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新羅と日本(5)・・アメノヒボコと、角がある人(ツヌガアラシト)の渡来

2011-06-10 | 日本の不思議(古代)
出羽弘明氏の「新羅の神々と古代日本」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


山陰地方には日本最大の弥生遺跡があり、また、スサノオのみならずニギハヤヒを祖とする古代の覇者たちの足跡があるようです。

“天孫族”のヤマト朝廷が出来上がる以前の、長い歴史を思います。

また、前の記事では「牛を祀る」異国の伝統が日本にもあったことを書きましたが、「角の生えた英雄」が朝鮮半島からやってきたことが「記紀神話」にはっきりと記録されているようです。

彼らが「神功皇后」の先祖であり、ヤマタノオロチを切る剣ももたらされたのだと、「記紀神話」が述べているとすると、「記紀神話」はあなどれないと思います。

「天孫降臨」が史実だと考える人はいなくても、日本人の「日本」というものに関する漠然とした単一民族的な歴史認識は、ずいぶん史実とは異なっていると言うべきではないでしょうか?



                *****


              (引用ここから)



鳥取市の「桂見遺跡」からは、縄文時代後期(約3500年前)の大型の丸木舟が複数出土している。

物資の運搬や漁などの存在を示している。

紀元前から2世紀ごろの集落跡も発見されている。

さらに中国山地の大山の山ろくの「妻木(むき)晩田遺跡」(1-3世紀)からは、弥生時代中期から古墳時代の竪穴住居250戸と、柱建物の跡200が確認されている。

同遺跡は吉野ケ里遺跡の3倍強、三内丸山の6倍以上の規模である。


日本最大の弥生遺跡と言われる。

「魏志倭人伝」の中の一国であるとも言われている。

出雲から30キロメートルしか離れていない所に王国が存在したのである。



古代の出雲は一大海洋国家であった。

朝鮮古語で親戚を「あざむ」と言う。

「いずも」はこの語が変化したものであると言われている。

「いずも」は、古代にスサノオノミコトとその一族が開拓した王国であった。

「日本書紀」にも「スサノオノミコトが大蛇を切った剣は「韓さびの剣」と記されている。

この剣は韓国製であったのである。


現在「新羅神社」があるのは、西出雲の石見地方である。

かつては出雲の中心部にもあったと思われるが、出雲大社を中心とする所では、ヤマト政権に服従する過程で“新羅”の要素が消されたのであろう。


しかし西出雲は、神武天皇以前の大和の大王「ニギハヤヒ」の命を祖とする物部氏の出身地である。


五十猛町の林正行氏からいただいた「五十猛今昔」の中に、日本で最も古い「朱の丸の旗」の写真がある。

「物部神社」の神紋も、日の丸に鶴である。

出雲には新羅の太陽信仰が持ち込まれていたことが分かる。


「天日帆子(アメノヒボコ)」は垂仁天皇の時代に、新羅からやってきたと言われる。

九州の伊都国に着き、ついで播磨に行き、さらに宇治川を遡って近江の吾名村にしばらく住み、再び鏡山をへて若狭に至り、丹後から西に進み但馬国出石に居を構えた、と言われている。

この時の天皇の使いが大友主(三輪君の祖=大和の古い豪族)である。


新羅の人・「天日帆子(アメノヒボコ)」は、琵琶湖東地方に勢力を持つ物部氏と知り合い、物部氏の女性をめとって縁戚関係になる。


「天日帆子」5世の孫から生まれた子が「神功皇后」である。

「天日帆子」一族の血は日本の豪族たちと縁戚を結び、やがて皇族と結ばれ、但馬に出雲と並ぶ勢力を築いた、と言われる。


           (引用ここまで・終わり)



                 *****


wikipediaの「アメノヒボコ」の項目には、次のような説明がありました。


      ・・・


アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)は、『古事記』、『日本書紀』に見える新羅の王子。

『播磨国風土記』には神として登場する。

「古事記」においては、次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神功皇后)の母、葛城高額比売命であるとされている。

しかし「日本書紀」においては阿加流比売神と結婚したのは意富加羅国王の子の都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)とされている点で異なる。

なお、アメノヒボコは新羅の王家、朴氏、昔氏、瓠公との関連の可能性があるとする説もある。


日光により妊娠するという話はモンゴル・満州などに広くみられる神話のモチーフである。

また始祖が玉・卵から生まれるという話は半島南部から南洋にまで広がる。

両者を含むこのアメノヒボコの伝説は高句麗の始祖朱蒙の出生伝説との類似が指摘されている。


「日本書紀・垂仁天皇3年春3月」に、昔に新羅王子・アメノヒボコが神宝、羽太の玉、足高の玉、赤石、刀、矛、鏡、熊の神籬の7種を持参した事への言及があり、その渡来の記述がある。


