とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

人口制限はマルサスの罠だけではない。食料確保の次の、労働民の金銭確保の生活と持続可能社会の突破へ

2018-12-31 14:32:38 | 哲学・社会
「人口減」や、あるいは「人口が増加しない」と言うものには、社会学的根拠がある。
一つは食糧問題であり、これを人類は突破した。
もう一つは、資本主義の一形態による格差拡大であり、これを人類は突破しようとしていない。むしろ是認し、少子化の遠因であるのにも関わらず、問題意識さえ持っていない場合もある。

これを見ていこう。

1.

マルサスの罠 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%BD%A0

マルサスの罠(マルサスのわな)英: Malthusian trapまたは人口の落とし穴英: population trapは飢餓に導くような食料供給の不足に従い過剰な人口が増加を停止するであろうことによる条件である。


つまりは、人口は等比級数的に増えていくのに対し、人間が増えていくのに必要な農産物の生産は等差級数的にしか増えていかないから、農産物の生産量以上には人口が増えないだろうという英経済学者の社会学人口理論だった。

しかしそれは現実には突破し、世界人口は前例を見ない70億に膨れ上がっている。
なぜ突破したのかというと、それは農作物が増えたからであるが、その農作物が増えた理由は、今まで運でしかできなかった、農作物が育つのに必要な窒素固定と言うものが、化学肥料によって強化されたからである。

そしてその窒素固定を成す化学肥料とはハーバー・ボッシュ法の化学的発見であり、その発見から空気中にしかなく、窒素固定菌に頼って窒素を物質化していた植物は、強力な肥料によって生産物を増やしたのであった。


2.
ここで疑問に思うのが、先進諸国では、今どこでも少子化問題に接している。
それを移民で賄うと言う話だが、しかしそれは根本解決ではない。
現代に生きる我々は、誰も「なぜを五回繰り返してその原因を突き止めようとしない」か、もしくはそれをやったとしても全く無意味な方向で体裁だけ整えた問答をやっている可能性がある。

少子化の理由は「結婚相手がいない」か、できそうな場合でも「子供を育てていくだけの経済的余裕がないから」である。

それはピケティが指摘した経済格差の拡大によって、今現状の資本主義の中で肯定はされているが、しかし人類の発展、あるいはもう少しミクロに見て、国家の発展、と言うことを考えるのであれば、まず社会学論として実施すべきは、ハーバー・ボッシュ法の発見から農作物が拡大生産されるようになり、そして人口の増加につながったように、発達した資本主義による経済社会は人口減をなさしめうると言う理論分析を適切に行い、そして国家運営を維持していくための国家人口の維持を図るために、社会経済学上における適切な再分配と発展に寄与せしめうるべきなのだ。

具体的には、申請を不要とする出産費用の減免(産婦人科には国から補助)、子供を育てるためのプラン(縮退した給与体系でも1家庭3人までは大学に行かすことができるなどの人生プランの提示)、老後のプランなど、可能であれば我々がそれらを独立して解決していくべきであるのだが、国家運営の俯瞰から見た場合には、それらを用意し、アドバイスしていく必要がある。


3.
人類は、既存の人間社会が人口を自ら抑制するというマルサスの罠を突破した。
しかし、先進諸国は少子化にあえいでいる。

それは三人以上の子供を残す生活費や、あるいは意識に倦厭感があり、それは資本主義の行き着いた形態、即ち労賃金の上昇率よりも高い上昇率を持つ資産増殖により、社会で生きるための金銭が手に入らないからだ。

「二種類目のマルサスの罠」が存在するのに、誰もそれに対する対策を理論化しないし、問題意識も持たない。これは国家にとって危険なことである。


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円周率はなぜ無限にランダムに続くのか、と言う哲理的理解

2018-12-31 14:07:25 | 哲学・学術・教育
未記載原稿はあと300ほどあると思うのだが、私の人生の時間もないので、これからは重要なものから書いていきたい。

円周率はなぜ無限にランダムに続くのか、と言う哲理的理解をする。

円周率はなぜ無限にランダムに続くのか、と言うことについては、私が見る限り、どの本にも書いていなかった。
ので、私なりの理解を書いておく。
もし、これに対して賛同頂ける方がいらっしゃいましたら、「このブログにこんなことが書いてあったよー」だとか、あるいは別にそれを言わなくてもいいので、数学に対するちょっとした理解を深めて欲しいと思います。

さて、お題の件であるが、それは無理数だからですよ、証明はこれですよ、と言う話は別の方に任せたい。
私から見れば、そうした証明は、「円周率はなぜ無限にランダムに続くのか」と言う理解に直感的でないからだ。

なぜ、3や4と言う割り切れる数字ではなく、あるいは別に3.5とか3.1とかきりのいいところで止まってくれないのか? 

