とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

私と物語4

2018-12-01 23:43:01 | 思い出
続き。

今現在、TVアニメでジョジョの奇妙な冒険第5章がやっている。
それに登場するミスタと言うキャラクターの回想シーンだ。

 人間には、それぞれ定まった運命があるものだ

 人は、若い頃足踏みしたり、遠回りをするのだが
 結局は自分の向かうべき道を歩んでいくものだ
 という事

 銃を持ったゴロツキ3人が相手、その“暗闇”を切り開いたのは覚悟だと
 集中して弾道を見て避けた、という「集中力」じゃない
 傷付くことを恐れず、「必要なこと」をやる
 それだけに集中する事


あるいはポルポと言う登場人物の殺害直前のポルポ自身のセリフ

「ライターを消そうが消すまいが、あの手の何も知らん若者は自分たちにとって都合よく扱える」


私はまさしくそうだった。

与沢翼と言う人は情報商材なんかを扱っている人なのだが、次の発言はまさしくそうだなあ、と思った。

https://twitter.com/tsubasa_yozawa/status/1058729119343472642
与沢翼
‏認証済みアカウント @tsubasa_yozawa

私にとってもそうなんですが奇跡的な事を人生で成し遂げたいと思ったら今のままではダメなんですよ。今やっている事はこれまでの人生の中で絶妙にbalanceが取れてここに収束してるだけで今後の理想にとってドンピシャではないので。根本を入れ変えるという事も時として必要です。問題はそのタイミング
7:34 - 2018年11月3日

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夢の内容はどのような意味を持つのかという科学的私見メモ

2018-12-01 22:58:31 | 哲学・学術・教育
夢の内容はどのような意味を持つのかという科学的私見メモ。

よく、夢占いなどで次のようなものがある。
夢が知らせる危険なサイン8 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8fbGU6eSEwA


これらの占い的な予想や想定は本当に役に立つのだろうか? 
蛇の夢を見たら、金運が上がる? 本当だろうか? 
蜂の夢を見たら、危険が近づいている? 本当だろうか? 


私が今考察している作業仮説での結論から言えば、「夢に意味はない」と言うことになる。
なので、この論に従った場合、怖い夢などを見た時にはさして気にしなくてもいいよ、と言うことを言いたい。
ここから先に書くことは、学問として全く裏取りのない個人的考察だが、それを踏まえた上で読んで頂きたい。

さて、いきなり「夢に意味はない」と書いてしまったが、なぜそのような結論になるのか。

私の作業仮説は次のようになる。

動物は将来的利益や危険などの想定・想像を行うように脳が進化しており、人間は殊更その傾向がある。
あの木には実がなっているかもしれない、あの木の下には木の実が落ちているかもしれない。
あそこの山には危険な獣が潜んでいるかもしれない、あの川には魚がもう少しで取れる時期になるかもしれない・・・。

そうした時、特定の利益や注意事項に際しては、漠然とした何かを想定するのではなく、具体的な特定の何かが人間の脳がキャッチしやすい型が脳細胞の組み合わせとシナプスの電気信号の伝わりやすさの組み合わせによって検知されやすくなっている可能性がある。
事実、人間が草むらから蛇を見つけ出すことは他の動物を見つけ出すことよりも早くできることが発見されており、これは人間が蛇を危険から守るように、人間のDNAが脳に事前のプログラミングをしていると言う可能性に言及できるだろう。

つまりは何かを考えたり、思考によって想定したりするのではなく、蛇を本能・あるいは反射神経として危険なものと認識するように人間の脳はできている。


次いで夢の話だが、夢はなぜ見るのか、と言うと、「脳が半覚醒的に通電してしまっているがために、次々とランダムに想起される出来事を、これまた脳の認識として記憶するがために発生する睡眠時の体感現象」と私は考えている。

つまり、危険を想定する想起が、脳のコントロールなくランダムに発生してしまい、例えば蛇を想起してしまった場合は、自己のコントロールなく蛇の夢を睡眠時に体感現象として体験する。


