さて、高校の頃の私のフェイバリットといえば、たとえばグランドファンクレイルロードであり、ストレイキャッツであり、ホワイトスネイクであった。「ベストヒットUSA」は欠かさず見ていたが、ジョーン・ジェットは「格好いいなぁ」なんて、能天気な高校生。
ところが、何を思ったのか入学と同時に合唱部に入部していた。結局3年間在籍し、2度の全国大会出場(うち1回は金賞)という輝かしい秘められた過去を持っているのだよ、実は。しかし、誤解のないように声を大にしてここではっきり言っておこう。私は音痴だ。3年間、指導者に怒鳴られっぱなしで、いつもいつも退部する隙をうかがっていたのだが、結局自分で歌うという行為以外は極めて魅力的な環境であったため、ずるずると続けてしまった。
さて、合唱というとちょっとひいてしまう人たちも少なくないだろう。私の通っていた高校は男子校であったため、当然男声合唱だった。そして、音楽教師は変人であったため、カウンターテナーを編成しルネッサンス期の英国の宗教音楽を中心に据えるという暴挙に出た。無調・無拍の5声のポリフォニーしかもカウンターテナー付き!を男子高校生に歌わせる。常規を逸した行為である。でもそれによく応える生徒たち!!
で、私は音痴(繰り返すぞ)だったので、歌うことで貢献できるわけもなく、「中世ルネサンスの文化と宗教」とか、「ラテン語のミサ全文の抄訳」とか、「教会音楽における宗教観」とかをミーティングで発表してそれなりの立場を守った(笑)なんとなく、どうして今の私が形成されたのかわかるような気がする。
三年間で最も歌った歌がエレミアの哀歌である。預言者エレミアの言葉にトマス・タリスが曲をつけた。バビロン捕囚の歌である。5声部で無調で無拍で無伴奏の純正調でポリフォニーである。はっきりいって、同級生の大部分は本気でやればそのまま声楽家になれそうな奴らばっかりだった。というより、ふるい落とされてそういう奴らばっかりが残ったというほうが正しい。今にして思えばよく私が追い出されなかったものだ。
さて、ルネサンス期の西洋音楽というものがその後に与えた多大な影響に気がついたのはずっとあとの話。ようするに西洋音楽の父であるバッハ以前の音楽、狭義のクラッシック以前の古典音楽に触れ、その構造を学ぶという経験は高校では普通は出来ない。無調無拍とういのは、とくに教会音楽が口伝によって伝えられてきたことで、その時々で歌いやすく聞きやすいように自然に改変されながら伝承され定型をもたないできていることに由来するのかもしれない。その一方でたとえばカルミナブラーナ(カール・オルフではない)に代表される世俗曲は吟遊詩人/謡曲師たちが村から村へとわたりあるきながら、人々を楽しませるために歌われてきた歌である。まるで琵琶法師かゴゼのようだ。こちらも時事ネタやゴシップ、歴史物などが伝統的な旋律や即興にのせて演奏され、非常に自由闊達な音楽である。
で、これが第2のスタートになった。自由な音楽がキーワード。それまで聞いていたほとんどの音楽がいわゆる「西洋音楽」の枠に見事にはまっているものである。それ自体は別に悪いことでもなんでもない。しかし、様々な音楽があふれている現在でさえ、その枠を越えた(超えたではない)音楽を聞こうと思うと、いくばくかの努力となにがしかのお金が必要となる。無料で手に入る音楽のほとんどは枠の中でのコピーと再生産によってなされているものだから。
だから、意識的にせよ無意識のうちにせよその枠を越える/またぐ/無視する音楽を、私は探し出して聞くことを始めた。だから、伝統音楽と前衛音楽という極端に走りがちなのだが、無意識のうちに思わず枠を越えてしまうようなことをしてしまう人たち、意識して伝統を極めようとする人たちは、やはり良質のエンターテイメント性を持ち合わせている。
伝統を極めて前衛に至る!これが基本じゃなかろうか??そのへんが、私の趣味趣向にたいして「趣味が悪いけど好みがうるさい」とか、「まんべんなく片寄っている」といわれる所以であろう。
ところが、何を思ったのか入学と同時に合唱部に入部していた。結局3年間在籍し、2度の全国大会出場(うち1回は金賞)という輝かしい秘められた過去を持っているのだよ、実は。しかし、誤解のないように声を大にしてここではっきり言っておこう。私は音痴だ。3年間、指導者に怒鳴られっぱなしで、いつもいつも退部する隙をうかがっていたのだが、結局自分で歌うという行為以外は極めて魅力的な環境であったため、ずるずると続けてしまった。
さて、合唱というとちょっとひいてしまう人たちも少なくないだろう。私の通っていた高校は男子校であったため、当然男声合唱だった。そして、音楽教師は変人であったため、カウンターテナーを編成しルネッサンス期の英国の宗教音楽を中心に据えるという暴挙に出た。無調・無拍の5声のポリフォニーしかもカウンターテナー付き!を男子高校生に歌わせる。常規を逸した行為である。でもそれによく応える生徒たち!!
