紙芝居について、絵本の読み聞かせとは違う独自性、特長、演じ方、歴史、海外への普及活動などの全般にわたる講演です。
講師も語っているように、紙芝居は、一般的には絵本よりも下に見られ、絵本のように論じられることもほとんどないような状況でした。
私のような文章至上主義者から見れば、絵本さえも児童文学よりも下に見ていましたので、紙芝居はほとんど視野に入っていませんでした。
そのため、講演の内容はとても新鮮で、「子どもの本」全体を考えるために非常に参考になりました。
また、個人的には、まだ街頭紙芝居屋さんがたくさんいたころに子ども時代をおくったのですが、講師と同様にそこで売られている駄菓子類が「不潔だ」という理由で禁止されていたので、子どもたちの人だかりの後ろからこっそりのぞく(紙芝居屋さんは駄菓子の販売だけが収入なので、本当は駄菓子を買った子たちしか見られないのですが、講師が述べていたように後ろから見ることには寛大でした)ことしかできませんでした。
そんな自分が、なんだかみじめに感じられて、いつのまにかのぞくのもやめてしまった過去があるので、なんとなく紙芝居にはいいイメージは持っていませんでした。
当時と違って、今の紙芝居は、図書館や児童館や幼稚園や学童クラブなどで演じられていて、内容も街頭紙芝居の時のように「それでは、明日もお楽しみに」と続き物にして、子どもたち(お客様)の興味をつなげていくようなものでなく、一場の芝居を観劇するような完結したもののようです。
特徴的な点としては、裏に文字が書いてある(実際の紙芝居は引き抜いた紙を一番後ろに差し込むのですから、ひとつ次の画面のための文字が書いてあるのだと思います)ので、演者は観衆(今では子どもだけでなくお年寄りまでの広範な年代の人たちが対象のようです)に正対して(講師によると紙芝居舞台の左側に立つのがベストポジションのようです(紙芝居舞台も右利きの人用に作られているのですね))演じるので、演者は観衆の反応を見ながら演じられ、人と人のコミュニケーションを構築する(講師の言葉では「共感」)上ではより優れているようです。
また、絵本は幼稚園などでは多人数を相手に「読み聞かせ」(この講座の絵本に関する講演では「読み語り」と言っていました(その記事を参照してください))する場合もありますが、基本は年長者(両親など)がまだ字になじみのない子どもたちに一対一で「一緒読み」(これも絵本の講演で使っていた用語です)をするのですが、紙芝居は基本的に一対多人数で行われるので、演者と観衆、さらには観衆同士の共感が大切になるようです。
また、作品に対する演者の理解が非常に大切で、誤って解釈すると作者の作品に込めた願いが観衆に正しく伝わらないこともあるそうです。
そういう意味では、演者は演出者も兼ねるわけで、絵本の読み聞かせよりも力量が問われるかもしれません。
ただ、声色を使い分けたりして上手に演ずる必要はなく、自然体で演じて、演者と観衆のコミュニケーションを取る方が大事なようです。
その他の特長としては、紙芝居舞台で画面を区切ったり、前の画面の紙を抜き取って後ろへ隠したりすることにより、観衆の集中力を増す効果が得られるそうです。
中でも一番印象が残ったのは、画面を抜き取ることにより、物語が観衆たちのいる現実世界へ飛び出してくるというものです。
児童文学や絵本では、ページを自分でめくる行為によって、子どもたちが物語世界へ没入していくというのが普通の感覚(今は弱くなってしまいましたが、私も子どものころは本(私の場合は物語とは限りませんでした)に没入して現実世界はまるで感じられなくなっていました)だと思うのですが、紙芝居は逆なようなので体験してみたくてたまらなくなりました。
以上のように、紙芝居の場合は、児童文学や絵本のように自分からその世界へ入っていくものではなく、演者とともに観衆の方へ向かっていく、よりライブ感の強いもののようです。
全体的には、講師がいかに紙芝居を愛しているかが感じられる講演で非常に好感が持てたのですが、ひとつだけ、講師が紙芝居に対して、かつての「現代児童文学」のようなタブー(子どもや人生にとっての負の部分)を設けているようなのは、紙芝居の可能性を限定しているようで気になりました。
