講師は、散文・説明的なことばで書く現代児童文学に対して、詩的・象徴的なことばで心象風景を描くものを「童話」と定義しています。
小川未明、宮沢賢治、立原えりか、安房直子、斎藤隆介、あまんきみこ、江国香織など、大正期にはじまり現代につづく、「童話」の系譜をたどって、その思想と方法について考えるとしています。
最初に、講師が現代の代表的な童話作家(教科書に取り上げられている作品数が断トツに多いそうです)だとする、あまんきみこのデビュー作「車のいろは空のいろ」(1968年)を取り上げています。
そして、現代児童文学を代表する論客である古田足日の評価(「現代のファンタジィを(1)」〈児童文学時評〉『学校図書館』1968年7月号初出/古田足日『児童文学の旗』理論社(1970年)所収)を紹介しています。
「あの本の作品はすべて長編の出だしだと思った」
「くましんしのイメージは新鮮だが、タクシーの運転手がそのくまと出あう、という創作方法はどうなのか。連続する人生の一部を切り取り、人生の一断面をのぞかせる、というこの方法は、過去の童話の方法であった。」
「くましんしに出あうのは物語の発端であり、そこから「何か事件がはじまるべき」なのである。そして、その物語の展開の中で、くましんしのイメージはより豊かに、よりあきらかになっていくはずだ。」
ここには、あまんきみこの童話性と現代児童文学の思想の対立があると、講師は述べています。
他の記事にも書きましたが、1950年代の「童話伝統批判」は、現代児童文学の成立に大きく寄与しました。
その「童話伝統批判」は、古田足日も所属する早大童話会「『少年文学』の旗の下に!」(「少年文学」1953年9月)によって、口火が切られました。
講師は、彼らの「童話伝統批判」をささえた問題意識は、詩的・象徴的なことばで心象風景を描く「近代童話」では子どもをめぐる状況(社会)を描くことができないので、散文的・説明的なことばで描く「現代児童文学」が必要になったとしています。
一般的には、1959年に、佐藤さとる「だれも知らない小さな国」といぬいとみこ「木かげの家の小人たち」の、いずれも小人の登場する長篇ファンタジーが出版されてから、現代児童文学は成立したとされています。
講師は、それらが「戦争体験が下じきになっている」と指摘して、当時の新しい書き手には、共通体験としての戦争があり、それを描くことが共通テーマだったとしています。
それはその通りなのですが、そこから「戦争」を描くために、「現代児童文学」では散文性の獲得が必要だったとする講師の意見には、論理の飛躍があるように思われます。
まず、講師自身が小川未明の例をあげているように、「戦争」を描く方法としては、必ずしも散文・説明的なことばで書く「現代児童文学」の長編だけではなく、詩的・象徴的なことばで描く「童話」の短編(今西祐行「ひとつの花」など)でも可能です。
次に、「童話伝統批判」が行われたころの1950年代の社会状況(労働組合結成、労使対立、60年安保闘争など)を考えると、彼らが「現代児童文学」が描きたかったものは、「戦争」(実際には「反戦平和」と言った方が正しいでしょう)よりも、「階級闘争」の方が強かったのではなかったのではないかと思われます。
なぜなら、講師自身が整理している「現代児童文学」の問題意識のひとつである「変革の意志」は、明確に「社会の変革につながる児童文学をめざす」としていて、その作品としての最初の結実は、前述の早大童話会のメンバーであった山中恒の「赤毛のポチ」(労働組合結成も描いてます)だったからです(関連する記事を参照してください)。
しかし、この路線(社会主義的リアリズムと呼んでいます)は、その後の山中恒の離脱などもあって行き詰まり、「現代児童文学」が描く主な社会状況は、1960年代に入ってから講師が指摘するような反戦平和(「戦争児童文学」)などに変わっていったと思われます。
