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感想:『精霊の守り人』を読んで、改めてTVアニメ版をつまらなく感じた理由を語る

2009年09月20日 22時25分05秒 | 2007春アニメ
精霊の守り人 (偕成社ワンダーランド)精霊の守り人 (偕成社ワンダーランド)
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:1996-07


TVアニメ化された時の感想は「感想:なぜ『精霊の守り人』はつまらなかったのか」に記した。それから二年ほど経ちようやく原作を読んだ。
TVアニメのイメージは未だ強く残っている。本書を読む上で、当然そのイメージは強く作用している。ストーリーの根幹はTVアニメと共通であり、エピソードもそこで取り上げられている。TVアニメに対する評価――質は高いが突出したものがなく期待外れでつまらない――に変わりはない。

本書に対する素直な感想は、面白かった、である。和風ファンタジーの世界観、個性的なキャラクター、世界観と強く結び付いたストーリー、主人公の一人チャグムの内面描写も的確だし、もう一人の主人公バルサについては内面描写を抑えつつそれでいて共感できるように描かれている。もちろんTVアニメの美麗な描写に補われている点は否めないが、それがなくとも楽しめないとは思えない作品である。

読み終えて改めて何故TVアニメがつまらなく感じたのか考えてみる。1冊の物語を全26話のTVアニメとするにはオリジナルのエピソードが必要となる。比較的地味な展開を見せ場の多い派手なものとする必要もある。特にラストの見せ場はかなり手が加えられている。それらが失敗だったとは思わない。アニメならではの演出が必要とされるのは当然だ。だが、残念ながらそれによって失われたものもある。
「感想:なぜ『精霊の守り人』はつまらなかったのか」にこう書いた。
キャラクターや設定に強いインパクトがないので、本来演出などでケレン味を出すなどが欲しかったが、淡々とした演出でそれは叶わなかった。こうした演出にはもっと派手な物語が適していたとも言える。地味な設定を地味に演出しても成り立つものもある。心理の細やかな動きを丁寧に描くならそれは成立するが、この作品にはそれはあまり感じられない。そこに日常がほとんどなかったからだ。用心棒バルサは完璧に近い存在だし、守られる少年チャグムは第二皇子である。ファンタジーらしい設定だが、それは日常とは隔絶した世界だ。

26話と間延びした中で描かれたキャラクターの内面は、その都度の心の動きとして描かれていなかった。原作の密度の中で描かれた内面描写を移し変えただけでは心理の細やかな動きなんて望むべくもない。唯一の例外は、バルサとタンダ二人の関係を見てチャグムが自分がいない方がいいと思って出て行こうとしたエピソードくらいだ。
無駄を省いて5、6話程度、多くとも1クール13話でアニメ化していれば違った評価を与えたと思う。少なくとも「つまらない」という評価はなかっただろう。26話として成立させるには、もっと踏み込んだものが欲しかった。わくわくさせるような、面白いと思えるような何かが。
原作でさらっと触れた程度の第一皇子の病死を膨らませたところで、元が作劇上の必要から生まれたエピソードなので作品の深みとならない。バルサやチャグムに直接大きな影響を与えるエピソードを積み重ねていかないと、作品の密度はどんどんと薄まってしまう。残されたものはただ美しいだけの世界。私にとってはただつまらないだけの世界だった。


感想:なぜ『精霊の守り人』はつまらなかったのか

2007年10月02日 21時29分00秒 | 2007春アニメ
NHKとProduction I.Gがタッグを組んだ作品。両者共に力が入った作品で、その映像の美しさは目を引くものだった。しかし、残念ながら最後まで見て面白いと手放しで褒め称えることのできる作品ではなかった。
最後まで細部に細やかにこだわって描かれている。キャラクターも演出も悪くない。世界観や物語もそんなに悪くは無い。目立った欠点は少ない。だが、マイナスがなければ面白いという訳ではない。エンタテイメントでは強いプラスが必須だ。よく出来た作品だが、それ以上のものがなかった。強く惹きつけられる面白さはここには無かった。
キャラクターや設定に強いインパクトがないので、本来演出などでケレン味を出すなどが欲しかったが、淡々とした演出でそれは叶わなかった。こうした演出にはもっと派手な物語が適していたとも言える。地味な設定を地味に演出しても成り立つものもある。心理の細やかな動きを丁寧に描くならそれは成立するが、この作品にはそれはあまり感じられない。そこに日常がほとんどなかったからだ。用心棒バルサは完璧に近い存在だし、守られる少年チャグムは第二皇子である。ファンタジーらしい設定だが、それは日常とは隔絶した世界だ。
原作を読んだわけではないので、小説では成り立つのかもしれないが、アニメで成り立つ話ではなかったと言わざるを得ない。少なくともこの演出方法では成り立たなかった。作り手の意気込みだけでは名作は生まれない。設定や演出などの質が高くてもそれらが噛み合っていなければ面白くならない。そんな当たり前のことが改めて実感される作品だった。