神宝

『古事記』によれば珠が2つ、浪振比礼(ひれ)、浪切比礼、風振比礼、風切比礼、奥津鏡、辺津鏡の八種である。

これらは現在、兵庫県豊岡市出石町の出石神社にアメノヒボコとともに祀られている。

いずれも海上の波風を鎮める呪具であり、海人族が信仰していた海の神の信仰とアメノヒボコの信仰が結びついたものと考えられる。


また『筑前国風土記』逸文にも断片的な言及があり、怡土(いと)の縣主の祖先の五十跡手(いとで)が仲哀天皇に自らを高麗の意呂(おろ)山に天孫ったヒボコの子孫であると名乗っている。


      ・・・


wikipedia「ツヌガアラシト」の説明は以下。


      ・・・

都怒我阿羅斯等 (つぬがあらしと)

『日本書紀』では、アメノヒボコの渡来前に、意富加羅国王の子の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が渡来し、この説話の前半部分、アカルヒメが日本に渡りそれを追いかける部分の主人公である。

都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)は3年後に帰国したという。


      ・・・




関裕二氏は「消された王権・物部氏の謎」という本で、上述の「ツヌガアラシト」という人物は何者なのかについて考察しています。

少しだけ紹介させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


         
           *****


          (引用ここから)



「日本書紀」垂仁天皇2年の条に、「一書にいわく」、という形で次のような記述がある。

「額に角有ひたる人、一の船に乗りて、越の国に泊まれり。
彼、そこを名づけて“角鹿”(つぬが)という」


これによると崇神天皇の時代、“額に角を生やした人”が舟にのって「越の国」に着いたという。

その人物に角が生えていたことから、この場所を“角鹿(つぬが)”→“敦賀(つるが)”と呼ぶようになったというのである。



どこからやってきたのかを問うと、「おお加羅国」の皇子で、名は「ツヌガアラシト」であったという。

日本に聖君がいると聞きつけて、こうして帰化しに来た、と語ったことが記録されている。



一説にはこの人物が王子であったところから、王家出身のしるしとして冠をかぶっていたのではないか、

あるいは「ツヌガアラシト」という名称が、“角のある人”と聞こえることから起こったとも言われるが、これは素直に“鬼”と解するべきであろう。

ツヌガアラシト個人だけではなく、「加耶」という国の有り方自体に“鬼”をめぐる問題が隠されていたためである。


(中略)


「日本書紀」の「ツヌガアラシト」説話の直後には、「アメノヒボコ」なる人物が半島のもう一つの国「新羅」から渡来した話が載せられるが、 (「古事記」の中で「アメノヒボコ」はなぜか「日本書紀」の「ツヌガアラシト」と同一視されている。)

通説でも、加耶皇子「ツヌガアラシト」を神格化したものが新羅の「アメノヒボコ」であるとされている。


         (引用ここまで)


         *****


関氏の話は壮大に展開されている話の一部を引用したので、意味が取りにくいのですが、

関氏は「鬼」という言葉をキーワードにして、朝鮮半島と日本列島の国々は相互に影響しあいながら、名を取り実を取りし合いながら、国家を形成していったのであろうと考察しています。


大和朝廷に「国譲り」をしたのは誰だったのか、大和朝廷はなぜ、出雲神を恐れ続けたのか、と問い続けていきますが、

その歴史の中には、“角が生えている”とみなされるような“鬼”や多くの荒ぶる力をもつ者たちがたくさんいたことは間違いないでしょう。


“角がある人”という不思議な表現は、とても印象が強く、奇妙な非現実感があります。

それは大陸の遠い「牡牛」を崇拝する宗教とも響きあい、また古来の東洋的な「鬼」の姿も彷彿とさせます。


これらのどれもが、「日本」の文化の原初から存在し、どれをも切り離して考えないことで、原初の日本人の魂を復元することができるのではないかという気がします。


「記紀神話」をもっと細かく見たいです。

それは日本の起源についてのたくさんの謎に満ちているように思います。

アマテラスより先にヤマトにいた「物部氏の祖ニギハヤヒ」についてや、「牛頭天王」のことなど、いろいろなテーマがありますが、次は「太陽」のことを考えたいと思います。





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