講師も語っているように、紙芝居は、一般的には絵本よりも下に見られ、絵本のように論じられることもほとんどないような状況でした。
私のような文章至上主義者から見れば、絵本さえも児童文学よりも下に見ていましたので、紙芝居はほとんど視野に入っていませんでした。
そのため、講演の内容はとても新鮮で、「子どもの本」全体を考えるために非常に参考になりました。
また、個人的には、まだ街頭紙芝居屋さんがたくさんいたころに子ども時代をおくったのですが、講師と同様にそこで売られている駄菓子類が「不潔だ」という理由で禁止されていたので、子どもたちの人だかりの後ろからこっそりのぞく(紙芝居屋さんは駄菓子の販売だけが収入なので、本当は駄菓子を買った子たちしか見られないのですが、講師が述べていたように後ろから見ることには寛大でした)ことしかできませんでした。
そんな自分が、なんだかみじめに感じられて、いつのまにかのぞくのもやめてしまった過去があるので、なんとなく紙芝居にはいいイメージは持っていませんでした。
当時と違って、今の紙芝居は、図書館や児童館や幼稚園や学童クラブなどで演じられていて、内容も街頭紙芝居の時のように「それでは、明日もお楽しみに」と続き物にして、子どもたち(お客様)の興味をつなげていくようなものでなく、一場の芝居を観劇するような完結したもののようです。
特徴的な点としては、裏に文字が書いてある(実際の紙芝居は引き抜いた紙を一番後ろに差し込むのですから、ひとつ次の画面のための文字が書いてあるのだと思います)ので、演者は観衆(今では子どもだけでなくお年寄りまでの広範な年代の人たちが対象のようです)に正対して(講師によると紙芝居舞台の左側に立つのがベストポジションのようです(紙芝居舞台も右利きの人用に作られているのですね))演じるので、演者は観衆の反応を見ながら演じられ、人と人のコミュニケーションを構築する(講師の言葉では「共感」)上ではより優れているようです。
また、絵本は幼稚園などでは多人数を相手に「読み聞かせ」(この講座の絵本に関する講演では「読み語り」と言っていました(その記事を参照してください))する場合もありますが、基本は年長者(両親など)がまだ字になじみのない子どもたちに一対一で「一緒読み」(これも絵本の講演で使っていた用語です)をするのですが、紙芝居は基本的に一対多人数で行われるので、演者と観衆、さらには観衆同士の共感が大切になるようです。
また、作品に対する演者の理解が非常に大切で、誤って解釈すると作者の作品に込めた願いが観衆に正しく伝わらないこともあるそうです。
そういう意味では、演者は演出者も兼ねるわけで、絵本の読み聞かせよりも力量が問われるかもしれません。
ただ、声色を使い分けたりして上手に演ずる必要はなく、自然体で演じて、演者と観衆のコミュニケーションを取る方が大事なようです。
その他の特長としては、紙芝居舞台で画面を区切ったり、前の画面の紙を抜き取って後ろへ隠したりすることにより、観衆の集中力を増す効果が得られるそうです。
中でも一番印象が残ったのは、画面を抜き取ることにより、物語が観衆たちのいる現実世界へ飛び出してくるというものです。
児童文学や絵本では、ページを自分でめくる行為によって、子どもたちが物語世界へ没入していくというのが普通の感覚(今は弱くなってしまいましたが、私も子どものころは本(私の場合は物語とは限りませんでした)に没入して現実世界はまるで感じられなくなっていました)だと思うのですが、紙芝居は逆なようなので体験してみたくてたまらなくなりました。
以上のように、紙芝居の場合は、児童文学や絵本のように自分からその世界へ入っていくものではなく、演者とともに観衆の方へ向かっていく、よりライブ感の強いもののようです。
全体的には、講師がいかに紙芝居を愛しているかが感じられる講演で非常に好感が持てたのですが、ひとつだけ、講師が紙芝居に対して、かつての「現代児童文学」のようなタブー(子どもや人生にとっての負の部分)を設けているようなのは、紙芝居の可能性を限定しているようで気になりました。
おおきくおおきくおおきくなあれ (ひろがるせかい) (まついのりこ・かみしばいひろがるせかい) | |
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