ロケットだ花だと浮かれていたけれど、その間の橋下府知事の発言は素通りできないものであったので、改めて意見を述べさせていただく。
全文を把握しているわけでもなく、断片的なニュース映像からなので、もし前後の文脈を欠いていることによって発言の正確な意図を私が汲み取れていない場合はご容赦願いたい。公人の公共の場での発言に対する意見なので、発言者は当然そうしたリスクを考慮した上での発言と見なしている。
文化(教育?)関係部局との折衝の様子を報道していた中で、橋下氏の「残ったものが文化ではないか」との旨の発言があった。これは歴史を仕事としている私としては、見過ごすことのできない発言である。文化とは「残す」ものであり、自然に「残る」ものではない。いくら優れた文化であっても、だ。
西欧の植民地政策によって失われたアボリジニの文化は、ネイティブ・アメリカンの文化は、劣っていたから必要なかったのか?
軍事独裁政権や共産主義革命政権のもとで、ミャンマーで、カンボディアで、韓国で、中国で、国家政策によってどれほどの文化が消滅したのか?
もちろん、それだけではない。「平和裏」に消滅したあるいはしつつある文化だって少なくない。イヌイットは、ベドウィンは、現在どんな暮らしをしているというのだ。
植松氏は先日の講演の中で、「人を殺すことが悪いことなのは、殺された人の可能性がこの世から失われてしまうからだ」と述べた。バックミンスター・フラーは「人は皆、その人の経験の目録であり、必ず誰かの役に立つ経験がそこには含まれている」と述べた。この「人」を「文化」に置き換えてみれば、なぜ文化を残さなければならないのかがはっきりするだろう。
それぞれの文化の立ち位置の関係から、現時点で共存が難しいとされる文化(とくに宗教)はあるかもしれないが、この世に不必要な文化、淘汰されてもいいような文化など存在しない。そして、過去の文化からよりよい未来の文化を導くのが歴史学なのである。
ただ、ワッハ上方が文化かと聞かれると私には難しくて答えられない(W)
話を戻そう。もし橋下氏が自らの論法でもって文化政策を切り捨てるとしたら、それは独裁と誹られてもしかたあるまい。また、それが大阪府民全体の意見だとしても、それは閉塞感の矛先が一時的に文化に向いただけであり、その結果が10年後、50年後にどのような反省をさせるのかは歴史が物語っているではないか。財政再建の際に、文化・教育が聖域だとは思わないが、もっと議論を重ねる必要がありはしまいか??改革で痛むべきは「人」であって、もの言わぬ「文化」ではないはずである。
全文を把握しているわけでもなく、断片的なニュース映像からなので、もし前後の文脈を欠いていることによって発言の正確な意図を私が汲み取れていない場合はご容赦願いたい。公人の公共の場での発言に対する意見なので、発言者は当然そうしたリスクを考慮した上での発言と見なしている。
文化(教育?)関係部局との折衝の様子を報道していた中で、橋下氏の「残ったものが文化ではないか」との旨の発言があった。これは歴史を仕事としている私としては、見過ごすことのできない発言である。文化とは「残す」ものであり、自然に「残る」ものではない。いくら優れた文化であっても、だ。
西欧の植民地政策によって失われたアボリジニの文化は、ネイティブ・アメリカンの文化は、劣っていたから必要なかったのか?
軍事独裁政権や共産主義革命政権のもとで、ミャンマーで、カンボディアで、韓国で、中国で、国家政策によってどれほどの文化が消滅したのか?
もちろん、それだけではない。「平和裏」に消滅したあるいはしつつある文化だって少なくない。イヌイットは、ベドウィンは、現在どんな暮らしをしているというのだ。
植松氏は先日の講演の中で、「人を殺すことが悪いことなのは、殺された人の可能性がこの世から失われてしまうからだ」と述べた。バックミンスター・フラーは「人は皆、その人の経験の目録であり、必ず誰かの役に立つ経験がそこには含まれている」と述べた。この「人」を「文化」に置き換えてみれば、なぜ文化を残さなければならないのかがはっきりするだろう。
それぞれの文化の立ち位置の関係から、現時点で共存が難しいとされる文化(とくに宗教)はあるかもしれないが、この世に不必要な文化、淘汰されてもいいような文化など存在しない。そして、過去の文化からよりよい未来の文化を導くのが歴史学なのである。
ただ、ワッハ上方が文化かと聞かれると私には難しくて答えられない(W)
話を戻そう。もし橋下氏が自らの論法でもって文化政策を切り捨てるとしたら、それは独裁と誹られてもしかたあるまい。また、それが大阪府民全体の意見だとしても、それは閉塞感の矛先が一時的に文化に向いただけであり、その結果が10年後、50年後にどのような反省をさせるのかは歴史が物語っているではないか。財政再建の際に、文化・教育が聖域だとは思わないが、もっと議論を重ねる必要がありはしまいか??改革で痛むべきは「人」であって、もの言わぬ「文化」ではないはずである。