よって、上記の作業仮説が仮に正しかった場合は、「夢とは、人の太古の経験としての恐怖や利得がDNAに染み付いたもので、それがコントロールなくランダムで発生したものだからさして木にする必要はない」と言うことになる。


人は何に対しても意味を見出すことに熱中し、夢中になる。
夜に見える満天の星の並びに、どういう意味があるのだろう、と想像した太古の人々は、そこに星座を描き、意味を見出した上で、ストーリーを紡ぎ出した。
月の模様にはどういう意味があるのかということも想像して、物語を語り紡いだ。
日蝕が起これば、神がお怒りになられているという想定をして、その現象におののいた。

次第に世界は西洋の科学主義、啓蒙主義により、物理現象、科学現象を見出すようになる。
なぜ物体が落下する時、放物線を描くのか→加速度gが働いているから。
なぜ音波が伝達するのか→媒質があるから。
なぜ物体が移動する時、減速して止まるのか→元々は等速運動をするが、摩擦によりエネルギーの損失が起こるから。

今では、単なる人間の特異な認識の一つである「素数」についても、何らかの並び方の法則があって、そのうち任意点での素数を算出できるのではないかとチャレンジしたものの、現在はそれに失敗している。
現時点において、「素数を発見できる数式そのものが発見されていない」と言うよりも「素数は意味ある数(倍数)の最初に見つかった規定数を残してその他を取り除き、その羅列を素数として定義する」と言うものだからそもそもが法則性が見いだせない=素数の並びそのものに対して検査をした上での事後的発見はできるものの数列の並び自体にそもそも意味がなく、予測できないという定義で考えていない。

円周率の数字の並びも同様で、あのランダムな並びに意味はない。人間がそこに無理やり意味を見出そうとしているだけなのであって、「ランダムな並びに何があるのか」と言うよりも「なぜそのランダムは起きるのか」と言う、その課題を為している上位構造のメタ的な命題を考えるべきだ。

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私と物語3

2018-12-01 21:34:01 | 思い出
人が物語を読んだり、映像作品を見る時には、その主人公やら脇役やらに感情移入したりすることがある。

それは以前にも書いたことだが、どうしてもその登場人物と自分を重ね合わせて見てしまうシーンが稀にあり、そして、その物語のストーリー進行上において、「自分の場合はどうだったか」と言う対比に置き換え、考え込んでしまう。

今回は今話題になっている「ゴブリンスレイヤー」だ。

ゴブリンスレイヤーの漫画版第24話で、主人公の師匠は次のように戒めを投げつける。

「力がなくてなんもしなかった奴が、力を手に入れた途端なんかできると思ったか? 」
「才能がねえ」「能力がねえ」「一山幾らの凡人」
「ただの『あ』だ」
「けど決めるのはてめえ自身よ」
「何かやると決めてぶん回した時点でてめえの勝ちだ」
「運 智慧 そっから根性だ」
「お前は運が悪い 智慧もない」「根性はあるか! 一緒くたに鍛えるぞ」

「お前は運がない 智慧もない」「だが根性だけはある」
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社会人口動態の新モデル 15歳の就学との並行就労と、35歳でのプチ引退と年金生活

2018-12-01 11:24:12 | 哲学・学術・教育
社会の労働人口を実験考察する。

現在の未来予測では、AIによる労働人口の余剰が予測されているのにも関わらず、外国人就労者を増やそうとする資本層本位の利益収奪思想によって移民を出し続けている。

実際の数字を出していないので、まだ確定していない段階での作業仮説なのだが、労働の需給ギャップと言うのは給与・賃金の上昇によってすぐに埋まる。
それをしないで移民を入れて、労働人口を維持しようとするのは、給与をあまり高く払いたくない、と言う資本層のわがままな思想から来ているように思える。
労働者側は経営者に自粛・謙遜などをして「給与を無駄に上げたら経営が大変になるだろうから、自分は主張を自重しておこう」などと思うかもしれないのだが、別に給与を上げても短期的経営は破綻しない。
長期に渡る経営の中で、正社員の雇用期間が景気の振幅の波長よりも長いので、マイナスの期間も耐えられるように内部留保を増やしたり、あるいはそういうリスクを見越して溜め込んでいる。

