「袖触れ合うも他生の縁といって
多くの人々と関わりを持った方が
より豊かな人生になりますよ」
と本で読んだり、講演会で耳にして、
私なりに出逢いを大切にしてきた。
その<豊かな人生>について、私は誤解していたかもしれない。
逢うと元気がでる
影響を受けて勇気が湧く
真似て思慮深くなる
人脈のおかげで仕事の幅が広がる
困ったら相談できる人が増える
癒される時間を得られる
美味しいものを愉しめる
どれもこれも 私に都合の良いことばかり。
つまり「得すること」にだけ注目していた私は
目に見えて「お得」なご縁が、豊かな人生にしてくれると考えていた。
ところで、理論上 「得」なものが存在するなら
「損」なものも 半分はあるわけで
そのご縁を、どう活かして豊かな人生にすればよいのだ?
ということに、ふと思い当った。
そういう時は、「損して、得取れ」なのかな?
不都合なご縁は、私の小さな「徳」を育む機会になり
なんで私が、という不平不満と真摯に向き合えば
もっと誠実で、もっと優しい大人に成長できるかもしれない。
目に見えて「損」なご縁で、私がもっと逞しく成長できるなら
なるほど、豊かな人生に必要な気がする。
袖振り合うも他生の縁とは
選り好み無しよ、の難しさが立ちはだかっていて
そうそう、簡単じゃないことを思い知る。
柳生家の家訓の三番目
袖振り合った縁をも活かすは、
どれほど努力が必要か、考えさせてくれる。