で、私は音痴(繰り返すぞ)だったので、歌うことで貢献できるわけもなく、「中世ルネサンスの文化と宗教」とか、「ラテン語のミサ全文の抄訳」とか、「教会音楽における宗教観」とかをミーティングで発表してそれなりの立場を守った(笑)なんとなく、どうして今の私が形成されたのかわかるような気がする。
三年間で最も歌った歌がエレミアの哀歌である。預言者エレミアの言葉にトマス・タリスが曲をつけた。バビロン捕囚の歌である。5声部で無調で無拍で無伴奏の純正調でポリフォニーである。はっきりいって、同級生の大部分は本気でやればそのまま声楽家になれそうな奴らばっかりだった。というより、ふるい落とされてそういう奴らばっかりが残ったというほうが正しい。今にして思えばよく私が追い出されなかったものだ。
さて、ルネサンス期の西洋音楽というものがその後に与えた多大な影響に気がついたのはずっとあとの話。ようするに西洋音楽の父であるバッハ以前の音楽、狭義のクラッシック以前の古典音楽に触れ、その構造を学ぶという経験は高校では普通は出来ない。無調無拍とういのは、とくに教会音楽が口伝によって伝えられてきたことで、その時々で歌いやすく聞きやすいように自然に改変されながら伝承され定型をもたないできていることに由来するのかもしれない。その一方でたとえばカルミナブラーナ(カール・オルフではない)に代表される世俗曲は吟遊詩人/謡曲師たちが村から村へとわたりあるきながら、人々を楽しませるために歌われてきた歌である。まるで琵琶法師かゴゼのようだ。こちらも時事ネタやゴシップ、歴史物などが伝統的な旋律や即興にのせて演奏され、非常に自由闊達な音楽である。
で、これが第2のスタートになった。自由な音楽がキーワード。それまで聞いていたほとんどの音楽がいわゆる「西洋音楽」の枠に見事にはまっているものである。それ自体は別に悪いことでもなんでもない。しかし、様々な音楽があふれている現在でさえ、その枠を越えた(超えたではない)音楽を聞こうと思うと、いくばくかの努力となにがしかのお金が必要となる。無料で手に入る音楽のほとんどは枠の中でのコピーと再生産によってなされているものだから。
だから、意識的にせよ無意識のうちにせよその枠を越える/またぐ/無視する音楽を、私は探し出して聞くことを始めた。だから、伝統音楽と前衛音楽という極端に走りがちなのだが、無意識のうちに思わず枠を越えてしまうようなことをしてしまう人たち、意識して伝統を極めようとする人たちは、やはり良質のエンターテイメント性を持ち合わせている。
伝統を極めて前衛に至る!これが基本じゃなかろうか??そのへんが、私の趣味趣向にたいして「趣味が悪いけど好みがうるさい」とか、「まんべんなく片寄っている」といわれる所以であろう。