それはいいとして、それじゃあ給料を抑えるために労働人口を増やす、と言う経済界の主張と、年金における人口動態予測の見通し失敗と、それに伴う制度計画的に失敗した設計からくる年金支払の遅配について、この2つが合致した結果、65~70歳での就業年齢と言う奇策を政府は生み出した。
私は左翼ではないが、左翼と同調的に言えば、恐らくこれは、官邸筋と官僚達は、「総選挙で与党が勝利したので、国民に支持された」と言うシナリオに持っていくだろう。これは強弁である。
支持は支持でも「それ以上に上策がないから仕方なく支持しているだけなのであって、この辺りの政策と制度計画の崩壊に際して国民はひどく日本政府の内政に失望している」のである。

ここで私が提案したいのは、別の代替手段による就労人口の増加と年金制度設計の新しい見直しである。
まず、就労人口は年齢を引き下げる。早くて15歳、中学卒業が要件とする。
それでは学業はどうするのか、と言うと、社会の仕組みを体験する学業とアルバイトを合致させればいい。
それは首相官邸の手伝いでもいいし、新聞社のアルバイトでもいい(通常、新聞社のアルバイトは大学生だ)。
IT企業のプログラミングでもいいし、寿司屋で下働きするのも、鮮魚を売るのでもいい。
社会経験は、「自分に何が足りなくて、何を勉強すべきなのか」と言う指針を与える。
これを実験的に実施してもいいのではないか。

それと今の日本の社会で問題なのは、JKビジネスと呼ばれる、未成年の風俗産業まがいの商売があることで、これは人員として女子高生がお金が欲しく、男どもは女子高生とあれこれしたいという需給がマッチングしてしまっているからだ。
この女子高生側の「お金がほしい」と言う部分を別の商売で供給して、減衰させる。
女子高生には、是非、経営コンサルやITコンサルなど、企業を対象とした事業アドバイスが、知的営為で大金が稼げることを是非知ってもらいたい。そしてそれこそがあるべき人間社会であるべきはずなので、それに向かって社会を邁進させるべきなのである。

そして年金であるが、現在65~70歳での需給開始と言う議論があるのだが、これを35歳からもらえるようにする。
年金制度的に無理じゃないか、と言う話が簡単に上がるのだが、そうではない。
元々社会の就労人口と言うのは、歴史の総合的な観点を見るに、15~35歳に集中させるべきなのだ。
無論それ以上の人間が不要という訳ではないが、一生懸命働ける年齢がそれくらいになるので、社会に活力を与えるなら、この年代に燃料を入れるべきなのである。

そして35歳から余生を送る、と言う生活にする。
もちろんそこから企業経営したり、政治家になっても、床屋を開業してもいい。

そしてこれらは実現不可能と見られるとは思うのだが、数学での大数の法則と、景気操作によって人間らしい社会が送れないものかと考える。
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「バカだっ、お前は」の英語訳

