とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

ゴミの無い年末

2020-12-27 20:35:51 | 最近の出来事
日本文化の慣習として、年末に大掃除をすると言うものがある。
(とは言え、恐らく伝統的には旧正月の前辺りにその慣習をやるのが事実だったとは思うが、明治維新での欧米に倣う形でのカレンダーの変更によって、現在はこの辺りの日程での慣習に定着した)。

さて、私の身の回りと言えば、今年は本当に珍しくゴミが出ない。
例年の傾向としては、年末に大掃除をした場合、そこで出てきたゴミをゴミ袋にまとめても、既にゴミ収集車が回収しない年末年始の日程に突入しているので、大量に出たゴミを出すわけにもいかず、大量のゴミとともに年始を迎えると言う、多少後味の悪い正月を毎年迎えていた。

ところが今年はどうであるか。
とにかく今年の年始から掃除をしまくったおかげのせいか、この年末にはほとんどゴミが出ていない。
今日届いたネットショッピングの包装が最後のゴミになるかと思っていたが、これも捨てられた。

なんだろう、今までが今までであったので、こんな清潔な新年を迎えていいのだろうかなどという訳の分からない違和感が生じている状況ではあるが、それも良い状態の一つなのであろう。
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猫が欲しいのは男性的なホモソーシャルではないか

2020-12-27 18:42:48 | 哲学・社会
ホモセクシュアルとホモソーシャルの違いをまず書いておく。
ホモセクシュアルはよく日本のテレビなどで見る同性愛の人間を指し、ホモソーシャルは男性同士の同性愛感情は全く無いが、男同士で気心が通じ合う、精神的な心理の底で魂を共有する、仲間内の連帯意識や適切な距離での信頼感や挨拶などである。

私がふと思ったのが、猫が欲しいのは男性的なホモソーシャルではないかと言うことである。

猫と言えば可愛がられて、それでも向こうはつっけんどんだからパッと離れていくが、微妙な距離を保ってこちらを見つめている。
が、やはりこちらに興味があるんじゃないかと可愛がろうとするとそれは逃げる。

なので、人間が猫に対する態度は「等格で魂の気心が通じ合う一人の仲間」として接すれば猫としてはまあまあ満足なのではないか、と言う作業仮説である。

ただ、それが正解であったとしても、飼い猫であれば人間の住まいに住んでいるため、そのルールを理解させるために人間側が高圧的に出なければならない時もままあるので、その関係性が難しい。
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コロナと経済のリスク相関に関する雑考

2020-12-27 18:21:49 | 海外・国内政治情報等
私が考える作業仮説。

コロナによって各国の経済がどう停滞したか、と言う観測ではない。
その逆の視点で、各国の基礎的経済動向と精神文化が、どうコロナの感染率に寄与しているかの考察になる。

コロナで感染拡大しているのは間違いなく米国が1番、その後にインドやブラジルなどがある。
一方で日本の感染率が国際的に見て比較的に低いと言う観測は報道にある通りだ。

この差は一体何だろう、と言うことで、よく見かけるその理由付けの理由としては、「マスクをする習慣がある」「キスやハグをする習慣がない」などのことであるが、マクロ的精神文化に目を向けてみたいと思う。

日本とアメリカの精神的な差は何かと言うと、アメリカは危機を恐れずにむしろ奔放に立ち向かっていく勇気が称賛される風土社会である。リスクを取って立ち向かう外向的社会だ。
一方で日本は「出る杭は打たれる方式」に「ボートを揺らすな」とばかりに余計なことはやらない内向的社会である。リスクを取らない。冒険もしない。
これが一つの因子として寄与しているのではないかと私は考える。

その精神的文化がために、アメリカはコロナ前の経済的発展を享受したのと同時に、コロナ後の大規模感染を社会的に発生させた。
他方、日本においては、コロナ前の経済的停滞を享受したのと同時に、コロナ後感染の小規模に抑止する社会を運営させている。

経済とコロナ、その両方の増進に起因するのは、日米だけに限定して言うと、その経済的発展をなさしめる国民的風土がそれを決定なさしめたのではないか、と私は作業仮説において考える。
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政治能力とは何か

2020-12-27 17:57:31 | 哲学・社会

政治(せいじ)の意味 - goo国語辞書
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%94%BF%E6%B2%BB/

1 主権者が、領土・人民を治めること。まつりごと。
2 ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。



せいじ‐りょく〔セイヂ‐〕【政治力】
https://www.weblio.jp/content/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%8A%9B

1 政治を進めていく手腕・力量。
2 自分や相手の立場をうまく利用して巧みに物事を進めていく力。


私個人の意見の観点からこれらに補足していく。

政治力・政治能力とは何か? 


