現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

過食

2020-08-07 15:32:46 | 作品
珠樹は養子だ。
乳児院から川島家へ、もらわれてきた男の子だった。
新しい両親である川島夫妻に、養子縁組されて新しい家族になったのだ。
珠樹を産んだ母親はシングルマザーで、自分で育てることができなかった。収入も少なかったし、周りには頼れる人もいなかった。
それで、珠樹を乳児院にあずけたのだった。
川島夫妻の方は、夫の豊は45歳、妻のみどりは43歳、結婚して十年以上になるが、子どもができなかった。
当初は共働きをしていたが、みどりが退職して不妊治療に専念することになった。
しかし、川島夫妻の場合は、妻だけでなく夫の方にも妊娠しにくい要因があって、五年以上に及ぶ不妊治療も成果が上がらず、とうとう二人は妊娠出産することをあきらめたのだった。
子どもの好きだった二人は、里親制度に応募することにした。
でも、その過程で、特別養子制度があることを知った。
これを利用すれば、たとえ血のつながりがなくても、法律上は実子と変わりなく、子どもが得られるのだ。
川島夫妻は、この制度を利用することになって、養子にする子どもを乳児院で探した。
そして、めぐり合ったのが、珠樹だった。
珠樹が川島夫妻に養子になることが決まった時に、正式に親権を放棄した。

川島家に来た一日目、珠樹は緊張で何も食べられなかった。乳児院で聞いてきた珠樹の好物ばかりが並んでいても、ニコリともしなかった。
川島夫妻が話しかけても、何も答えない。貝のように押し黙ったままだった。
そんな状態が三日続いた。
川島夫妻は根気よく、珠樹の好物を並べて、二人で優しく話しかけた。
三日目の晩に変化が出た。
空腹に耐えきれなかったのか、ビスケットを少しかじり、牛乳も一口飲んだのだ。
それから、日がたつにつれて、珠樹は次第に新しい家庭に慣れていった。
ごはんも食べるようになり、おかわりもできるようになった。
そして、きちんと三食食べられるようになった。
その後も、珠樹の食べる量がだんだん増えていった。
初めはよく食べるようになったことを喜んでいた川島夫妻も、今度は食べ過ぎを心配するようになった。
まるで過食症になってしまったようだ。
茶碗で、ご飯を3杯も4杯もおかわりする。
ヨーグルトを何個も食べる。
ジュースを何本も飲んだ。
牛乳もコップに何杯も飲んだ。

川島夫妻は、珠樹の食べ過ぎが心配だった。慣れない環境に来たために、過食症になってしまったのかもしれない。それに、自分たちが、珠樹に食べ物を薦めすぎたのかとも思ったのだ。
川島夫妻は、施設に相談することにした。
「大丈夫ですよお」
 電話で、施設長は笑いながら答えた。
「養子先ではよくある事なんです。
「そうですか?」
「ええ、これは一種の通過儀礼のようなものなのですよ」
「通過儀礼?」
「そう、いくら食べても、怒られないか、確かめているんですよ」
「えーっ、でも、こちらが勧めていたのに」
「そう。それがほんとかどうか確かめているんですよ」
「そうだったのですか」
施設長の話を聞いて、夫妻は珠樹に好きなだけ食べさせるようにした
内心では食べ過ぎじゃないかと、ひやひやしながらも制止しなかった。
珠樹の食べたいもだけを食べさせたり、飲みたいだけを飲ましたりした。

しばらくして、珠樹の食べる量がだんだん落ち着いてきた。
一か月たったあたりから、もっともっととおかわりすることが、だんだんおさまってきたのだ。
どうやら、施設長が言っていたことは、本当だったようだ。
落ち着いて珠樹の様子を見ていると、おかわりする時にはこちらの様子を確かめているようにも見えたのだ。
そして、おかわりを与えると、ホッとしたように食べ始めている。
夫妻は、そんな珠樹のことをたまらなくいじらしく感じるようになっていた。
珠樹は、施設にいた時には、ごく普通の体型だった。
それが、今では丸々と太って、ほっぺたなどはつやつやと光っている。
夫妻には、そんな珠樹がとてもかわいく感じられた。
そして、気が付いた時には、夫婦に珠樹をいとおしく思う気持ちがわきあがり、何があろうともこの子を絶対に手放すまいという強い感情が生まれていた。
珠樹の過激な食行動には、全く見知らぬ人を親へと作り変えたい必死の願いがあったのだろう。
新しい家族との出発のために、この過食は必要だったのである。
夫婦は、食べまくる我が子を「あまりにも気持ちよく食べるな」とさえ思えるようになっていた。
子どもの存在、行動が、まるごとの肯定的なまなざしに包まれていたことが、「真の親子になる」のに成功したのだろう。
そして、このことは、珠樹だけでなく、川島夫妻にとっても通過儀礼だったのかもしれなかった。




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