とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

MeCab

2020-12-16 22:18:43 | IT・ビッグデータ・新技術

MeCab - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/MeCab

MeCabはオープンソースの形態素解析エンジンで、奈良先端科学技術大学院大学出身、現GoogleソフトウェアエンジニアでGoogle 日本語入力開発者の一人である工藤拓[1][2]によって開発されている。名称は開発者の好物「和布蕪(めかぶ)」から取られた。

開発開始当初はChaSenを基にし、ChaSenTNGという名前で開発されていたが、現在はChaSenとは独立にスクラッチから開発されている。ChaSenに比べて解析精度は同程度で、解析速度は平均3-4倍速い。

品詞情報を利用した解析・推定を行うことができる。MeCabで利用できる辞書はいくつかあるが、ChaSenと同様にIPA品詞体系で構築されたIPADICが一般的に用いられている。

MeCabはGoogleが公開した大規模日本語n-gramデータの作成にも使用された[3]。

Mac OS X v10.5及びv10.6のSpotlightやiPhone OS 2.1以降とOS X Yosemite以降の日本語入力にも利用されている[4][5][6]。

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『鬼滅の刃』のナゾ 押井守が考える「設定もキャラクターも新しいわけではない」のにバズった理由

2020-12-16 19:36:08 | 映像作品
私が下記に加えて考えるに、映像興行とは恐らく燃焼作用なのだ。

単に良い作品があれば良く売れる、と言うことではない。

恐らく良い作品と言うものは、焚き火で例えると良質の薪なのであって、それは誰が火をおこしてもそれなりに燃える。よく乾燥していて、油をよく含む木が理想だ。湿気った木や生木はNGな素材だ。

ただ、火起こし名人と言うのがいるように、短期間で大火力の火を起こすにはそれなりにコツがいる。
火が燃えたら後は薪が勝手に加えれば、更に大火力になるという形に似ている。

この二段階構成において、映像興行での成功と言うものは考えなければいけないように思う。


『鬼滅の刃』のナゾ 押井守が考える「設定もキャラクターも新しいわけではない」のにバズった理由
12/13(日) 17:12
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e5b60f95fde5092bb0c7888df5ee468ebee96f4

 昨年も「文春エンタ!」において、1年を振り返ってくれた押井守監督。2020年はコロナやBLM、米中対立など実にいろいろありましたが、押井監督はこの世界をどのように見つめていたのでしょうか? 今年もぶった切っていただきました。

「100万人までは作品の力。それ以上は社会現象」

(1)『鬼滅の刃』大ヒットの理由とは?

 YouTubeの映像以外で『鬼滅の刃』を見たことはないけれど、基礎知識は一応ある。原作の漫画に人気があったというし、画も丁寧。とはいえ、設定もキャラクターもストーリーも新しいわけではない。にもかかわらず劇場版(『鬼滅の刃 無限列車編』)は日本の興行成績を塗り替えるほどのメガヒットを記録した。

 その理由を考えるとき、私の頭に浮かぶのは、鈴木敏夫(ジブリ作品のプロデューサー)の「100万人(の動員)までは作品の力。それ以上は社会現象」という言葉。アンコントローラブルのところまで行って、初めて大ブレイクする。今風にいうと「バズる」。バズった作品がメガヒットする。

「バズる」ことの本質は、誰もが知りたい現代の謎のひとつ。タネも仕掛けもないから“現象”であって、“現象”が先行するから“現象”であり、その理屈はあとからついてくる。では、「バズる」ことの臨界点はどこで超えるのか? 誰もが情報の発信者になりうるこのSNS社会で、どうやったら個人的な情報が臨界点を超えて社会現象を起こすのか? これもいろんな人が考えているけれど、納得できるような答えは出ていない。

 そこで、自分なりに考察してみると、考える順番が違うんだと思っている。「バズる」という現象は、現象ありきなのだから帰納的にしか説明できない。すべてが後付けになるため、演繹的に考えても無駄。哲学的にいうと、世の中には語れることと、語れないことがある。語れないことに対しては沈黙を守るしかない。つまり、その「語れないこと」が「バズる」ということ。そもそも人間はいまだに世の中の仕組みをコントロールできないんだから仕方ない。

 これは流行の本質だと思う。わからないからこそ、みんなが興味を示し近づく。評判が立っているという現象に誘導される。そうなると、いいか悪いかはもう関係ない。大ヒットした『君の名は。』も同じ。もちろん作品の力はあった。でも、その作品の身幅を超えたからこそ大ブレイクした。

『鬼滅』はおそらく、これからも劇場版が作られるだろうけど、この1作目と同じように大ヒットするかは怪しい。『ドラゴンボール』や『ワンピース』のようにスタンダードになるかというと、それも難しいと思う。でも、なぜそう感じるのかは説明できない。それもまた「語れないこと」だから。
「役者の層が厚くて、映画雑誌も元気」

(2)肌で感じた韓国のエンタメ・パワーの秘密

 韓国の映画界とはわりと縁があって、自分の原作アニメーションが2本、実写映画化(『人狼 JIN-ROH』と『BLOOD THE LAST VAMPIRE』)されている。その他にも、今年オスカーを『パラサイト 半地下の家族』で獲ったポン・ジュノの『オクジャ』(Netflixで配信中)という作品の撮影現場にも行ったことがある。このときは、ポン・ジュノに頼まれて、『オクジャ』のアニメーション版を作る予定だったから。諸般の理由で実現はしなかったけれど。

 韓国映画を観るだけではなく、現場に行って映画と関わった私の経験からいうと、韓国は役者の層が厚い。主演級の男女優から、脇を固める個性派やシブ目の役者までバラエティに富んでいる。主役級になるとオーラがあるし、男優の場合は背も高く立ち姿がきれい。女優はいうまでもなく華がある。しかも、その多くがちゃんと動けて、ちゃんとアクションもできる。『人狼』のキャスティング(カン・ドンウォンとハン・ヒョジュ)には感心したし、映画のできはさておき『~VAMPIRE』のヒロインを演じた女優さん(チョン・ジヒョン)もとてもよかった。キャスティングに幅があるというのは、映画界にとって大きなアドバンテージになる。

 一方、日本の場合、アイドル的な人気タレントが主演を張り、脇を固めるのはいつものおじさん役者。シリアスなドラマ系になると、主演はだいたい同じ顔触れ。いつも同じ役者ばかりで作品の区別がつかないほど。実写の場合はやはり役者ありき。その部分が充実している韓国はやはり強いと思う。

 今の日本の劇場は、追体験の場にしかなっていない。人気アニメや漫画、ベストセラー小説の実写化ばかり。オリジナルといえる作品とはほぼお目にかかれない。それは何を意味しているかといえば、観客は「知っているものしか見たくない」。彼らは、正体のわからないものに金と時間はかけたくないということになる。

 これは映画館としては末期的な状況だと、私は思っている。少なくとも韓国はまだそういう状況にはなっていない。私が韓国に行った3~4年くらい前にはまだ4~5冊の映画雑誌が出ていて、いかにもマス向けな化粧品の広告もいっぱい入っていて分厚かった。これも今の日本ではありえない、韓国の映画マーケットが元気な証拠だ。

◆◆◆

 押井守監督が『The Last of Us PartⅡ』の“ポリコレ問題”についても語ったインタビューの全文は『 週刊文春エンタ! エンタメが私を救う。 』に掲載されています。

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