元々政治とは、基本的に人間が集合して社会を構成すると、その大規模なる集団の大なる運営指針を指揮する必要が発せられ、そこから少数の人間にその運営方針を委ねる傾向があった。

これは専制であっても、王政であっても、独裁であっても、少数寡頭制であっても、共和制であっても、民主主義による投票であってもそれは変わらない。
基本的に王とは民の支持・大衆感情たる世論のイデオロギーの潮流に沿っている必要があり、徒に失政して民を困窮させるような王は長続きしない・あるいは体制にぐらつきを与えながらいつ倒れるか分からない不安定な統治をせざるを得ないのが世の必定である。

人間と言うものは、この人間集合の社会における「大多数が決断できる少数を選択し、良かれ悪しかれその社会集団の大なる運営を委任する」と言う状態を選択する。
この委任された少数者が、大なる社会方針を決定することを政治と呼ぶ。

少し具体的に書く。
その政治を行う時、即ち大なる方針を選択する時にはそれに沿っている意見・利益を教授する者ばかりであればいいものの、そうでない人間、例えば今まであった利益が無くなったり、あるいは損害さえも被るようになった社会構成員が出てくるようになる。

例えば集団Aと集団Bの利害が対立する時、政府としての大方針がこうであるからAには利益が行くが、Bには損害が行く、と言う時に、Aを支持すると同時に、Bのメンバーには直接会いに行って、「こういう方針で行きたいからここは折れてくれないか」と行って折れてもらう。あるいはB側が「それだと生活が成り立たない、廃業しろと言うのか」と言う話になるのであれば、B側に補填金や、後の規制緩和を今できる規約の範囲内で約束して折れてもらう(密約と言う手もあるが基本的にはここではそれを書かない)。

その社会の代表たる人間が、その社会集団の大なる方針を決定するのが政治であるが、そうした内部調整ができることが「政治能力」の一つである、と私は考える。

ただし、上記の場合、AもBも折衷で立てると言う方針を行うのも政治決断の一つである(あまりやってはいけない話だが・・・)。
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Youtuberの動画おもろいわ

2020-12-27 15:41:59 | 雑感
ユーチューバーの動画おもろいわ。

寿司ラーメンさんの「巨大なムチから放たれる「一撃」が最強すぎる。」を見ていたが、内容皆無だけれどもまあおもろい。

編集も良い。音楽も良い。タイミングやらオチもいいし、構成もいい。
こりゃ人気出るし、こりゃテレビ負けるなと。

いや、テレビも内容が負けてないこともないんだけれども下記がデメリットなんですよ。
・見たいタイミングをピンポイント指定で見ることができない。
・一つの広告が15秒もありよる(youtubeでは大体最大6秒でカットできる)。
・その15秒広告が4〜8個あって苦痛。
・あと内容が無いのはテレビもYoutubeも同じレベル。
 (内容を求めるのであれば、書籍かYoutubeの教養動画を見るだけ)
・見る速度が2倍速にならない(こちらで使用する時間がもうこちら側のコントロールにならず、テレビ側で規定された時間にコントロールされる)。

私はおもろいおもろいと言いながら、この動画を見ている時間は飛ばし飛ばしで見たため、30秒くらいだけだったけれどもしかし面白かった。

テレビでの芸人のネタ漫才もね、芸人さん達の苦労も凄い分かるんですけれども、しかし難解で高尚であってウィットのあるジョークには誰もついてこないでしょ? で、スリッパで頭はたいた方がウケる、と。
最近は完全に微に入り細を穿つ状態になってしまったので、結局大衆寄りか高尚かで言えば、芸は大衆寄りにならざるを得ないんですよ。
それで「Youtubeは素人さんの領域だから」はおかしい。元々大衆向けのネタを簡素に荒くやるか、完成度が高い状態でやるかの違いで勝負している線上の話なのであって、その線上でのレベルの高低で行って玄人と素人を分けるのは間違っていないが、しかしそれは大衆向けの線上から抜け出せない世界であることには変わりがない。
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