3<π<4と言うのは色々なところで証明されているので、詳しくは別途検索して欲しい。
簡単に言うと、半径1の円の円周は、一辺の長さが0.5の正六角形よりは円周が長く、しかし一辺の長さが1の正方形よりは小さいからだ。

さて、ここでの私の回答はそれとは別だ。次のようになる。

「円周率はなぜ無限にランダムに続くのか、と言うと、直線を基準に生成された線分の積分的積算値を1とした場合の、点を中心とした半径1で生成された円周線の積分的積算値がπとなる。
 生成されるロジックが異なるので、直線の生成ロジックから見れば円周が割り切れず、円周の生成ロジックから見れば直線が割り切れない結果となる。
 要は、その線の生成方式の差で割り切れない比率が決定してしまうのだ。」
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救急相談センターに電話した

2018-12-31 12:10:24 | 最近の出来事
痛みが引いたので今のうちに記載する。
まとめきれない。散文で書く。

今日の午前中に救急相談センターに電話した。
朝起きると、どうにも腹の調子が良くない。
痛くて布団から出たくない。

と言うより、もし食あたりなどの下痢があれば、それは大体へそあたりから下腹部までの痛みがあるのだが、今回は左下脇腹なのである。

まず病院に行こうと思った。
耐えられる痛みであればまあいいのだが、ちょっと難しそうだ。
しかし立って歩けないこともないし、救急車を呼ぶべきかどうか迷ったので救急相談センターに電話した。
年の瀬と言うこともあり、医者の仕事も大変なことがあるだろう。

プッシュコールで、聞きたい内容のボタンを押す。
今回は1,2,3の内「2」。救急車を呼ぶべきかの判断可否を問い合わせたい時の番号である。
通話の開始までは早かった。
10以上の質問をヒアリングされた後、立って歩けない訳ではないので、タクシーで行くことを勧められた。

了解である。

と、電話が終わってから10~20分ほど、布団の中で悶絶してうめき声を上げた。
うーんこの根性なしと言う感じではあるが仕方もない。
タクシーを呼んで玄関までいけないことはないが、しかし運んでくれた方が格段に楽である。
どこで線を引けばいいんだろう? 


そこから、ひょっとしたら温めればいいのでは? と、電子レンジで温めるタイプの湯たんぽを久々に取り出す。それをレンジに入れ2分の温めをする。2分後にレンジから取り出す。痛い所に当てる。
5分くらい悶絶していて、即効性の効き目なし。ダメか。

本当に会社組織が恨めしくなってきた。なぜ某○社、そして社長Fさんは私を認めなかったのか。
こんな感じで人生を壊すくらいまでには働いたのに? なぜ? どうして? どうして? 
この痛みは○社が与えたものに等しい。なんで? なんで? それでいて向こうさんは普通の生活と普通の人生を送って正月を笑顔で迎えられる。
この痛みは○社が与えたものなのに、関係者はなぜ笑っていられるのか? 
どうしてだ? どうしてだ? 
現実としてそれは過ぎ去ったこととして受け入れなければなければならない。
しかし未来への怨嗟の返報はどうしてくれよう。


そして一方、この病状に因果があると思ったのは、丁度去年の冬の時期に、私の叔父と私の父が立て続けに亡くなっていることである。
二人の天寿に至るまでのプロセスは異なっているが、やや似ている。
叔父は他家のことなので、ここにその病状の詳細を書くことはしない。

私の父は、元々頭蓋底腫瘍を持っており、本来は年を越せる予定だったが、入院した途端に病状が悪化した。
直接死因は頭蓋底腫瘍と死亡診断書に記載されたが、事実は若干異なる。
間接原因は尿路感染による発熱と症状の悪化である。
(これは医者からの説明にもあった)。

つまり『入院しなければ』助かっていた可能性が全くあり、入院させた人はそれを長く後悔していた(今もしていると思う)。
冬の時期に膀胱や尿路が原因で症状が悪化すると言うのは、この家計筋における基本パターンであるらしい。


トイレには、5~6回行った。尿も出ない。便も出ない。だがトイレには行きたくなる。

再び布団に潜って、患部に湯たんぽを当てる。痛みで唸る。

もう一度トイレ行く。おしっこ出る。とここで体が軽くなってきた。

と言うことで、今これを書いている次第である。

この時に色々と思ったのが、死ぬ前の棚卸しである。
私の怨嗟は殆どこのブログに書いた。
但し企業名と実名は書いていない。
企業名と実名を書くことは、何らかの施設が可動する前のキーをひねることに似ている。
それのキーを捻れば、ダムは情報と言う水を徐々に、定常的に永続的に放出する。

これ以外の心残りは、金銭に関する社会的な基礎概念の発見を発表できなかったことだ。
時間が人間の認識であると言う言語化したことに成功したのと同様、
きっと人の役に立っただろうにと・・・


今すぐ死ぬわけではないと思うのだが、最近になって怪しさを感じてきた。

私と会って優しくして下さった方には本当に御礼申し上げたい。
そして某○社のとある事業部と、その子会社である旧某J社(今は他の会社と合併してSと言う名前になっている)と、その下の協力会社であった某○社の1代目社長のFさん(既に死去)は許さない。

なお、とばっちりがあるといけないのできちんと書いておくと、旧J社と合併した某D社の方々には、本当に本当にお世話になった。この人達に全く非はない。
また、1代目社長のFさんの後を継いで、2代目社長になったAさんにも大変、大変にお世話になった。心から御礼申し上げたい。3代目社長のKさんとはあまり絡みがないので言いたいことは特にないです(そもそも責任を問われる形での就任ではない)。

あと、Dさんはワーカホリックで仕事をかなりしているように見えるが、配下の部下の育成や組織運用の構築には本当無頓着でかなり適当で、周辺の人間の幸せを全然考えていなかっただとか、既婚子持ちで旧J社のMさんが、2014年の12月に(当時は既に合併済みなので、J社ではなくS社と言う名前になっていた)「大麻はやっていないけれど、当時合法だったマジックマッシュルームをやった」と言っていたとか色々言いたいことはあるけれども、もうそういう時間も取らない方がいいんじゃないかと思う。
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