もっこす亭の生きざま日誌

 「自然と人・人と人」の“いいかげん・いいあんばい”な生き方を求めています。

「アオノリ採り」の思い出

2011-02-21 13:41:53 | Weblog
   光の春がやってきた。
 畑の陽だまりにはハコベの緑がみずみずしい。
 春一番の緑を見ると「アオノリ」採りを思い出す。 
 
 子どものころのこと。
 あのころは落ち穂拾いやからいも(さつまいも)拾いと収穫の終わった田畑からその場しのぎの糧を得るような生活だった。
 
 寒に入った晴れた日の日曜日、お袋と近所のおばちゃんたちと数キロ離れた不知火海の干拓地の堀に「アオノリ」を採りにでかけていた。
 
 竹竿の先に、鍵に折った番線(太目の針金)をくくり付け、一斗袋(布製の米袋)を持って。お袋たちは歩き、オレはギーガタン ギーガタンと自転車で荷物運び。
 
 現場は不知火の海の堤防のそば。時には潮の引いたガタ(潟)の中を流れる川だったり。
 巾5・6メートルの堀には、満ち潮の時に海水が上り「アオノリ」にとっては好条件。

 竿で一かきすると、長く伸びた「アオノリ」がかかってくる。
 「寒のり」は濃緑で、味も香りも最上級だ。
 
 アシの枯れ葉などのごみが絡んでいるが、そのまま水を絞って米袋へ突っ込む。
 袋はたちまちいっぱいに。これを洗い場に(勝手に作っている)運んでごみや汚れを洗う。
 
 熊本とはいえ、麦畑を走ってくる北風は冷たかった。
 当時はゴム手袋なんてないから、素手。
 指はかなわなくなり、じっと我慢してやっていると血が通いだす。あとは大丈夫。

 袋いっぱいのアオノリを自転車の荷台に2つも積むとハンドルが浮く感じになる。
 ふらふらしながら帰り着く。
 子どもでも男の仕事だった。

 昼から庭先の狭い畑に張った綱にアオノリを干した。
 一部は生で佃煮にしてくれた。旨かった。
 DSCN5197.jpg
 (昨年の熊本日日新聞より)
 海苔の香りの中に、透きとおる緑はそれは美しかった!<emoji code="a001" />

 天気がよければ2・3日でちりちりに乾き、夜、古新聞の上で手もみで粉にした。
 もみ残ったものは、炭火の上で乾かしていたが焦がすこともあった。
 
 次の日曇ったり雨が降ると大変だった。
 室内に取り込んでも熱を持ち、色も香りも劣化。売り物にならなくなるのだった。

 売るといえば、どこに売っていたのかは記憶にない。
 売っても、ちょっとしたおかず代にしかならなかったと思う。
 あのころは、みんな貧乏で、やさしかった。

 懐かしい思い出。<emoji code="a002" />
  


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