感想:『風の少女エミリー』とキャラクターの記号性

2007年10月02日 21時26分59秒 | 2007春アニメ
名作アニメとしてはよく出来ていたと言える。当時のカナダの価値観や厳しいしつけが今の子供たちに伝わるかどうかは相当疑問だが、規律や教育のあり方などに興味深いものがあった。
エミリーはWikiによると10歳で孤児となりニュームーンに引き取られる。最終話で結婚式を迎えるが、エミリーや彼女の友人たちは最後まで子供っぽく描かれている。特に身長に関しては顕著だ。
どうしても同じ原作者の作品ということもあり『赤毛のアン』と比較してしまう。『赤毛のアン』も作品中に時間の経過があり、少女時代から青春期まで描かれている。『赤毛のアン』ではかなり明確にその成長が描かれている。マリラと比べると身長は低かったとは思うが、十分に大人として表現されていた。
これに対して『風の少女エミリー』では高校を卒業して戻ってきても初期のニュームーンの様子と服装以外でほとんど変化が無い。ひとつには彼女の精神的な幼さを描いているためと言えるだろうが、この表現には非常に違和感を覚えた。
『赤毛のアン』が原作に忠実なのに対して、『風の少女エミリー』はかなりオリジナル色の強い作品だ。それ自体にはなんら問題ないが、キャラクターを年齢相応の人物として描かなかった点は正直狙いが読み取れない。子供向けだからという理由だとしたら非常に子供を馬鹿にしたものだ。
現代日本における大人の幼さの投影と深読みしたくなるが、本作の趣旨とは合わない印象だ。子供時代のエミリーの演出は非常に出来が良かった。しかし、高校以降はキャラクターの幼さが悩みや葛藤を描く際の足かせのようにもなっていた。アニメでは物語や演出は絵で表現される。その絵の記号性が最適化されていないと伝わるべきものが伝わらない事態を生み出す。この作品はその点で明らかに失敗してしまった。
アニメ史上の名作と比較されてしまう宿命を負っている点は同情の余地があるし、その中で健闘を見せた作品だったと思う。それだけにこうした欠陥は残念だ。1つの作品を細部にまで神経を通わせて最後まで完結させることの難しさをこの作品に限らず感じることが多い。丁寧に作ろうとしていた作品だけに非常にもったいないと感じてしまう。


感想:日常系アニメの可能性と『らき☆すた』の限界

2007年10月02日 21時21分19秒 | 2007春アニメ
日常の出来事のみを取り上げ、明確な物語は存在せず、キャラクターの個性を前面に押し出したスタイルは『あずまんが大王』で確立された。「AskJohnふぁんくらぶ」でジョンが指摘したようにこのスタイルはハーレム系アニメから主人公である男子を消去したものである。よってそこでは「恋愛」がすっぽりと抜け落ちている。

このスタイルの明確な後継が『苺ましまろ』だ。メインキャラクターを「恋愛」以前の少女とし、自覚的にハーレム系アニメの主人公の位置に女性を置いた。リアリティの乏しさを逆にシュールさへと変換して独特の面白さを生み出した。
今年放映されたアニメでは、『ひだまりスケッチ』『らき☆すた』がこのジャンルに相当する。前者は『あずまんが大王』のテイストを引き継ぎ、美術系高校生の少女4人の関係性で世界を構築した。後者も『あずまんが大王』を原点に、「おたく」の女子高校生という異物が軸となっている。彼女の存在は『苺ましまろ』ほど自覚的ではないがハーレム系アニメの主人公の代役的な役割も果たしている。

『らき☆すた』には「おたく」ネタと非「おたく」ネタが混在している。正直なところ、非「おたく」ネタに関しては『あずまんが大王』ほどの質の高さは感じなかった。やはり、この作品の魅力は「おたく」ネタにあるのは間違いない。この作品を面白いと感じるかどうかはそうした「おたく」ネタに反応できるかどうかにかかっている。そして、実際にこれに反応した人々に支えられてこの作品はヒットした。

