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「日本の土器は世界最古なの?・・ 東アジアで古く、焼いた土製器は中東でも(文化特捜隊)」
朝日新聞2009年10月3日
東京池袋の古代オリエント博物館で、世界各地の古い土器など約200点を集めた博覧会が開かれている。
同館研究員の津本英利さん(西アジア考古学)に聞くと、
「今のところ、東アジアの土器が世界で一番古いのは間違いありません」と答えてくれた。
現在世界最古と考えられる土器の一つが、青森県大平山元Ⅰ遺跡の縄文土器。
放射性炭素年代から推定すると、約16000年前。
これらのことから多くの研究者は、遅くとも15000年前には日本列島で土器が使われていたと考えている。
ところが、他地域の最古の土器をみると南アジア、西アジア、アフリカが約9000年前。
学校で習った、いわゆる四大文明の故地と比較しても、日本はとびぬけて古い。
でも、ロシアの遺跡などでは、約15000年前と考えられる土器が見つかっています。
日本だけが古いというより、東アジア全体で古い時期に土器が生まれたとみるべきではないでしょうか。
中国湖南省で約18000年前のものとされる土器が確認されたという報告もある。
もっとも、“なぜ東アジアなのか”は、はっきりしない。
ただ中央大准教授の小林健一さん(日本考古学)は
「土器の誕生は、当時の環境の変化と深いかかわりがあると考えられます」と説明する。
小林さんは国立歴史民俗博物館で始まる「縄文はいつから?15000年前になにがおこったのか展」を企画。
「日本では、氷河期が終わりに近づいた16000年前~15000年前、気温上昇にともない、亜寒帯的な森林から落葉樹もまじる森林へと変化した。
その結果、どんぐりなどの植物性の食糧が入手しやすくなり、それらを食べるための、あく抜きに必要な容器として土器が生まれたのではないでしょうか」。
ちなみに現在国内最古と考えられているのは、模様のない無文土器。
主に東日本で出土している。
だが約14000年前ごろになると粘土紐を張り付けた土器が生まれ、全国へ広がる。
「固い果実類であるコナラ、樫、椎などの分布が広がったことで、土器も普及したのだと思います」と小林さん。
一方やはり最古級の土器が出土したロシアでは、防寒や調理に使う魚油を取るために、魚を土器で煮ていた可能性が指摘されている。
「土器使用の始まりには漁労も大きく関わっているとにらんでいます」と古代オリエント博物館研究部長の石田恵子さん(西アジア考古学)。
生まれた理由も様々なのかもしれない。
さらに、土器はある一か所で誕生し広がったのではなく、おそらく複数の場所で前後して発明された可能性が高い。
「日本列島に関しても、最古級の土器は東日本に多いが、遅くとも13000年前ごろには鹿児島でも無文土器が使われていたと思う。
北と南で別箇に土器が生まれ、それらが広がったと考えるべきだ」と、南九州縄文研究会代表の新東幸一さんは指摘する。
でも土で作られた容器としての土器が、中東などでどうしてなかなか作られなかったのだろうか?
筑波大教授の常木明さん(西アジア先史学)によれば、「西アジアでは土器の利用以前から焼いた土製品は作られていた」という。
つまり彼らは粘土を焼くと固くなることを知っていたんです。
だが実際に土器が使われ始めるのは9000年前。
理由について常木さんは、
「西アジアでは先土器新石器時代から小麦が主食。パンを焼くのに、土器を作る必然性はなかったのだと思います」と語る。
少し前までの歴史学、考古学では、土器の誕生は農業や牧畜の開始、ひいては文明の発生と関連づけて論じられることが多かった。
だが近今の東アジアでの発見は、狩猟や採取を基盤とする社会でも、土器が必要とされ、生まれ得ることを示唆する。
歴史発展のモデルは決して一つではない。
最古の土器たちは、そのことを改めて教えてくれているのではなかろうか?
