境界標と境界標が接近している場所もありました。ここだけではなく、他にもありました。
左側の境界標に向こう側には小川がちょろちょろと流れています。
そして、写真にこそ写ってはいませんが、ここから5mほど向こう側は車道になっています。
今でこそ藪に覆われて車道からはただの山にしか見えませんが、現役時代はどちらからもお互いに見えていたはずです。
ちょっとした管理(薮払い)がなされないと、あるものも見えないことになってしまうんですね。
しかし、私が立っているのは、藪・森の中ではなく、れっきとした鉄道の路盤ですし、618の写真のように鉄道跡の空間を残っているのです。
左側の境界標に向こう側には小川がちょろちょろと流れています。
そして、写真にこそ写ってはいませんが、ここから5mほど向こう側は車道になっています。
今でこそ藪に覆われて車道からはただの山にしか見えませんが、現役時代はどちらからもお互いに見えていたはずです。
ちょっとした管理(薮払い)がなされないと、あるものも見えないことになってしまうんですね。
しかし、私が立っているのは、藪・森の中ではなく、れっきとした鉄道の路盤ですし、618の写真のように鉄道跡の空間を残っているのです。