とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

新語「壁ドン」に見る、保守と革新

2014-08-31 12:46:03 | 文章・日本語・言葉
保守と革新の定義はおおよそ次のようなものとされる。

保守:社会を経験則によって永遠の微修正を行いながら元の良いところを保ちつつ運用する。
革新:社会を理論によって、新しい運用を開始する。

さて、この面であるが、最近新しい言葉が出来た。
「壁ドン」である。

現在の壁ドンの意味は次のようなものとされる。

壁ドンとは (カベドンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A3%81%E3%83%89%E3%83%B3


1.アパートなどの集合住宅で、隣室との間の壁を叩き、隣人への嫌がらせや抗議の意志を示すこと。
2.相手の逃げ場をなくすため、壁際に相手を追い詰め、「ドン」と腕をついて腕と壁でその人を囲むこと。 → 壁にドン
3.男女の恋仲や、それに類似する関係の同姓のいちゃいちゃとした仲睦まじい光景に遭遇した際に、どうしようもない、行き場の無い、心のもやもやを近くにある物。つまるところの「壁」にぶつけたい心の状態。


元々、上記の1や3の意味でネット上で使われていたものが、昨今2の形で使用される例が出てきた。

言語としての成立は1や3は自然発生的形で、2は人工的である。

以前、私は壁ドンの言葉について次のように書いた。
壁ドン誤解への怒り - とめどもないことをつらつらと
http://blog.goo.ne.jp/booter/e/8e3a64ca76e6588e8b57b44480971ad3


これは民衆が自然発生的に発した1の意味とは違って、2は世の中を扇動せんが為に作り出されたメディアの流行用語なのであると言う見方から逃れることができない。

見方を変えると、個の意見を尊重し、それが自発的に出てきて同調を得たので1の意味で広まった「壁ドン」と、全体統制主義的に上からの意志統制と個の自由意志剥奪を目論んだ形で使用される、2の意味での「壁ドン」には社会的に使用されうるべき意義の乖離が生じている。

つまり自発的に使用されうる本当と、他者から押し付けられる嘘がここにあるのではないかと言う主張である。


これは言わば、保守と革新の対立に似ている。
以上である。

余談。
自然発生的、経験則的に出てきたのが、1と3であって、人工的、作為的、理論的に出てきたのが2である。2は使用する際にかなりの違和感を生じてなじめない。ただ、使用する人がそれでいいというのであれば仕方も無いが、しかしこれは与えられた言葉を「ほーら○○ちゃん、これはこういう意味でちゅよー」と赤ん坊の如くそのまま使用するような感じがして、馬鹿にされているような気がしてならない。

そもそも○○系男子、○○系女子というのもシャクに触る。勝手にカテゴリー分けをするな、と。押し付けるな、と。

どうにも私は革新に対してアレルギーを起こしているようなのだが、理論による社会構築はいいと思いながらも何か拒否反応を示すのは何故だろうか? 

それは、自分の自己意思によって自由を行使し、社会に対して合意を持って政治をしていくのが筋だと思うが、代議士制の日本に関しては、合意を持たないまま理論によって変革していくからではないだろうか。
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