現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

朽木祥「水の緘黙」八月の光所収

2018-11-10 09:53:21 | 作品論
 被爆体験を扱った連作短編集の最終作品です。
 前の二作とも絡めて、作者の作品に込めた意図が鮮明に表れてきます。
 悲惨な被爆体験と生存者の苦悩について、それを記憶することと語り継ぐことの大切さが繰り返し述べられています。
 また、控えめな扱いですが、宗教的な救い(この作品の場合はキリスト教)も背景に描かれています。
 被爆体験を記憶することや語り継ぐことの大切さに対しては異論はないのですが、それらはもう繰り返しいろいろな媒体を通して描かれてきたのではないでしょうか。
 一方で、核兵器の脅威は、今でも変わらずに存在します。
 例えば、イスラエルとイランの間では、互いに核兵器を使うことが懸念されています。
 北朝鮮の核開発は、われわれ日本人にとっても脅威です
 この作品が新しい戦争(特に核戦争)児童文学であるならば、そうした現状に対しても読者の目をむかせる工夫がなくてはいけないのではないでしょうか。
 また、あとがきで、東日本大震災や津波と、核兵器の使用や福島の原子力発電所の事故を同列に扱っているのも気になりました。
 東日本大震災のような天災と違って、核兵器の使用や原子力発電所の事故は明らかな人災です。
 そういった人間が犯した罪への糾弾も、新しい戦争児童文学の大事な役割ではないでしょうか。
 いろいろな政治的あるいは宗教的な立場があって、なかなか作品化をすることは難しいでしょうが、それをなくしては今までの作品からの進展がないと思います。

八月の光
クリエーター情報なし
偕成社

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『八月の光』について (NEKO)
2012-10-30 00:07:45
この論について、考えたことを少々書かせて頂きます。私たちは、いつのまにかヒロシマという過去を、あなたのおっしゃるような「既視感」や「何度もどこかで読んで知っている」程度の認識にまぎれて失ってしまい、再び美しい土地を核で汚してしまったのです。「知っている」ということと、心に刻む、刻印するということは全く違う営みです。この『八月の光』という短編連作は、ヒロシマという世界で唯一の戦争における核被害を、「今」に繋ぐ営みだと考えます。 シベリアで収容所生活を送った詩人の石原吉郎は、「一人の死を置きざりにしたこと。いまなお、置きざりにしつづけていること。大量殺戮のなかのひとりの重さを抹殺してきたこと。これが、戦後へ生きのびた私たちの最大の罪である」と述べています。この実体験からの生きた言葉は、百篇の机上の論理よりも説得力があります。ややもすれば「何万人もの人が死にました」という記述の中に埋もれてしまうかもしれないたった一人の命に寄り添い、その物語を刻むこと。そのことのみが、次世代に繋ぐ大切な記憶として生き続けるのだと思うのです。物語とは、たった一人の心に寄り添うからこそ永遠の命を得るものではないでしょうか。物語には作品世界というものがあります。あなたのおっしゃるように叙事的に現在も核の脅威は存在しているということをこの物語の中で語ることは物語の一番大切な作品世界を殺してしまうことでしょう。 また、あなたの論で、この作品における言葉の力について全く言及されていないのが気になりました。例えば石段に焼きついてしまった影についての短編『石の記憶』ですが、私もこの影については知識としては知っていました。しかし、朽木氏のイメージの喚起力のある言葉で語られる物語として再生されることで、私はその影の「心」をしっかりと感じることが出来たのです。そこを見ないのは、作品論として如何なものかと思います。物語とは、理屈ではなく心で感じるものなのではないでしょうか。 そして、後書きで朽木氏が「あとがきで、東日本大震災や津波と、核兵器の使用や原子力発電所の事故を同列に扱っている」と書いておられますが、それは誤解を招く表現です。朽木氏は、それらを史実としてひとまとめにしているのではありません。事故や戦争により大きな悲しみや痛みを経験した心の苦しみについて、言及しているのです。震災であれ、人災であれ、身近な人を失うということの苦しみは、変わらないはずです。3.11の震災の折に、この『水の緘黙』の主人公のような苦しみを味わった人はたくさんおられることでしょう。朽木氏は、残されたものの苦しみに焦点を当てることで、2012年の今を精一杯に生きようとしている人たちの心にも光を届けようとしているのではないでしょうか。その意味においても、この物語は現在と響きあう作品だと思います。
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