構造的暴力とは、私もほんの僅か、若干の例に遭遇したことがある。
しかしこの戦いは厳しいぞ。
人間が構築したピラミッドを、その人間自身が破壊するにはイデオロギーの転換が必要だ。さながらフランス革命のような・・・
しかしこれがきっと偉大な一歩になってくれるだろう。
イデオロギーの変更とは、つまり認識の変更のことだ。
ジャーナリズムが構造的テロリズムを駆逐する。
そのジャーナリズムとは、私が個人的に思うに、「情報連携による大衆社会の防衛」のことである。
それだからジャーナリズムに社会的存在意義がある。それだからジャーナリズムに正義が附随する。
ジャーナリズムを構成する主要な要素は、詰まるところ情報の連携だ。
それは新聞記事でもいいし、テレビ番組でもいい。ラジオでもいいし、そう、もちろんネットでの発信であってもいい。
この動画とテキスト付きの講演が多くの人の意識を変更するだろう。
もう一つ、メアリー・バセットが主張する言説には重要な点が触れられていない。
アフリカがなぜ困窮に苦しむのか。
それを深刻に影響させる国際的構造関係を明らかにしてはいない。
<
メアリー・バセット: 医者が社会正義を求めるべき理由 | TED Talk | TED.com
https://www.ted.com/talks/mary_bassett_why_your_doctor_should_care_about_social_justice/transcript?language=ja
0:11
私がハラレに引っ越した1985年 ジンバブエの医療政策の中核には 社会正義が据えられていました 長い独立戦争の果てに 新政権が現れ 直ちに社会主義的政策を宣言し 医療サービス、初等教育などが 基本的に無料となりました 地域医療施設を大幅に増やし 国民のおよそ80%が 徒歩2時間以内で 医療施設に手が届くという 大変目覚ましい成果を出しました ジンバブエが独立した1980年には 国内の子供の予防接種率は 25%でしたが わずか10年後の 1990年には 80%に達しました
0:57
私は この大改革に関わっていることを 本当に誇らしく思っていました 人々の興奮や結束が 目に見えるほどでした 現地の 非常に有能な 科学者、医者、活動家と肩を並べ アフリカの独立運動だけでなく 世界の先端を行く公衆衛生運動の 一部になった気分でした
1:25
しかし 恐ろしい問題がありました 私が到着した年 1985年に ジンバブエ初のエイズ症例が報告されました 80年代初期に研修医をしていた ハーレム総合病院で 何人かのエイズ患者を診たことは あったのですが― アフリカに迫っていたものが何か 全く想像がつきませんでした 私の滞在初期の頃の HIV感染率は2%程度 それが急上昇し 成人の4人に1人が 感染しているというのが 私がハラレを離れた17年後の状況でした 90年代中頃までには 私は何百人もの働き盛りの人々に HIV陽性だと告知しました 同僚や友人の死を経験し 生徒や患者の死も目の当たりにしました
2:17
これに対し 私は同僚たちと 診療所を立ち上げました コンドームの使い方を実演したり 学校や職場での性教育を開始したり 症例調査を行ったり 感染者のパートナーに対し 予防方法を指導したりも 一生懸命でしたし その当時は 最善を尽くしている思っていました 優れた治療を行っているつもりでした 今思えばお粗末でしたが しかし 構造的改革を求めるような 活動はしていませんでした
2:50
元国連事務総長 コフィ・アナン氏は 率直に 自身の失策がルワンダを虐殺へと 向かわせたと語りました 虐殺が起きた1994年 彼は国連PKO事務総長でした 虐殺10年目の追悼式にて 当時を振り返り 「当時は最善を尽くしていると 確信していたが 虐殺が起こって気づきました もっと できることも やるべきこともあったのだ 警鐘を鳴らし 協力を得るために することがあったのだと気づいたのです」
3:21
エイズの大流行は 医学界の不意を突きました そして 世界保健機構(WHO)の予想では 今までに3,900万人がエイズで 命を落としたと言われる現在 もっと早く行動するべきだったと 後悔しているのは私だけではありません
3:42
しかし ジンバブエ滞在中は 変化を提唱する立場や 政治的な立場に 自分を置いて考えていませんでした 自分の専門スキルを役立てるため 臨床医として そして 疫学研究者として来ていたので 心中では 自分の役目は 患者の面倒を見ることや 調査を行い 住民の感染パターンについて 理解を深めることだと考え それでこのウィルスの蔓延を 食い止められればと思っていました 社会的弱者に偏ってエイズ発症や死亡する リスクが高いことには気づいていました サトウキビ農園という 現代のどんな会社組織よりも 封建時代の荘園さながらの農園では 妊娠中の女性の60%が HIV陽性でした
4:31
感染したからといって その人がふしだらなのではない むしろ 男性優位の文化や 強制的季節労働や 植民地制の産物なのだと教えました 白人層は ほとんど 被害に遭いませんでした
4:45
医療従事者として 我々は 痛いくらいに無力でした 個人の行動を改めるように コンドームを使うように 性交渉を持つ相手を減らすようにと 懇願するだけ 感染率は上がるばかりでした 西洋で治療薬が開発され― 現在でも最も有効なエイズ治療ですが アフリカ中 どの公共セクターにとっても 手の届かないものでした 私は黙っていました 命を救える薬が 平等に手に入らないことに対しても エイズ流行の根底にある 政治や経済のシステム― ここまで大規模な感染を起こした 仕組みに対しても何も言いませんでした 私は自分の沈黙を正当化しました 自分に言い聞かせたのです 「私はこの国の住民ではないし 警鐘を鳴らせば 国外追放されることさえありうる いい仕事ができなくなるし 患者も診れなくなり 必要とされている研究も できなくなってしまう」 だから黙っていました 政府のエイズに対する 当時の方針について意見も述べず 自分の懸念を十分に主張しませんでした
