現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

双頭山攻防戦始末記

2020-08-26 09:50:40 | 作品

 若葉小学校の校庭を東西からはさむように、二つの小山があった。もともとは山というよりは名もない小さな丘にすぎなかったが、最近になってポコッと名前がついた。
 校庭の西側の丘は白頭山。東側は赤頭山という。二つまとめて双頭山と呼ばれている。
 白頭山は、校庭から自然観察林をへだてた向こう側にあった。名前の由来は、どういうわけか、頂上付近にシラカンバが数本生えていて白っぽく見えるところからきている。
自然観察林というのは、自然の草花を観察したり、原木に菌をうえてシイタケを育てたりする場所だ。校庭からは、丸太で作った階段が、谷へ向かって降りていっている。観察林のひろがる谷からその向こう側の白頭山へは、一面熊笹でおおわれた急な斜面を登っていかなければならない。
 白頭山の頂上へは、三方から道が続いている。ひとつは、バスの折り返し場の奥にある石段への道。それは頂上を抜けて、反対側の八潮公園の裏側へとつながっている。もうひとつは、頂上からやや下がった所から右へと折れる小道で、これは谷津公園に降りていく道だった。
 対する赤頭山は、秋になると紅葉する木が多いことから名付けられた。
赤頭山は東から北側をへて西まで、三方をグルリと小道に取り囲まれていた。小道は、片栗公園と小栗公園、それに若葉地区の中心にあるショッピングセンターを結んでいる。残りの南側は、小さな池をはさんでバス道路に面していた。
 いずれの山も、新興住宅地の若葉地区が開発されたときに取り残されて、自然のままの姿で残っている。なんでも噂によると、これらの山の持ち主はすごいケチで有名なのだそうだ。最後までしつこく値段をつり上げたので、とうとう開発業者が買い上げるのをあきらめて、そのまわりをぐるりと取り囲むように開発したのだという。
 でも、そのおかげで若葉小学校は、自然に囲まれたすばらしい環境の中に建っていた。

 そもそもの発端は、カッチンこと、野村和也にあった。カッチンは若葉小学校の6年2組の児童で、今の男の子には珍しく本の虫なので図書委員をやっている。なにしろ、学校の往き帰りも本を持って歩いているので、ランドセルを背負ったその姿は校庭の片隅にある「二宮金次郎」の生き写しと言われているほどだ。
歴史小説好きで三国志マニアであるカッチンは、自分のことを蜀の軍師、諸葛亮孔明の生まれ変わりとかたく信じていた。そこで、「千年に一度の大才」と自称している。
 ある日、カッチンは、白い布に「白頭山」と大書した旗を作った。この軍師は、小さいことから字の上手なおじいちゃんから習ったおかげで、習字も得意なのだ。
 それをもって自然観察林の裏山へ行くと、頂上にある松にスルスルと上った。この軍師は、習字が得意なだけでなく、木登りも得意だった。
 カッチンは、「白頭山」の旗を松のてっぺんに結わえ付けた。そして、ここにこの山が「6年2組王国」の領地であることをおごそかに宣言したのだ。
 白は2組のチームカラーで、運動会では全学年の2組が白組となっていた。ちなみに若葉小学校は小さな学校なので、各学年とも2クラスしかなかった。
 この知らせは、心ある6年2組の男子たちをおおいに喜ばせた。カッチンのもとには、続々と王国への参加者が集まってきたのだ。彼らはカッチンのようには本は読まないが、全員ゲーム好きだったので、「三国志」は歴史シミュレーションゲームでお馴染みだったのだ。
いや、参加したがったのは6年2組の児童だけではない、他の学年の2組からも、王国の国民になりたいとの希望が次々によせられてきた。
 カッチンは、すぐに王国の名前を「2組王国」に改め、他の学年の子たちも受け入れた。一週間もたたないうちに、「2組王国」の国民は50名を越えた。

