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アルタナミッションという名の墓場 #FF11

2012年07月17日 22時42分36秒 | FF11
過去ウィンダス連続クエストのラスト2戦はオズトロヤ城〔S〕の最上階のバトルフィールドで行われる。バトルフィールドで負けてしまった場合はメリファト山地〔S〕でだいじなものをもらい直す必要がある。

こんな仕様を実装した人間にはエンターテイメント業界にいる資格がないと思ってしまう。なぜプレイヤーにそこまで手間を掛けさせるのか。
負けてもすぐに戦うことができれば、確かに緊張感は薄れるだろう。しかし、何度も戦わなければならないようなバトルではなく、通常1度きりの戦いにそこまでの足かせが必要なのか。これでは、バトルの楽しみよりも負けた時のリスクを考えるのが普通だ。こういった作り手の姿勢がプレイヤーによるジョブ縛りなどのガチガチの構成や戦術を強いてきた。

アルタナミッションで強く感じるのがイベントシーンの長さだ。ムービーを使って演出するのはFFの伝統的手法とも言えるし、MMORPGであるFF11でも初期から用いられている。ただその長さが時を経るごとにどんどんと長くなっているように感じる。
もちろん見ごたえのあるムービーはプレイヤーを楽しませるものであることは事実だろう。だが、アルタナミッションにおいては、長いムービーを見せておけばいいだろうという安直さが透けて見える。

ここぞという場面でのムービーは盛り上がる。しかし、ムービー中はただセリフを送ることしかできず、戦闘と絡んだものであればパーティでのプレイとなりゆっくり落ち着いて見ていられない。だらだらと長いムービーをひたすら早く進ませようとするだけになってしまっている。
例えば先に挙げた過去ウィンダス連続クエストの「壊乱、オズトロヤ城」でオファーを受けるシーン。わざわざムービーを使っているが、本当に必要なのか。「雰囲気」を出す効果は少しはあるが、なくてもセリフ等でカバーできるレベルだろう。むしろ、NPCたちのセリフをうまく使うことで盛り上げることがベストだと思うが、その手間を惜しんだ形となった。

アルタナミッションは本編と過去三国の連続クエストで構成されている。この手法が大失敗を生んだ。完結までに時間が掛かってしまったのもこれが理由の大きな要因だし、連続クエストはどれか一つ進めればいいということで本編との整合性を調整できなくなった。
本編で主人公たちが「忘れられてしまう」状況でも連続クエストでは何も起きない。この手法を取った意味が全くなくなってしまい、むしろマイナスだったと言える。

ミッションがストーリーを楽しむためというよりも報酬目当てとなってしまって久しい。MMORPGの中でストーリー性を表現することが難しいのは確かだが、ジラートやプロマシアのようにストーリーの進行によって進めるエリアが増えたりと、ストーリー以外でストーリーの進行を実感する要素に欠けるようになってしまった。
ミッションの進行がNPCの会話などでフィードバックできればもう少し盛り上がるのにとよく思う。ムービーに凝るよりももっと世界との繋がりを演出して欲しいと思うのは私だけか。

最近はフォーラムの場で作り手の意向が垣間見える機会が増えた。プレイヤーの要望に応えるばかりが開発の仕事だとは思わないが、プレイヤーのストレスを軽減し、プレイヤーを楽しませようという思いが伝わってこない。少しでも長くプレイさせようという「延命」の意図ばかりで、ついていくのは忍耐力のあるごく一部のプレイヤーだけに見えてしまう。

これは単にFF11だけの問題ではなく、袋小路に陥った日本のゲーム業界の姿とも言える。ギャンブル的なソーシャルゲームの隆盛の陰で、これまでのコンシューマゲームなどは大きく停滞している。特に海外では日本製ゲームのブランド力はほとんど失墜した。
ムービーやキャラクターを売りにしたゲームばかり作られ、ゲーム性で勝負するようなゲームが作られなくなったこと。プレイヤーも無駄なボリュームややり込み要素を求め、ゲーム本来の面白さで評価しなくなったこと。ゲーム性は伝えることが難しく、売るためにはどうしてもムービーやキャラクターを前面に出してしまう。プレイヤーもゲームの価格に見合ったプレイ時間を求めてしまう。

その行き着いた先が、プレイヤーを楽しませようというエンターテイメントの原点を忘れて、ムービー頼み、プレイヤーへストレスを与えることが正しいという勘違い、そんな苦行を受け入れるごく一部のゲーム愛好家だけによる閉ざされた市場。まさに今のFF11は日本のゲーム業界を映す鏡のようにも見える。アルタナミッションはまさにエンターテイメントの墓場だ。

FF11はその後アビセア導入で一度は息を吹き返した。しかし、その後は再び低迷に陥っている。新ディスクの発表で少しは流れが変わるかもしれないが、作り手と、それを受け入れてしまう遊び手双方が変わらない限り、「墓場」であることに変わりにはない。


2012.07.16 つぶやきし言の葉

2012年07月17日 02時19分05秒 | Twitter