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縄文土器について述べている小林達夫氏の「縄文の思考」という本を読んでみました。
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(引用ここから)
縄文土器の作り始めの時期には土器の制作量はそれほど多くなかった。
次の早期に入ると、たちまち制作量は増加し、遺跡には夥しい数が残されるようになった。
実際、農耕社会の弥生時代における弥生土器の量に肩を並べるほどであり、本格的な農耕を持たない社会としては、世界のいかなる地域の土器保有例と比べても断然際立っている。
それだけ、土器の使用が盛んだったのだ。
このことは、縄文人の食事は煮炊き料理が主流であった事実をよく物語っている。
獣類、魚介類の大部分は生で食され美味であることはよく知られている。
しかし植物性の多くは,生食には適さず、火熱を通してはじめて食物となるものが多い。
人間の消化器官が生理学的に受け付けないシロモノを火熱によって化学変化を誘発して消化可能にする作用は、さらに重要な分野に好影響をもたらした。
渋みやあく抜き、解毒作用にも絶大なる効果をもたらした。
どんぐり類がやがて縄文人の主食の一つに格付けされ、食糧事情が安定するのは、まさに土器による加熱処理のおかげである。
改めて、狩人一辺倒としての縄文人のイメージを拭い去る必要がある。
ただし肉類の摂取を低くみてはならないし、狩人としての活動は縄文社会ではきわめて重要な位置を占めていたのだ。
それにしても植物食の開発と利用の促進によって、食糧事情は旧石器時代の第一段階当初とは比べものにならないほどに安定した。
まさに第二段階の縄文社会が、大陸における農業を基盤とする新石器社会に負けをとることなく、堂々と肩を並べるほどの、文化の充実を保障した有力な要因は、煮炊き料理の普及にあったのである。
土器の絶大なる歴史的意義は、高く評価されなければならない。
(引用ここまで)
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縄文時代の人々が、なぜこんなに早くから土器をつくり、煮炊きの術を習得していたのか、興味深く思いました。
新聞の文中にある「歴史発展のモデルは決して一つではない」ということなのでしょう。
せっかく縄文文化の流れを受けた文化に生を受けたのですから、縄文人の心にもっともっと近づいてみたいと思いました。
上の記事はずいぶん長い間塩漬けにしていたもので、昨年には中国でさらに古い土器がみつかったらしい記事が現れました。
信憑性は確立していないようですが、日本で15000年前の縄文土器の料理跡が証明された、という記事の文中にありました。
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縄文土器に魚料理の痕跡・・15000年前 サケのお供え?
朝日新聞2013・04・11
縄文時代の草創期にあたる15000年前の土器で、魚を煮炊きした痕跡を、日英の研究者らが土器の破片から見つけ、11日付で英科学誌「ネイチャー」に発表した。
世界最古級の土器の使い方を示す初の発見で、土器づくりの発祥と発展の経緯を知る手がかりになるという。
英ヨーク大や新潟県立歴史博物館などの研究チームが、11200年前から15300年前の土器の破片を、北海道、新潟、鹿児島など国内13の遺跡から101個集めた。
表面や付着物に含まれる炭素や窒素の同位体、脂質などを分析した。
大半から海の魚を高温で調理した際に出るのに近い成分が見つかった。
土器の外側からは同じ成分が出ず、煮炊きした痕跡と結論づけた。
遺跡の多くは内陸にあるため、サケのように海と川を行き来する魚の可能性があるという。
日々の食事のために使われた新しい時代の縄文土器に比べると、この時代の土器は出土が少ないことなどから、チームの内山・総合地球環境学研究所客員准教授は、「儀礼に使われた可能性がある」とみる。
土器作りは一般に、人類が定住して農耕を始める過程で、食料を調理、貯蔵するために発達したと考えられているが、中国で20000年前の土器が見つかるなど、東アジアでははるかに古い土器が多くみつかっている。
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