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知床のシマフクロウ あえて公開・・アイヌの神様

2016-06-04 | アイヌ



昨朝、函館の森の中で6日間行方不明だった7歳の男の子が無事保護されました。

わたしは、ああ、きっと森の神様たちが守ってくださったのだと思いました。


               ・・・・・

「6日ぶり保護…自ら名乗る、陸自演習場で」 毎日新聞デジタル速報 2016・06・03

 3日午前7時50分ごろ、北海道鹿部町内の陸上自衛隊の駒ケ岳演習場内で、5月28日から行方不明となっていた北斗市追分4の小学2年、田野岡大和さん(7)が見つかった。北海道警によると、隊員が施設で発見した。大和さんが自ら隊員に名前を名乗り出たという。目立った外傷はなく、衰弱した様子もないという。病院で検査を受けた後、詳しい事情を聴く方針。
<5月28日から不明…どうやって過ごしていた?>
<男児「食べ物はなかった」>
<男児はどうやって発見現場に?>
 道警によると、発見場所は、行方が分からなくなった七飯町の山中から6〜7キロ離れている。
 大和さんは28日午後5時ごろ、両親と姉の家族4人で鹿部町の公園に車で遊びに行き、帰宅中に七飯町の林道沿いの山林で1人置き去りにされた。家族は当初、山菜採りの途中ではぐれて行方が分からなくなったと説明していたが、その後父親(44)は「公園で人や車に石を投げつけたため、しつけの意味で置き去りにした」と説明を翻した。
 父親は車で数百メートル走った後、歩いて約5分後に戻ったが、大和さんの姿はなかったと話しているという。http://mainichi.jp/articles/20160603/k00/00e/040/156000c

              ・・・・・



冬に、シマフクロウに関する新聞記事があり、掲載しようと思って大切に保存していたのですが、肝心の新聞記事の写真が保存できていませんでしたので、写真なしですが、投稿します。

記事の代わりに記事に書かれている「鷲の宿」のアドレスを記載しておきます。

「シマフクロウ・オブザバトリー」
http://fishowl-observatory.org/facilities.html


              ・・・・・・


「知床のシマフクロウ あえて公開・・絶滅危惧種 観察と保護共存」 
                      朝日新聞 2015・12・05


北海道の世界自然遺産・知床で、絶滅危惧種シマフクロウを来訪者に見せる試みが始まった。

保護すべき生物をあえて見せることで、知床の自然への理解を深めてもらおうと、地元観光協会が動いた。

環境省は、

「めったに人目に触れることのない希少種を見せて保護、啓発につなげようとしている非常に少ない事例。良い方向に進んでもらいたい」

と見守っている。

知床半島の羅臼町を流れるチトライ川。

日没から間もなく、川沿いの民宿「鷲(わし)の宿」隣の小屋で、家族連れらが薄明かりに照らされた川面を眺めていた。

知床羅臼町観光協会の佐藤紳司さんが説明した。

 「シマフクロウの主なエサはイワナの仲間のオショロコマです。その数から考えると、知床では一つの河川域に一つの家族しかすめないでしょう」

 その時、シマフクロウが流れに浮かぶ岩に降り立った。

「来た!!」。

小屋に歓声が上がる。

フクロウは小屋には目もくれず、微動だにしない。

何分経過しただろうか。

突然、川の真ん中に設けられた給餌(きゅうじ)池へ飛び込み、ヤマメを捕まえた。

「ここではシマフクロウが野生の姿を見せてくれる。それを見て自然を敬愛する気持ちを育んでもらいたい」と佐藤さん。

かつて北海道にシマフクロウは約1千羽いたとされるが、大規模な森林伐採やダム建設で、1960~70年代には推定約70羽に減った。

国は84年から給餌や巣箱の設置で保護事業を実施。

現在、北海道東部を中心に約140羽にまで回復した。

半数ほどが知床半島にいるとされる。

その希少性や美しさから、カメラマンやバードウォッチャーに人気が高い。

環境省は保護の観点から生息地を明らかにしていないが、営巣地を探し出して照明で追い回すといった悪質なケースもあるという。

「鷲の宿」でも、出没情報を得てやってきた客同士がトラブルを起こしたり、ストロボの発光について環境省から指導されたりした。


「人の行動は徹底的に制限」

知床羅臼町観光協会は、知られてしまった出没地を「保護と観察の先進地に」と昨年から動き始めた。

野生動物への給餌は専門家の間でも意見が分かれるため、シマフクロウを人慣れさせず、野生の捕食能力を失わせない程度のエサのやり方をめざした。

簡単には捕食できない給餌池にした。

エサのヤマメが隠れる石を置き、放すヤマメの数も減らした。

川面を照らす明かりも工夫。

シマフクロウが活発に活動を始める夕暮れ時の照度にした。

人の行動も制限した。

必ず小屋の中から観察し、小屋から出る時は決まった経路を歩くよう徹底。

その結果、シマフクロウは長く姿を見せるようになった。

環境省釧路自然環境事務所野生生物課の藤井好太郎課長は

「最大限配慮された取り組みではないか。保護の結果、シマフクロウの個体数は少しずつ増えている。これからは人との関係を個々の場所で考えていかなければならない」と話している。