2018-12-01 10:53:09 | 文章・日本語・言葉
どうも英語訳には違和感があるように思えてならない。

例えば、コードギアスのシーズン1の第四話のラストで、死刑になりそうなスザクを救ったルルーシュが、また死刑になるために戻ると言うシーンで、次のセリフがある。

ル「相当手荒な扱いを受けたようだな。やつらのやり口はわかっている、柩木一等兵。…ブリタニアは腐っている。君が世界を変えたいのなら、私の仲間になれ」
ス「君は…本当に君がクロヴィス殿下を殺したのか? 」
ル「これは戦争だ。敵将を討ち取るのに理由がいるか? 」
ス「毒ガスは? 民間人を人質にとって…」
ル「交渉ごとにはブラフはつきものだ。結果的には誰も死んではいない」
ス「結果? ………そうか、そういう考えで…」
ル「私のところにくるがいい。ブリタニアはお前が仕える価値のない国だ」
ス「そうかもしれない。でも、だから僕は価値のある国に変えるんだ。ブリタニアの中から」
ル「変える? 」
ス「間違った方法で手に入れたものに価値はないと思うから」
ル「待て! どこへ行く!? 」
ス「あと1時間で軍事法廷が始まる」
ル「っバカかお前は!! あの法廷はお前を犯人にするために仕組まれている。検察官も判事も弁護人も!! 」
ス「そうかもしれない。でも、それがルールだ。僕が行かないとイレヴンや名誉ブリタニア人に対して弾圧が始まる」
ル「だが、お前は死ぬ!! 」
ス「構わない」
ル「バカだ、お前はっ」
ス「昔…友達にもよく言われたよ、このバカって…」
ル「っ! 」
ス「僕の欠点なんだろうな。君を捕まえたいがここでは返り討ちだろうからね。どうせ殺されるなら僕は皆のために死にたい。でも…ありがとう、助けてくれて」
ル『この…バカがっ』

っバカかお前は!! →You're an idiot!
バカだ、お前はっ →You're an idiot!
この…バカがっ →You idiot!

と言うことで英語のネイティブでもないくせしてこれらの英語訳には違和感がある。
英語圏でidiotと言う際には、どうにも純粋に侮辱の際にしか使用されないように思う。

日本語圏で「バカ」と言う時には、関東以北と関西以西で扱いが違うのだが、この舞台の場合では、「どうにも愛すべき対象が、あまりにも『バカ正直』過ぎて、道を誤ろうとしている時に、敬愛と情念と誠意を込めてそれをストップさせたり、注意喚起したり、あるいは啓発を促したりする」時に使用する。

ルルーシュがスザクに英語で「このバカ、行くのをやめろ! 」と言うならば、
"No! You're too honest to keep the faith,stop."
と言う感じだろう。idiotは使用しない。

これはギリシャ語で蛮勇・実直・嘘がない・肉体的な力・正面からの直接勝利と言う意味合いを示す「ビエー(bie)」に対し、戦略・策略・謀略・知略・嘘と虚実・側面からの間接勝利・恣意的な情報営為による敵の錯乱とそれによる成功を示す「メーティス(metis)」があるが、スザクはビエー、ルルーシュはメーティスに当たる。

日本語での「バカ」とは、一般的に知略がなさすぎて結果として失敗してしまうことを戒め、そしてその戒める相手が敬愛・敬慕・敬意や尊敬の念を含めている時に、注意喚起や啓蒙啓発の類として使用される。

日本では知略が足りないことと裏表が無い誠意があることは、ほぼ同一の方向性を持ち、礼賛されながらも、しかしそれは嗜められ、注意されることの領域として扱われてきた。
なので、社会的に貶められることはないが、たしなめる程度に"baka"を使用するのである。

対して、idiotは、どうにも社会的に相手の地位を貶めるシーンにだけ使用されていないのかと言う懸念があるのだ。小学生の言う「バーカバーカ」と一緒である。

この他、ロボットアニメ・グレンラガンでのラストシーンで「バカねえ」と言うのも、自分の愛している伴侶にちょっと嗜めて言う時の言葉だが、その時の英訳
"Don’t be silly."
はニュアンス的に近いように思う。
(英語直訳で辞書を引くと「ふざけるなよ、冗談じゃないよ、うそつけ! バカ言うな」と若干攻撃的だが、「そんなことないわよ。」と言う優しいシーンでも使用されるらしい。)

遠い記憶だが、アニメ映画「紅の豚」でも、修復したサボイアでジーナに会いに行く時、ジーナが昔のことを思い出して、その昔を懐かしみながら、思い出を愛おしく抱きしめる時に「バカ」とつぶやくシーンがある。
これも"idiot"と訳されていて違和感がある。
sillyが原義に近いだろう。
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