アニメ『らき☆すた』を語る上で外せない要素は「パロディ」と「楽屋落ち」だ。これらは日本のアニメ・コミックでよく見られる要素である。本作ではそれを過剰に行うことで見る者の注意を引いた。特に京都アニメーション繋がりで繰り返された『涼宮ハルヒの憂鬱』絡みのパロディは、過去例が無いほどの量と質があった。主要キャラクターの声優の登場は言うに及ばず、番組を見ている場面やコスプレ、ライブシーンなど手を変え品を変え描かれている。他の作品のパロディと比べ『ハルヒ』が突出している点は『ハルヒ』に頼りすぎという見方もできる。ただ『ハルヒ』のパロディはそれ自体が「楽屋落ち」と言うことも出来るだろう。
「楽屋落ち」では番組の終わりにある「らっきー☆ちゃんねる」のコーナーが特徴的だ。アニラジのアニメ出張版とも言えるコーナーで、虚実が入り混じったノリが印象的だった。シリーズ中盤に本編のパワーが落ちた頃はこちらのコーナーの方に勢いがあった。しかし、終盤には失速してしまった。

「パロディ」を主とした「おたく」ネタは視聴者を選別する。選別するが故にそこにヒットした者は強く惹きつけられる。狙った視聴者に支持されたという点において大成功したアニメと言えるだろう。だが、視聴者は更に過剰なもの、より険しい選別を求めていた。その意味で最初のインパクトに比べ徐々にパワーの低下が感じられてしまった。

一方、「楽屋落ち」は特に好評だったエンディングが第2クールで変更されて以来ファンから強い反発を受けることとなる。カラオケボックス入り口の止め絵のみの表示で、中でメインキャラクターたちが会話し歌を歌うというスタイルは非常に強い印象を残した。歌そのものより、会話のネタや何を歌うかに興味が尽きなかった。これに対し、声優白石稔らが実写で歌うエンディングは痛さだけが目立つものだった。『セイント・オクトーバー』で実写のプロモーションをエンディングに起用したことがあり、強烈なインパクトを残したが、1回きりということに価値があった。『らき☆すた』実写エンディングは最初はまだ我慢できたが繰り返されるうちにつまらなさが目立つようになり、最終回の盛り上がりすらもぶち壊してしまう。視聴者の生の反応に対応できなかった点を残念に感じる。

繰り返すが視聴者を選別する狙いは当たった。だが、それによる初期のインパクトは持続できず、一方で「楽屋落ち」の暴走がファンの不興を買う始末となった。この手の作品としては珍しい2クールの作品だったが、第1クールのみで終わっていれば作品の評価は高いままだっただろう。日常系アニメの可能性を示した作品だったが、残念ながら終わってみれば物足りなさが残る印象だ。作り手と見る側とのギャップが徐々に広がりこの結果を生み出した。「パロディ」より「楽屋落ち」に走った作り手と、「パロディ」を支持し「楽屋落ち」にそっぽを向いた視聴者。見る側の見たいものだけを作る必要はないが、今回のケースは明らかな作り手の暴走と言わざるを得ない。エンディングが本編の評価まで下げた稀有な例と言えるだろう。


感想:ハヤテのごとく! 第21話「ピーターさんもいい迷惑」

2007年08月20日 15時41分46秒 | 2007春アニメ
ロボットの逆襲……ってそんなロボット出てたっけ?(笑。それはともかくハヤテはナギと遊園地へ。とはいえ、三千院家の遊園地なので客は二人だけ。そこで、ハヤテとロボットの対決が……。ストーリー的には今回はこんなもの。ヒナギクさんも出なかったし、相変わらずのベタなパロディ主体。まあ以前に比べテンポはいいので、見て楽しめる出来ではあるが。ちなみにあのロボット見ると「学園アリス」を思い出すのは私だけ?