 そんな「2組王国」の誕生を面白く思わない勢力があった。
もちろん、1組の男子たちだ。
やっぱり男の子たちにとっては、こういった「王国ごっこ」はえもいわれぬ魅力があるらしい。彼らは、「2組王国」の出現に対して、ずいぶん悔しい思いをしていたようだ。
しかし、1組にも、カッチンたちに負けないようなガッツを持った連中がいたのだ。
「オオッ!」
 次の月曜日に、登校してきた2組の男の子たちは、反対側の東の小山を見て驚いた。「白頭山」よりも大きな赤旗が、てっぺんにひるがえっていたからである。旗には、「赤頭山」と黒々と書かれている。もちろん、赤は1組のチームカラーだ。
 1組の有志たちは、この山が「1組王国」の領土であると、おごそかに宣誓した。
 こうして、双頭山攻防戦は、火ぶたをきっておろそうとしていたのだ。
しかし、残念ながら、両方の「王国」ともに、国民には一人の女子もいなかった。どうやらこういったことを喜ぶのは、男の子のだけのようだ。
 女の子たちは、
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
「まるで、子どもね」
と、この「王国ごっこ」を軽蔑していた。
 こうして、双頭山攻防戦は、男の子たちの間だけで行われることになった。

OK4.攻防戦
 カッチンは、学級委員のムラマサこと村山勝(まさる)に、2組王国の領主になることを依頼した。
王国ごっこにすでに夢中になっていたムラマサは、もちろん快諾した。
 カッチンは、すぐにムラマサに頼んで、自分を念願の軍師に任命してもらった。
 さらにムラマサに、2組の男子の参加者全員に、征東将軍だの征北将軍だのの位をさずけさせた。
 また、カッチンは、自ら使者になって1組へ向かうと、彼らと戦闘のルールについて話し合った。
 戦闘は、撃ち合いと斬り合いと組みうちとにわかれる。
 撃ち合いは、もちろんエアガンだ。目に当たるとあぶないので、両軍の狙撃隊は必ずサバイバルゲーム用のゴーグルをつけることになった。また、ゴーグルをつけていないその他の軍勢には射撃をしてはいけない。弾があたった者は、いったん自分の陣地までもどらなければならない。こうして、校庭や自然観察林には、無数のビービー弾がばらまかれることになった。
 剣を使った切り合いは抜刀隊の役目だ。斬り合いに使う剣は、自然観察林の枝打ちの時に切り落とされて、体育館裏に山積みになっていた細い枝で作ることになった。これも顔や頭はあぶないので、胴体や手足しか斬ってはいけない。斬られた者は、撃たれた時と同様に、いったん陣地に戻って復活しなければならない。
 組み打ちをやるのは白兵戦チームだ。組み打ちでは、パンチやキック、頭突きなどの打撃技は禁止された。相手を倒しておさえこんだ方が勝ちとなる。もちろん、これも負けた者はいったん味方の陣地に戻って復活しなければならない。
 攻防戦の勝敗は、相手の旗を先に奪うことによって決まる。木に登ろうとする者を、地面から引きずりおろすのはありとされた。だから、旗のついている木に取り付いて登り出すまでが実際の勝負だ。中には木登りの苦手な子もいたので、実際には木登りができるメンバーだけが、木登り隊としてこの最後の攻防に参加できる。
 でも、防御側は木に登ってはいけないことになっていた。さすがに、両者が途中でもみあって木から落下したら、けが人が出てしまう。だから、下から手が届かないところまで登ってしまえば、事実上旗は奪うことができる。手の届かないところまで登るスピードが勝負なので、木登り隊には両軍とも特に身の軽い子たちが選ばれていた。
 さっそく、その日の放課後から攻防戦が始まった。
 一年生から六年生まで、それぞれ五十名以上もの軍勢が参加しての戦闘は、なかなか壮観だった。
 両方の陣地の間のあちこちで、撃ち合いや斬り合いや組みうちが行われた。

  

 

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