1962年のアメリカ映画です。
主演のグレゴリー・ペックは、この作品でアカデミー主演男優賞を受賞しました。
1932年から1933年にかけての、アメリカ南部のアラバマ州の田舎町を舞台にした作品で、大きく分けると三つの要素から構成されています。
一番目は、当時6歳(翌年は7歳で小学校一年生になります)の少女(当時ベストセラーになってピューリツァー賞も受賞した原作者の子ども時代)の目を通して描かれた田舎町の大人の世界(四年前に妻を亡くして、一人で(黒人の家政婦に手助けてしてもらっています)主人公と4歳年上の兄を育てている弁護士の父や隣人たち(特に近所の家に軟禁されている精神障碍者の青年をブーと呼んで恐れています)を、ノスタルジーも含めて鮮やかに描いていて、この部分はまさに児童文学の世界そのものです。
二番目は、父が弁護を引き受けた、黒人男性による白人女性への暴行レイプ事件(完全な冤罪で、真相は女性側が誘惑しようとしているところを彼女の父親に見つかり、彼女は父親から暴行を受けるとともに父と口裏を合わせて罪を黒人男性になすりつけました)の裁判の行方(裁判の前に被告は白人たちにリンチされそうになり、父親(弁護士)や子どもたち(主人公と兄と友だち)の頑張りや機智で命を救われます。無実は明らか(暴行の犯人は左利き(被害者の父親は左利きです)なのに、被告の黒人青年は子どもの頃の事故で左腕が使えません)なのに、陪審員(全員が白人男性)は有罪の評決をし、絶望した黒人青年は脱走して、不運にも警告の銃弾が当たって死んでしまいます)。
三番目は、その後に、裁判で黒人を弁護したのを逆恨みした被害者(?)女性の父親(暴行の真犯人)に子どもたちが襲われた事件(子どもたちは実は心優しい青年のブー(名優ロバート・デュバルが無名時代に演じました)によって救われ、犯人はブーともみ合って死にますが、弁護士一家に同情的だった保安官の機智により事故死扱いになります)。
人種、女性、障碍者への差別に対して真っ向から取り組み、しかもそれを子どもの目を通すことにより、より鮮明に描いている点が特に優れています。
また、背景として大恐慌後の農民たちプワーホワイトの困窮する姿も描いていて、こうした差別の問題を(権力者もプアーホワイトも一緒くたにして)白人たちの責任とする単純な二項対立の構造に陥ることも免れています。
さらに、公民権運動が勝利する前の1962年にこの映画が作られて大ヒットしたことも、歴史的に大きな意味を持っていると言えます。
個人的な事ですが、理想の父親像と言うと、真っ先に浮かぶのがこの映画でグレゴリー・ペックが演じた優しくて頼もしく子どもたちが心から尊敬できる弁護士なのですが、実際に自分が父親になってみると遠く及ばなかったことは言うまでもありません。