ただし、詩的・象徴的なことばで描く「童話」が長編に向いていなくて、長編を書くためには散文・説明的なことばで書く「現代児童文学」が必要だったという講師の指摘はその通りだと思います。
講師は、現代童文学のなかの童話の系譜として、ここでも古田足日の言葉を紹介しています。
「彼女たち三人(あまんきみこ、安房直子、立原えりか―講師註)は、ぼくの見方では小川未明の正統な後継者である。」(古田足日「あまんきみこメモ」(「国語の授業」1986年2月)。
そして、講師は
「未明は古田さんが「さよなら未明」といった人なのですから、「正統な後継者」というのは古田さんにしてみればいささか複雑な思いで眺めた人たちではないかと思います。」
と、述べていますが、この意見には異論があります。
他の記事にも書きましたが、この時点で古田足日はすでに優れた「童話」(小川未明も含めて)が「現代児童文学」ではカバーできない領域を補完するものであることを正しく認識しています。
ただし、それは「童話」という形式そのものを全面的に認めたわけではなく、「童話的資質」(おそらく古田足日は自分にはない資質だと思っていたはずですし、もちろん私にもありません)に恵まれた人の作品には、「子ども(人間)の深層に通ずる何かを持っている」と考えていたのです。
それが、あまんきみこ、安房直子、立原えりかを小川未明の正統な後継者として認めたり、今西祐行の作品を積極的に評価することにもつながっているのではないでしょうか。
おそらくこれは、実際に「童話」や「現代児童文学」を創作したり、同人誌などでそれらが創造される現場に立ち会わないと、実感できないと思われます(三十年間以上たくさんの児童文学の書き手と交流してきましたが、「童話的資質」の持ち主はその中のほんの数人です)。
講師は、その他の現代児童文学における「童話」の担い手として、斎藤隆介、江國香織をあげていますが、斉藤隆介はその通りだと思いますが、江國香織は典型的な現代の小説家だと思っているので、ピンときませんでした。
ふたたび、あまんきみこに戻って、
「「車のいろは空のいろ」には、日常世界の秩序にダブって、「何かちがったもの」が顔をのぞかせる、めまいするような、〈もうすこしでハンドルをきりそこなう〉(「くましんし」)ような一瞬が切りとられている。『車のいろは空のいろ』は、「日常」という時が翳る、その瞬間をつかまえ
ようとした連作集ではないか。(宮川健郎「時の翳り―あまんきみこ『車のいろは空のいろ』再読」、宮川健郎「国語教育と現代児童文学のあいだ)所収)」
と、自身の論文を引用して、宮沢賢治の作品を連想するとしています。
そして、佐藤さとるが宮沢賢治を否定的に評価していたこと(佐藤さとる「ファンタジーの世界」(1978年))を紹介して、同じ不思議な世界を描いた作品でも「童話」と「現代児童文学」では違うことを述べています。
しかし、佐藤さとるは、ここでは、「童話」と「現代児童文学」というよりは、「メルヘン」と「ファンタジー」と言う形式の違い(詳しくは関連する記事を参照してください)を述べている(佐藤さとるはファンタジー側の人間なので、とうぜんそちらの視点で眺めています)にすぎないと思われます。
最後に、講師は、「現代児童文学の成立と「声」のわかれ」という非常にロマンチックな呼び方で、石井桃子の「子どもから学ぶこと」(「母の友」1959年12月号)というエッセイ(出版されたばかりの佐藤さとるの「だれも知らない小さな国」を、読み聞かせにむかないと批判しています)を紹介して、「近代童話」から「現代児童文学」へ移行する際に、読者の読み方が音読から黙読へ移行して、読者対象も幼い読者から十代の読者へ児童文学の読者層の中心が移動したと述べています。
それは、講師も指摘しているように、日本の児童文学界評価する作品が高学年向けに偏重しているにすぎなくて、実際には夥しい数の幼年文学(幼年童話)は出版され続けています。