現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

宮川健郎「「声」をもとめて」日本児童文学2013年3-4月号

2020-08-04 09:11:26 | 参考文献
 「子どもが読むはじめての文学、その現在」という副題のもとに、「幼年童話」の現状について書かれています。
 「読み聞かせ」と「黙読で読む児童文学」をつなぐ存在として、「幼年童話」において「声」が聞こえてくることの重要性をあげています。
 これらの対象時期として小学校三年生ぐらいとしていますが、私の体験(「読み聞かせ」をしてもらったっことがなく、幼稚園のころから5才年上と3才年上の姉たちが買ってもらった本を黙読していました)と較べるとずいぶん年齢が高いような気がしますが、子どもの読書力が低下している現在ではこなんなものなのでしょう。
 石井桃子が1959年に書いた、出版されたばかりの佐藤さとるの「だれも知らない小さな国」(「現代児童文学」の出発を飾った作品のひとつと言われています)が、いかに「読み聞かせ」に向かないかを批判した文章を引き合いに出して、「現代児童文学」(定義などは他の記事を参照してください)が「声」や「語り」から離れた「黙読で読む児童文学」中心であったかを述べています。
 「現代児童文学」が一般文学との境界がなくなってしまった現在、「声」が聞こえる幼年文学が相対的に重要性を増しているのでしょう。
 「幼年文学」の現状の代表として、以下の作家と作品をあげています。
 石井睦美「すみれちゃん」、竹下文子「ひらけ! なんきんまめ」、市川宣子「きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは……」、岡田淳「願いのかなうまがり角」、たかどのほうこ「お皿のボタン」、三木卓「イトウくん」、長崎夏海「星のふる よる」、村上しいこ「図書室の日曜日」「れいぞうこのなつやすみ」など、内田麟太郎「ぶたのぶたじろさん」シリーズ、いとうひろし「おさる」シリーズ(それぞれの記事を参照してください)。
 そして、この「声」をもとめる動きと呼応する形で、小川未明、浜田広介、新美南吉などに代表される近代童話が復権しつつあるとしています。
 これらの動きを含めて今の「児童文学」をマーケティング的に整理すると、文字を読まなくても(あるいは補助的に使う)絵本は大人から幼児までの幅広い読者を獲得し、「読み聞かせ」の本などは親と子、先生と児童などの共有する世界として存在し、子どもたちの読書力の低下で黙読できる年齢が上がることにより「幼年童話」の対象読者が増大し、読書が娯楽化することによって子どもと大人(特に女性)が共有するエンターテインメントとしての<児童文学>が隆盛していることになります。
 どちらにしても、「散文性を獲得し」、「子どもをとらえた」、「変革の意志も持った」、いわゆる「現代児童文学」の出る幕はなく、その役目を終了したと言えます。

日本児童文学 2013年 04月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店
コメント (1)
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