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アイヌらしさのパラドクス・・瀬川拓郎氏「アイヌ史における新たなパースペクティブ」(1)

2017-03-28 | アイヌ


簑島栄紀氏により編さんされた「アイヌ史を問いなおす」という本の中にある瀬川拓郎氏の「アイヌ史における新たなパースペクティブ」という論文をご紹介します。

重要なテーマが、分かりやすく説明されています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

瀬川氏の著書は、「アイヌの歴史」、「アイヌの世界」など、何冊も単行本が出されています。




           *****

         (引用ここから)


●DNAが語るアイヌ

●クマ祭りの起源をめぐって

●アイヌ文化の日本語、マタギ文化のアイヌ語

●阿倍比羅夫遠征の実像

●アイヌの環オホーツク海世界進出

●和人との境界

●アイヌ・エコシステムの終焉

●アイヌ・エコシステム論のゆくえ

●景観のアイヌ史


小見出しには、上のようなタイトルがつけられています。

それぞれを要約すると、以下のようになろうかと思います。


●DNAが語るアイヌ

山梨大の足立登らは、ミトコンドリアDNAの分析から次のような見解を示している。

「北海道縄文人」にみられるDNA配列のグループ(ハプログループ)はわずか4種類で、現代日本人の20種類に比べて、著しく多様性が少ない。

このことは、「北海道縄文人」が比較的長期にわたって、周辺集団から孤立していた可能性を示唆する。

さらにそのDNAは、大陸北東部先住民との共通性をみせており、彼らの祖先が後期旧石器時代に、この地域から日本列島に渡来したことを示している。

一方、「近代アイヌ」のハプログループの構成は、多様性をもつ点で、「縄文人」と大きく異なり、さらに、「縄文人」にも「本土日本人」にも存在しない「ハプログループY」を持つのが特徴的だ。

この「Y」は、北東アジア先住民に特有のものであり、4~9世紀にサハリンから道東北部沿岸に南下していた「オホーツク人」にも、この「ハプログループY」が見られる。

つまり「アイヌ」の成り立ちには、「オホーツク人」の大きな影響があった。

と言うことができる。


9世紀末に、「オホーツク人」がサハリンへ撤退した際、道東に残された「オホーツク人」の集団が「アイヌ」に同化・吸収されたことは、考古学では定説となっているので、それを裏付けた形となる。

DNAの面からは、「アイヌ」を「北海道縄文人」の直系とまでは評価できないにせよ、文化的に見れば、「アイヌ」は「北海道縄文人」の後継集団であることに間違いはない。

「本土日本人」や、「オホーツク人」との混血が行われたとしても、文化的伝統やアイデンティティは、「縄文文化」から連綿と、しかし変容を遂げつつ、受け継がれてきたと考えられる。


●「クマ祭り」の起源

生け捕りにした子熊を集落で飼育し、これを共食する祭りは、世界的に見ても、北海道とサハリン・アムール川下流の先住民の間にしか認められない特異な習俗であり、その起源をめぐってさかんに議論が行われてきた。

「アイヌ」の飼い熊儀礼の起源を考える上で、考古学的に重要なのは、北海道の「縄文文化」で行われていたとみられる「飼いイノシシ儀礼」だ。

北海道の遺跡では、津軽海峡の〝プラキストン線″以北に自然には生息しないイノシシの骨がしばしば発見される。



その分布は全道に及ぶが、イノシシの自生を想定できる量や内容ではない。

骨はどれも焼けており、なんらかの儀礼が行われたことを示している。

幼獣を丸木舟で移入していたと考えざるをえない。


ではなぜ、北海道の「縄文人」は、本州からイノシシを移入しなければならなかったのか?