感想:天元突破グレンラガン 第21話「あなたは生き残るべき人だ!」

2007年08月20日 15時41分01秒 | 2007春アニメ
終盤の燃えるシーンはさすが。しかし、3部に入って以降の間延びした展開が必要だったとは思えない。極端な話、そんなのをすっ飛ばしてガンガンインフレ化していくことを見る者はこの作品に期待している。それは作り手には酷な要望だけど、この作品はこれまでそれで成り立ってきたのだ。どんな美辞麗句を費やしても間延びは間延びだ。
そして、今回のヨーコの話も必要とは思わなかった。ヨマコ先生のノリはガイナらしさも感じるが、間延びした中でこれを持ってきても盛り上がらない。この作品は前にも述べたが、速度と密度の濃さが見る者を惹きつけてきた。今回の話はそんな中でのアクセントなら効果的だが、ここ最近の流れの中ではアクセントになっていない。
残り話数も少なくなってきたが、もう速度と密度を落とさずにラストまで駆け抜けて欲しい。それができるかどうかがこの作品の評価に繋がるだろう。終わると即忘れ去られる作品となるか、それとも語り継がれる作品となるか。その分水嶺がまさに今だ。


感想:ラブ★コン 第17話「愛の鉄拳! 受け止めろ、乙女魂!!」

2007年08月20日 15時39分17秒 | 2007春アニメ
大谷と小泉、この二人はお互いにとって必要な存在なんだと改めて実感した回だった。二人の関係は相変わらずといった感じだが、特に今回は大谷にとって小泉の重要性を認識する展開だった。大谷の告白めいた場面は小泉が眠っているというオチだったけどね。また、最近はのぶちゃんのツッコミがとても楽しみ。特に大谷からの告白を待つリサに対し、「市民プールで魚釣ろうとしとるようなもんや」というセリフはGood! そのあとの千春ちゃんのボケもよかったし。


感想:おおきく振りかぶって 第19話「桐青の実力」

2007年08月20日 15時38分32秒 | 2007春アニメ
5回表2死から6回裏までと比較的進行の早かった回となった。三橋の2失点だが、相手のバスターを見抜けなかった点は阿部の失策。もうひとつ気になったのは、6回表の攻撃だ。先頭の田島が出塁し直ぐに盗塁を決めたのに、送りもせずに後続が凡退した。この回は監督の意図も描かれずじまい。試合の流れからするとかなり大きな意味を持つ残塁なのに、流してしまったのはアニメの時間の関係なのか疑問に感じた。ここまで丹念に描いていただけにこういう描き方はとても残念だ。


感想:精霊の守り人 第20話「狩穴へ」

2007年08月20日 15時37分53秒 | 2007春アニメ
とりあえずトロガイとシュガの話し合いにより問題の共有ができた。それにここまで時間と労力を要すことになった点は理解に苦しむところもあるが。バルサたち一行は狩穴へ。そこで冬篭りの支度をする。そして、バルサはチャグムに自分の育て親ジグロの話を始めるところで今回は終わり。次回はジグロの話。
この作品に感じる違和感のひとつは、この作品の世界観の中にある古い日本への憧れめいたものを感じることだ。昔の日本の価値観を美徳とする、そんな印象がある。上橋菜穂子が高い年齢層にも受けている原因はそこにあるのではと思う。なんとなく「おしん」などと似た臭いをこの作品に感じるのだ。もちろん人によって評価は異なるだろうが、私には非常にそれが鼻についてしまう。旧い考え方への憧憬は所詮ノスタルジーに過ぎず、そこから何を普遍的なものとして捉えるのかという視点が感じられない。ファンタジーによって何かを描こうとしているのが理解できる点では凡百の作品より優れているのは認めるが、描こうとしているものは共感できないし、その描き方にも疑問が強く残る。ストーリーもテーマも演出も期待していただけにそれぞれに不満が残る作品と言えるだろう。


感想:風の少女エミリー 第20話「青春の階段」

2007年08月20日 15時37分13秒 | 2007春アニメ
時間の進み方が極端に早くなった今回。いきなり三度目の夏となり進路のことを1話で描き切った。エミリーとエリザベスの関係が大きく見直される内容だった割に、駆け足となってしまった印象を受けた。もちろんこれまでに積み上げてきたものが背景にあるのは分かるが、この作品のかなり重要な部分を雑に描写したという感は否めない。
子供向けの作品なのだから尚更進学の意味をもう少し抑えておくべきだったろう。当時の時代背景や女性の地位などの観点がないと分かりにくいと思う。エリザベスの考えが本当に古臭いのかどうかももっと多面的に描いて欲しい場面だった。エミリーのことを考えて、自身の考えを変える部分も何が心境の変化をもたらしたか見えてこない。二人の約束に関しても、空想を描いてはいけないというエリザベスの思いは今の我々には理解しにくい。もっと見る者にそれを伝える努力が必要だろう。丹念に描いていた作品だけに、重要なところでのこの体たらくは残念に思う。