5:56
医者や医療従事者の多くは 私に落ち度はなかったと思うでしょう 医者と患者との約束である― 『ヒポクラテスの誓い』や その別版は 医師と患者間の関係の神聖性を 定めたものです 私は 自分にできることは 何でもしました 自分の患者に対し 一人残らず 最善を尽くしました
6:21
しかし これほどの大流行は社会の歪みを 反映したものだと気づいていました 生物学的原因に依るものだけでなく むしろ 弱者を疎外・排除し差別する慣習に 端を発していると理解していました 人種、性別、セクシュアリティ 社会階級などによる差別です エイズがこれに当てはまり つい最近のエボラも同様でした ハイチで対エイズ対策活動を行ってきた ポール・ファーマーなど 医学人類学者たちは これを「構造的な暴力」と呼んでいます 「構造的」と呼ぶのは つまり 不平等が 我々の社会の政治的、経済的構造に 埋め込まれているからであり 特権や権力を持つ人々には それが見えないことが多いからです 「暴力」と呼ぶのは つまり この現象がもたらす― 若年での死や苦しみ、そして病は 暴力的だからです 少しでも患者の役に立ちたいのであれば こういった社会的不平等の 認識を怠ってはなりません 注意を呼びかけることこそが 公衆衛生を機能させるための第一歩です そうすることで協力者を集め 共に道を切り開き 真の変革を起こせるのです
7:42
ですから 最近は 私も黙ってはいません たくさんの物事について 発言しています 聴く人が不快に感じることでも 話す自分が気まずいときさえも 声にしています 多くの場合は 人種格差についてや 制度化した人種差別についてなど この国ではもはや あってはいけないはずで ましてや医療の現場や公衆衛生では なおさら許されない― 物事についてです それが存在するがために 代償として 人々が寿命を全うせずに 命を失っているのです だから 警鐘を鳴らすべき― アメリカの医療における 人種差別であり 現在進行中の 制度的、対人的暴力― 有色人種の人々が受けている暴力で アメリカに痛ましい遺産を残した 250年間の奴隷制度や 90年間のジム・クロウ制度や 60年間の不完全な平等により 増長した暴力などに対し 警鐘を鳴らすことが 私のニューヨーク市保健局長としての 使命の中心であるわけです 65歳以下での若年死亡率が ニューヨーク市では 黒人男性は白人男性に比べ 50%も高いのです 2012年には 黒人女性の 妊産婦死亡率が 白人女性の 10倍以上もありました 乳児生存率は 飛躍的に改善しましたが 黒人の乳児は未だに 生後1年で死亡するリスクが 白人の乳児の3倍近くあります
9:30
ニューヨークだけが特別ではなく 同様の統計は アメリカのどこにでも見られます 最近のニューヨークタイムズの 分析によると アメリカ全土で 150万人の黒人男性が 足りないのだそうです 記事によれば 今日 25歳~54歳の黒人男性 6人につき1人以上が 日常から姿を消しているそうです 投獄中か若年で死亡したかのどちらです 甚だしい不公正が存在します 若い黒人男性にばかり 毎日起こっている 不当な暴力 #BlackLivesMatterとして知られる 抗議の対象である暴力です しかし 憶えておくべきなのは それぞれ発生率は異なるものの 起こり続けている 一般的な疾病の発生とその結末― 心臓病、癌、糖尿病やエイズなど ゆっくりと静かに死に至る病気です これらの病気による若死にで 黒人はさらに命を落としているのです
10:45
#BlackLivesMatter運動が 始まったとき 私は 悔しさと怒りを覚えました 医学界では 研究や仕事で「人種差別」という言葉を 使うことさえ避けられてきたからです 私がこの言葉を使う度 皆さんも何か思うことがあったのでは 白衣姿で死体に扮し 抗議活動をする医学生たちをよそに 医学界のほとんどの人が 何もせず傍観していました 今も残る差別が 疾病の姿や死亡率に 影響を及ぼし続けているのにです 私が危惧しているのは 個別化医療や精密医療に向かう 現代の傾向では より個人に合わせた治療を求め 生物学的・遺伝学的研究を追求する中で うっかり全体像を 見失ってしまうことや 毎日の環境― 人が生活し、成長し、働き、愛し合う 毎日の環境こそが 人々の健康に 最も影響し あまりに多くの人の 健康を害していることです
11:53
医療従事者として 我々は日々の仕事の中で 診療所でも 研究においても 甚だしい不公平を 目の当たりにしています ホームレスの人が 医師の指導通りにできないのは もっと切羽詰まった 優先事項があるせいです トランスジェンダーの若者が 自殺を考えるのは あまりに無情な社会のせいです シングルマザーには子供の健康状態の 責任がのしかかります
12:25
医療従事者としての医師の役目は ただ患者を診るだけではなく 注意を呼びかけ 変化を求める主唱者となることです 医師は 正当性はともかく その社会的地位のおかげで 発言にかなりの重みがあります それを無駄にしてはなりません
12:47
私は ジンバブエで 声を上げなかったことを悔やみ 自分に誓いを立てました ニューヨーク市保健局長として 自分が持つ機会を できる限り存分に利用し 注意を喚起し 医療格差の改善への協力を呼びかけます 人種差別にも立ち向かいます 皆さんも手を貸してください 皆さんが男女差別に立ち向かう時 私も力になります 他のどんな形での不平等についても 力になります 今こそ 我々は立ち上がり 構造的不平等に対し 集団として声を上げる時です 変革を呼びかけるために 答えをすべて知っている必要はありません ただ 勇気が要るだけなのです 我々の患者たちの健康や 我々 皆の健康が かかっています
13:42
(拍手)
>