現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

最上一平「ひきがえるにげんまん」

2018-06-13 15:10:31 | 作品論
 二年生の仲良し三人組の男の子が、「死」について考えます。
 同じクラスの女の子のおかあさんが亡くなって、その子がしばらくお休みすることを先生から知らされます。
 先生に促されてみんなで「黙とう」しますが、三人には「死」がピンときません。
 その日の帰りに、いつもの坂道で、車にひかれてぺっちゃんこになったひきがえるを見つけました。
 ひきがえるを見ながら、「ひきがえるは、死んでどこに行ったんだろう」「なんでこの坂道にやってきたのだろう」「死ななかったら何をしたかったんだろう」などといろいろ考えるうちに、ひきがえるをこのままにしておけずに、近くの空き地に埋めてお墓を作り、みんなで「黙とう」します。
 その時、三人は、おかあさんを亡くした女の子がふたたび登校してきたら、初めに声をかけようと、心から思えるのでした。
 低学年の子どもたちの「死」に対する考えを、お話としてのユーモアを忘れずに深刻にならないで描けている点が、特に優れていると思いました。
 武田美穂の輪郭線を生かしたカッチリした挿絵が、作品世界によくマッチしています。

ひきがえるに げんまん (本はともだち 12)
クリエーター情報なし
ポプラ社
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高橋源一郎「さよなら クリストファー・ロビン」さよなら クリストファー・ロビン所収

2018-06-13 07:28:01 | 参考文献
 童話、児童文学、漫画、映画などの登場人物を借りて書かれた連作短編集の表題作です。
 題名のクリストファー・ロビンは、有名なA.A.ミルンの「くまのプーさん」に出てくる少年で、ミルンの息子でもあります。
 「くまのプーさん」はクリストファー・ロビンのために書かれた作品で、続編の「プー横丁にたった家」のラストで、他の登場人物がクリストファー・ロビンに別れを告げた時に、くまのプーさんだけはクリストファー・ロビンと一緒に旅立つシーンが印象的です。
 少年時代の終わりと変わらぬ友情を象徴的に描いていて、あまたの児童文学の作品の中でも屈指のラストシーンだと思います。
 この高橋の作品でも、世界全体が虚無に取り囲まれた中で、クリストファー・ロビンとくまのプーさんというフィクションだけが最後まで友情を保つラストシーンは、原作のラストを踏襲していています。
 細かい点ですが、「くまのプーさん」の他の登場人物の名前が、日本でも古典になっている石井桃子の訳と異なっています。
 高橋が原書を読んでこれを書いたのならいいのですが、「まさかディズニーじゃないよな」と少し気になりました。
 この作品では、それ以外に「浦島太郎」、「七匹の子ヤギ」、「三匹の子ブタ」、「赤ずきんちゃん」、「不思議の国のアリス」といった古典的な童話や人気絵本の「あらしの夜に」のパロディもしているのですが、これらはもっと優れたパロディを知っているのであまり感心しませんでした。
 また虚無に対するフィクションという対置も、ミヒャエル・エンデの「ネバーエンディング・ストーリー」のパロディなのでしょうが、どこまで成功しているかは疑問に思いました。

さよならクリストファー・ロビン
クリエーター情報なし
新潮社
コメント (1)
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