God is in the details ~神は細部に宿る~

一箱古本市専門店《吉田屋遠古堂》主人のぐうたらな日々。。。。

動物的カン、恐るべし(笑)

2007-05-30 21:51:27 | 歴史/民俗/伝統芸能
とっても可愛い三島手の器!を拝見したので、今回は三島手のお話。

もともと、三島とは15世紀を中心とする、李朝時代の朝鮮の焼き物の名前でした。
それ以前の高麗青磁に用いられた象嵌の技法を受け継いだ陶器で、
高麗青磁とかわらない鼠色の素地を使った焼き物です。
白い土で装飾を施し、透明な釉薬を使った器全般を
別名を粉青沙器(ふんせいさき)といい、
粉引や刷毛目などと一緒に語られることもあります。



これが高麗青磁です。

象嵌とは器の肌にくぼみを作り、
そのくぼみに色の違う(主に白い)素地を埋め込んでいく技法で、
工芸の世界では陶磁器に限らず広く使われている技法です。
高麗青磁は白と黒の2色を使い、どちらかといえば絵画的な文様を刷り込んで、
言ってみれば器をカンバスにした芸術品です。






どうです?芸術的でしょう!


それに対して三島はスタンプを多用した簡素なパターンの繰り返しで、



シンプルな普段使いの器といえるかもしれません。



たとえば鼠色の肌に白い菊花文が並び、暖かみのある、
それでいて盛りつけるものを選ばない、さりげない器です。
余談ですが、柳宗悦の民藝運動はこの李朝の焼き物の秘めている、
シンプルで実用的な美しさを認めたところから始まっています。

さて、ところはかわって北九州。
15世紀以降、李朝の職人が少なからずわたってきて、焼き物をはじめます。
唐津焼の始まりです。その後の豊臣秀吉による朝鮮出兵の際にも、
たくさんの工人が連れてこられたとも聞きます。
彼らは日用雑器と、当時はやり始めた茶の湯に用いる器(茶陶)を生産していたのですが、
次第に規模が拡大していき、江戸時代の初め頃には国内で有数の陶器の生産地となりました。

そして、江戸時代になると李朝の三島をまねた陶器、三島手が唐津でも作られるのです。
三島ではなくて、三島手というのは「三島風」とか
「三島を手本とした」「三島の技法を使った」と言ったような意味になります。
そういった経緯があるので、場合によっては唐津で焼かれた高麗象嵌青磁写しの器も
三島手とよばれることがあります。

唐津で生産された三島手は、江戸時代に少ないながらも東北にまで流通しており、
人気の高さが伺われます。
もちろん現在でも三島手は陶器の重要なジャンルであり、人気もあります。

つまり、これにキムチやヤンニョムを盛るというのは歴史からしてきわめて必然的なことなのです(笑)