「縄文時代の北海道」には、本州・東北北部から移入した子イノシシを飼育して、共食する「飼い熊儀礼」酷似のモチーフを持つ祭りが存在しており、

この「飼いイノシシ儀礼」を開催するため、本州からイノシシを移入していたと考えるのが自然だ。


北海道と同じく、イノシシが生息しない伊豆諸島でも、イノシシはわざわざ海を越えて移入されていた。

「飼いイノシシ儀礼」は、〝縄文文化圏″の全体で共有されていたのだろう。

この汎列島的な「イノシシ儀礼」を、生態系の差異を超えて共有しようとしていた、と見られる。


「日本書紀」には、ヒグマの毛皮関連の記事がいくつか見られる。

「続縄文集団」は、本州にヒグマの毛皮を移出していたようだ。

そうだとすれば、農耕社会に移行した本州で、縄文イデオロギーが変容し、象徴としての「飼いイノシシ儀礼」が意味を失う中、

北海道では、新たに交易品となったヒグマが重要な意味をもち、猟の活性化に伴って、ヒグマの儀礼も頻繁に行われるようになっていたことは想定できそうだ。

「アイヌ」の「クマ祭り」は、「縄文文化」の伝統を継承しながら歴史的な変容を遂げてきたものであり、「アイヌ」は〝縄文イデオロギーの継承者であると同時に、その変革者でもあった″と言えるかもしれない。


●アイヌ文化の日本語、マタギ文化のアイヌ語

本州・東北北部では弥生時代後期以降、4世紀前後、無人化あるいは過疎化し、北海道から「続縄文集団」が南下した。

その後、本州・東北北部には古墳文化の人々が東北南部や関東などから入り込み、「続縄文集団」は後退しながら6世紀には北海道に撤退した。

北上してきた古墳文化の人々は、農耕民であり、古代日本語を話す人々であったと考えらえる。


本州・東北北部の北上を続ける農耕民集団の一部は、7世紀後期~9世紀に北海道へ渡海した。

彼らは石狩低地帯まで進出して、在地の「続縄文人」と混在していたようだ。

彼らによって、竈(かまど)を持つ住居、農耕具、脱穀用の臼杵、高倉式倉庫、織布の技術、箸の使用などが伝わったと見られ、

続縄文人の文化は一見本州の農耕民と変わらないものになった。


この、〝強く農耕民化した狩猟採取民の文化″を「擦文文化」と呼んでいる。

農耕民がもたらしたのは、物質文化だけではない。

本州の祭祀遺跡から出土する土製勾玉、土製丸玉が出土しており、本州と同様な祭祀が、北海道でも行われていたことを示している。

さらに「近世アイヌ」は、カムタチ(麹)、タマ(魂)、オンカミ(拝み)、タクサ(手草)、シト(餅)、カムイ(神)、ノミ(祈む)といった、儀礼に関係する日本語を伝えていたが、その多くは本州で奈良・平安時代に使用されていた古い言葉の借用だ。

農耕文化だけでなく、祭祀や儀礼も一体となった文化が、本州から北海道に伝わり、「擦文文化」やその後の「アイヌ文化」の根幹をなすことになったようだ。

この文化を伝えた本州・東北北部からの渡海者は、本州中央からは「蝦夷(エミシ)」と呼ばれてきた人々だったにちがいないが、

日本語古語を話した、日本の儀礼体系を身に着けた人々、つまり古代日本の文化そのものを担った人々だったのだろう。

        (引用ここまで・写真(下)は新聞に示されていたプラキストン線の図です)

             *****


このテーマは、今までにもご紹介してきたものですが、非常に興味深いと思います。

なぜ、アイヌの方たちが、彼らの神を「カムイ」(=神)と呼ぶのか?

アイヌ語の「カムイ」が、縄文語として継承されてきたのではないか?、

だから、アイヌ民族が日本人の原点だ、と考えがちですが、研究者たちは、それは違うと言うのです。

そして、アイヌの伝統的神事である「熊祭り」は、アイヌに固有のものというよりは、汎列島的な縄文文化が、北海道にも移入された、と捉えるべきだ、と考えられるというのです。

そして、アイヌ民族という北の民は、さらに北のサハリンあたりの人々であった可能性が、遺伝子の研究からは考えられるということです。

そして、アイヌ民族に農耕文化をもたらしつつ、アイヌ民族が北海道以南へ南下することを押しとどめる役を担ったのが、古代日本語を話す「蝦夷」(えみし・えぞ)と呼ばれる人々であった、ということです。

だから、蝦夷≒アイヌ≒東国のまつろわぬ民、という図式も、単純すぎるということになります。


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