笑顔浴

優しい時間

人生の危機

2011年05月06日 | Weblog

5月2日~5日は3日間の集中講義でした。
9時過ぎに駐車場に到着し、建物に向かって歩くと
ジャスミンやつつじの甘い香りに包まれました。
初夏です。
玄関の横に新聞紙が敷いてあったので
見上げると巣で若いツバメの夫婦がくつろいでいました。
オハヨ~

3日目の昨日は、人生の危機や危機介入がテーマでした。
最初に、今までの危機的状況と、その後の経過を思い出し
その時の気持ちも思い出しました。
私達は、幼児の頃から沢山の危機に遭遇しています。
現在、笑って語れる危機は、生きる方法を学習できた危機。
思い出すと混乱する危機は、今も脱していない危機かもしれません。

例に「迷子」のお話がありました。
迷子の3歳の子供は泣き叫ぶ以外に何もできません。
恐怖と不安で思考が止まり、名前も言えません。
やがて周りの人々が保護して探していた家族に戻されます。
親子にとって強烈な思い出になるとともに
泣けばなんとかなる!とか、助けてくれる人がいると学習できます。
小学生になればもっと知恵がつき、自ら交番を訪ねるでしょう。

私も時々迷子になりますが、迷子になったからといって今は泣き叫びません。
どうすればいいか考えて行動できるからです。
「どうしたらいいか、わからない状態」を危機と呼び
「どうしよう」と考える状態はすでに危機を脱しています。

「迷子」の危機は乗り越えられても、
更に困難で、経験のない危機が 新しい危機として現れます。
新しい学習のチャンスでもあるのですが
危機の下の現実が苦しすぎると、その場から逃げたかったし
このまま消えることができたらどんなに薬だろうと感じました。
心身症のような身体症状も体験しましたが
これまでのどの危機も、周囲の人の支援によって乗り越えられたので
なんとかなるという、楽観的な考え方ができるようになったのでしょう。

「絶体絶命」の危機も、パニック状態から早く脱し、
どうしようかと考え始めることが重要だと知っておくことが大切で
相談者が冷静さを取り戻すためにも、
相談員が感情に飲み込まれないように注意したいと思いました。

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