〈シマフクロウ〉 国の天然記念物。環境省のレッドリストでは絶滅危惧ⅠA類に指定される日本最大のフクロウ。

全長は70センチ近くになり、翼を広げた長さは180センチに達する。

日本では北海道と北方領土に分布。

道内では東部を中心に140羽程度が河川や湖沼周辺の森林に生息し、うち半数ほどが知床半島にいるとされる。

主食は魚類だが、両生類、甲殻類、鳥類、小型哺乳類なども捕食する。アイヌ語でコタンクルカムイ(村の守り神)と呼ばれる。



             ・・・・・


この記事を読んで、まずアイヌのシマフクロウのことを思い出しました。

シマフクロウをうたった「ユーカラ」を、更更科源蔵著 岩船修三絵の、ユーカラの絵本「かみさまと ふくろうのはなし」でご紹介します。





            *****

          (引用ここから)


いちばん偉い ふくろうの神様

むかしむかし、世界がまだ 青い水ばかりで、

たった一か所 油のようなものが、浮かんでいました。

ある日、それが 火のように燃えあがり、

炎の先が 明るい空になり、

火のおさまったあとが、岩になりました。

そこに 空から、男と女の神様が、雲に乗って 降りてきて

海や陸の生き物を つくりました。


そこへ、フクロウの神様が来て、

太陽と月の神様をつくり、

昼と夜を つくりました。


フクロウのかみさまといっしょに 

国造りの神様のおともをして、

セキレイという鳥も、

どろんこの世界に 降りてきました。


セキレイが どろんこの中を、

尾羽を パチンパチンと振りながら、

ちょんちょん 飛び回ると、

その 飛んで歩いたあとが、すこしずつ 土が乾いてきました。


そのセキレイの かわかしたところに 

フクロウの神様が降りて、

大きな目であたりを くるくる見まわしたり、まぶたをぱちぱちさせました。


すると、泥海のようだったところが、 だんだんと 水が澄んで、

きれいな海に なりました。


たくさんの魚が すいすい 泳ぎまわったり、

ぴちぴちと水の上に、 はねあがったりして 遊び、

白いかもめも たくさん集まってきました。


フクロウの中で 一番偉いのは 大きなシマフクロウです。

夜になると、人間の村の近くにきて、村の人にいたずらをする 悪い魔物が こっそりしのんでくるのを、高い木の上から みはりをします。

魔物が近寄ると

「ポッポッ ホン フンフン」と、

大声で どなりつけるのです。

だから 夜になっても、 村の人たちは 安心して ぐっすりと 眠れるのです。


また、エゾフクロウは 村の守り神の シマフクロウのいいつけで、 

月の光の差し込む 森の中を 飛び回ります。


そして、人間の探している 熊のようすを見張りながら

時々 村の近くに来て、

「熊とりにおいで、 熊とりにおいで」と言って、

熊の後を 飛んでゆきます。


それで、朝になって 村の人たちが、

そのあとを追ってゆくと、

かならず 熊がいるそうです。


秋になると、川で生まれて 海に行ったサケが 生まれた川に 帰ってきます。

すると フクロウは、木の上から、

「こっちだよ、こっちだよ」と 呼ぶのです。

すると サケたちは、落ち葉の流れる 山奥の冷たい流れを

きらきらと 光りながら、 水の上を はねたり、

水底を くぐったり しながら 

元気よく やってくるのです。



ある年、かみなりさまの妹が、

高い山に あそびにおりて、

人間の村の方を 見ていました。


秋だというのに、さっぱり さかなの姿が見えません。

これは大変だと、大声で 空にある 神の国に 叫びました。

すると フクロウの神様が、やなぎの木の枝を 杖にし、

さかなのたましいを 背負って 山の上に駆け下りました。


やなぎの葉に さかなのたましいをつけて 川に流したので、

やなぎの葉は みんな 小さな さかなになり、

それで、村の人たちが 助かりましたと。
 

           (引用ここまで)

             *****

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