自己満足のなにかだというあまり肯定的でない気持ち
に陥って更新できませんでした。

今年は元日から色々起きて日本のどこにいてもなんだかハラハラ
したり心配になって落ち着かなかったりするわけですが、ビッグ
ニュースに事欠かないことで張り切りすぎじゃないかと違和感を
覚えるメディア放送もある始末。家人が定時のニュースを見るので
付き合って少しは見るけどあまり見たくないです。

リアルタイムで共有できる情報源となったネットでも「推測段階」
であらゆる言説が猛スピードで流れて。危機意識をもった良識人は
急いで訂正情報を入れてくれる。あらあらまぁと方向転換できない
ひとは、当初の意見により執着する。その交錯ぶりを見てたら、
ああなんかブログのゆっくり加減は大事だなって。

ある程度の関心は持っても、繰り返し視聴して精神的ダメージを
自分から受けに行かず、距離感と触れる頻度の調節が大事で。
こういうときに「暴走する正義感」で目の前の話題が本当なのか
深く調べないのは軽率だと意識するのも大事で。
あえて気を落ち着けようと普段通り過ごすことも大事だなと。

新しい年は吉祥であって欲しかったけど先祖代々が自然災害に
繰り返し耐え忍んで生きてきた日本だ。
もともと人間は天変地異を避けられないし、事件事故だって
戦争さえも世界のどこに暮らしてたって起きる。

「日本全体が暗闇に沈んでいくような不安」に乗っかって
悲観的になったり攻撃的になって誰かを標的にする空気に
なったりは嫌だ。
「もうダメだ」「日本は終わりじゃん」といった言葉に
やすやすと取り込まれてたまるか。

Cool head, Warm heartで2024年を歩んでまいりましょう