作品論ではなく、作者と作品の関係について考えてみました。
この作品は1966年2月に出版され、翌年の日本児童文学者協会賞を受賞した作者の代表作のひとつです。
しかし、話を複雑にしているのは、1996年に新版が出ていることです。
これは、作中に引用していた宇野浩二の「春を告げる鳥」の引用およびそれに対する作中人物の感想が「アイヌ民族差別だ」という抗議を1995年に受けて、作者のオリジナル作品とその感想に差し替えたのです(宇野の作品は当時広く読まれていて、私自身も子どものころに読んでいました。また、作中の子どもたちに訴えかけたであろうこの作品の抒情性に、作者のオリジナル作品は引用としてはやたら長いだけで遠く及びません。さらに、作者の引用は宇野の作品の骨子を作者自身の言葉でまとめたもので、元の宇野作品は作者の引用ほどアイヌ民族に対して差別的ではありません)。
また、それに関連して、「やばん」ということについて、新しい(1996年現在の)作者の考えに書き改めています。
これらの行為は、作家として非常に危険なことだったように思います。
この作品は、あくまで1966年当時(実際には出版の前に雑誌に連載されているので、時代設定は60年代前半と思われます)の状況の中で成立するものであり、作者の「アイヌ民族差別」に対する「無知(作者自身のあとがきの言葉)」も含めてそのままの形で残し、もし過ちを認めるのであれば、なぜそのようなことになったかを自分自身であとがきなどでもっと詳しく検証するべきだった(1926年発表の宇野作品の歴史的評価も含めて)と思われます。
それが、単なる創作者でなく児童文学の評論家でもある作者の責務だったように思えます。
それを、1996年現在の認識で書き直したので、この作品の歴史的価値が大幅に損なわれてしまいました。
この作品は、良くも悪くも70年安保の挫折前の革新側の思想に基づいて書かれているわけで、それがソ連崩壊やバブル崩壊後の1996年に書き直して提出されても、すでに立脚点が違うのですから作品として成立しないのではないでしょうか。
例えば、作品の背景にある学歴社会、組合運動、貧困問題、学校、子ども社会、教養主義、資本主義と共産主義の対立、職場の電子化などは、そして作者が新版で隠蔽してしまったマイノリティへの差別意識も、三十年の月日が大きく変えてしまっています。
それに、39歳だった1966年の作者と、1996年当時69歳だった作者では、経験も考え方も違うはずで、その両者が書いたものをつぎはぎされても(旧版と新版を読み比べてみましたが、「春を告げる鳥」や「やばん」に関連する部分以外にもいろいろな個所(例えば旧版にはない日本軍による「南京事件」への批判など)で細部を書き直しています)、読者は困惑するだけです。
私は70年安保挫折後の70年代に旧版を読みましたが、その時点でもあまりにも楽観的な組合運動や、学級会や学校新聞などによる疑似民主主義、そしてなにより「子どもの論理」(宿題ひきうけ株式会社)が「(当時の革新勢力の)大人の論理」(試験・宿題なくそう組合)に屈服させられるラストに、強い違和感は覚えましたが、「アイヌ民族差別」は気づきませんでした(というよりも、その部分の印象が残らなかったという方が正しいでしょう。私自身も作者以上に「アイヌ民族差別」に「無知」でした)。
「ちびくろサンボ」問題(その記事を参照してください)や「ちびくろサンボ」を絶賛した「子どもと文学」の問題(関連する記事(例えば石井直人の「現代児童文学の条件」についての記事など)を参照してください)でも述べましたが、作品や論文はその時代背景を抜きには評価することは不可能だと思っています。
この作品をこれから読まれる方は、ぜひ新旧両方の版を読まれることをお勧めします(作者と理論社は、旧版の流通在庫を回収し、図書館にも新版に買い替えるよう依頼していますが、もちろん旧版は図書館や古本として今でも残っていて読むことができます)。