とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

TED・スーパープレゼンテーションと言う訳し方に違和感

2016-05-24 00:04:45 | 文章・日本語・言葉
ここでよく紹介しているTEDカンファレンスは、欧米の知的集合とのよ展開により、知的刺激を見ているものに与え、叡智による衝撃を社会に与え、波及させ続ける。
その目的は知的営為の一般的開放であり、人間的営為の最高峰たるイデアの実現であり、功利的、欲望的な本能によるものではなく、極めて理性的で、そして万物の霊長たる人間が行うべき最高峰の知性の場となっている。

その主旨や論旨は、個人がこんな発見をしました、私を認めて! というような形ではない。個人が見つけた知的財産を共有することによって、新たな知見を他者に広げるという場であり、彼らが語るのは真実や、あるいは真実だけれども変わった見方をする形で知的興味を引くものである。

そう、それであるならば、元々存在する価値を外装や装飾によって、聞く人が持つ評価を高めることではない。
論旨の持つ魅力はもうそこに現れていて変えようがない。それを発表者は発表するだけだ。

そこへ来て、NHKが「スーパープレゼンテーション」と名前を変えて放送している。一生懸命考えたのだろう。それはわかる。だがこのネーミングには違和感がある。

彼らは確かにプレゼンをしているし、通常のそれを大きく超える発表内容を題材としている。いやでも、そうではないのではないのだろうか。

プレゼンとは、その多くが通常の題材が持つ価値の売り込みであり、説得なのだ。聴衆が納得できればOK。

だが、TEDでは別に売り込む必要はない。題材そのものが最早新しい知見であるのだから、それを説得させる文章にするのは勿論でもあるのだが、もっと主要な構成要素として、TEDでは「真実の連携」にこそスポットが当てられている。真実の連携にこそ価値があるので、売り込ンダ際の説得に聴衆は耳を傾けるのではないのである。


コメント
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