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感想:『風の少女エミリー』とキャラクターの記号性

2007年10月02日 21時26分59秒 | 2007春アニメ
名作アニメとしてはよく出来ていたと言える。当時のカナダの価値観や厳しいしつけが今の子供たちに伝わるかどうかは相当疑問だが、規律や教育のあり方などに興味深いものがあった。
エミリーはWikiによると10歳で孤児となりニュームーンに引き取られる。最終話で結婚式を迎えるが、エミリーや彼女の友人たちは最後まで子供っぽく描かれている。特に身長に関しては顕著だ。
どうしても同じ原作者の作品ということもあり『赤毛のアン』と比較してしまう。『赤毛のアン』も作品中に時間の経過があり、少女時代から青春期まで描かれている。『赤毛のアン』ではかなり明確にその成長が描かれている。マリラと比べると身長は低かったとは思うが、十分に大人として表現されていた。
これに対して『風の少女エミリー』では高校を卒業して戻ってきても初期のニュームーンの様子と服装以外でほとんど変化が無い。ひとつには彼女の精神的な幼さを描いているためと言えるだろうが、この表現には非常に違和感を覚えた。
『赤毛のアン』が原作に忠実なのに対して、『風の少女エミリー』はかなりオリジナル色の強い作品だ。それ自体にはなんら問題ないが、キャラクターを年齢相応の人物として描かなかった点は正直狙いが読み取れない。子供向けだからという理由だとしたら非常に子供を馬鹿にしたものだ。
現代日本における大人の幼さの投影と深読みしたくなるが、本作の趣旨とは合わない印象だ。子供時代のエミリーの演出は非常に出来が良かった。しかし、高校以降はキャラクターの幼さが悩みや葛藤を描く際の足かせのようにもなっていた。アニメでは物語や演出は絵で表現される。その絵の記号性が最適化されていないと伝わるべきものが伝わらない事態を生み出す。この作品はその点で明らかに失敗してしまった。
アニメ史上の名作と比較されてしまう宿命を負っている点は同情の余地があるし、その中で健闘を見せた作品だったと思う。それだけにこうした欠陥は残念だ。1つの作品を細部にまで神経を通わせて最後まで完結させることの難しさをこの作品に限らず感じることが多い。丁寧に作ろうとしていた作品だけに非常にもったいないと感じてしまう。


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