現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

村中季衣「語りつがれていくものがたりのなかで」日本児童文学1990年9月号所収

2020-08-10 09:11:20 | 参考文献
 1990年3月17日に60歳で亡くなった児童文学者(創作、評論、翻訳、研究、大学での後進の指導など、多面的に活躍しました)、安藤美紀夫の追悼特集に発表された論文です。
 著者は日本女子大学大学院での安藤の教え子なので、個人的な思い出やいつも明晰な文章を書く著者にしてはやや感傷的な文章も含まれていますが、重要な指摘がいくつもあり、安藤の多面的な仕事を理解するのに参考になります。
 著者の指摘で最も印象に残ったのは、「安藤のことばの明解さと力強さ」です。
 私は、生前の安藤とは二回しか会ったことがないのですが、そのいずれの時にも彼のことばの持つ明解さと力強さが記憶に残っています。
 初めは、1973年4月に行われた早稲田大学児童文学研究会の新人勧誘のための講演会での、彼の講演(もうひとつの講演は後藤竜二でした)です。
 具体的な内容は忘れましたが、その時の児童文学に対する信頼を力強く語る安藤の話に、おおいに感銘を受けたことを覚えています。
 また、当時の安藤は日本女子大学の教員になったばかりで、早稲田大学で行われた講演の会場にはそれまで安藤が務めていた北海道の高校の教え子がいて、70年安保後の高校紛争中の彼らを捨てて大学の教員になったことを糾弾したのに対して、率直に謝罪したことにも好感を持ちました。
 この講演の効果もあって、私は児童文学研究会に入会することを決めました。
 二回目は、1984年2月の日本児童文学者協会の合宿研究会においてです。
 その時、私は幸運にも安藤、古田足日と同室で、夜は酒を飲みながら両先生と話す機会があり、その後参加する同人誌も安藤に紹介してもらい、七年ぶりに児童文学活動を再開することができました。
 その合宿を通して一番記憶に残ったのは、安藤の「児童文学は、アクションとダイアローグの文学だ」という力強く明解な言葉でした。
 「自己弁護的なモノローグ、くどくどした心理描写、状況説明的な文章などを廃して、主人公の行動と会話だけでスピーディーに物語を展開するのが児童文学だ」と、私はその言葉を解釈しました。
 そして、この安藤の定義は、その後の私の創作や批評の指針になりました。
 また、このことは、安藤の教え子である著者の初期の作品(彼女も、安藤と同様に、研究、評論、創作、幼児や大人の読書療法の実践活動など、多面的に活躍しています)、「かむさはむにだ」や「小さなベッド」にも大きな影響を与えているように思われます。

 
読書療法から読みあいへ―「場」としての絵本
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教育出版
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