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2011.06.17 つぶやきし言の葉

2011年06月18日 02時13分40秒 | Twitter



感想:『羽月莉音の帝国6』

2011年06月18日 00時57分55秒 | 本と雑誌
羽月莉音の帝国 6 (ガガガ文庫)羽月莉音の帝国 6 (ガガガ文庫)
価格:¥ 700(税込)
発売日:2011-02-18


世界を革命するというリアリストの羽月莉音と、冒険家でロマンチストの莉音の父・一馬。第6巻で初登場となった一馬が娘と語った内容が熱かった。

「私は、人類の叡智なんて信じない。人類がそこから脱出できる可能性は限りなく低い。ならば、理想的な支配の手段を模索するのは良いことよ」

どんどんとスケールアップしているこの物語がただの空想に終わらないのは、こうしたリアリズムの視点があるからだ。莉音の目指す革命した世界は、あくまでも一時的なもので永続的に成立するものではない。
理想の成就のためには清濁併せ呑む。一馬は「100人を救うために、目の前の10人を殺す選択が、俺にはできないんだ」と語るが、物語の速度によってこうした倫理的問題を乗り越えている感もある。


歌唱力があるからといって人を感動させることができるとは限らない。もちろん、ごく一部の突き抜けた存在は別だが。
画力のある漫画家が常に素晴らしいマンガを描けるとは限らない。
そして、作家もまた同じだ。

ライトノベルは総じて一般小説に比べ、小説としてのレベルが低いとされるが、その中でもこのシリーズは低いと言えるだろう。
文章の上手さ、キャラクターの造型、構成力などお世辞にも優れているとは言えない。
しかし、それでも大半のライトノベルより面白い。もちろん、一般小説と比べても同様だ。

粗の多さは速度と密度でカバーしている。展開はどんどん速く、大きくなっている。
高校生の部活からスタートして、6巻終了時で部費280兆円なんていったいどんな中二的作品なんだと突っ込むようなあらすじだが、恋愛要素を除くと中二的な雰囲気は微塵もない。むしろ、世に溢れる中二的作品にこれくらいのスケールを求めたいくらいだ。


莉音は世界を革命しようと望む。
莉音は極端な存在だが、世界を変えようという野心を持った人たちは世界中に存在する。その方法は様々だ。経済、政治、軍事、芸術、スポーツなどなど。そして、世界はどんどんと変わっている。
莉音の語る理想は夢幻であるとしても、理想を語る燃え滾るような熱さは魅力的だ。
この国ではいつからかそんな理想を語ること自体が冷たい目で見られるようになってしまった。だが、それは、いま、この国の常識に過ぎない。

一馬は「命よりも大切なものがあるということを教えてきたのは、ほかならぬこの俺だからだ」と語った。
敗戦後、戦後民主主義の名の下に命の大切さが強調された。だが、その命は自分の命に過ぎない。命よりも大切なものについて真剣に考えることもなく、他人の命の重さも軽んじられてこなかったか。

奴隷制と言うと極端だが、現在の日本はそれに近い構造で成り立っている。個人の自由はもちろん存在するが、個人の努力によってできることは限られている。生れ落ちた階層から上へと駆け上がることは非常に難しい。
それは決して現代だけの話ではないが、総中流意識のある時代はそれで幸せを感じることが出来た。
明治維新や敗戦によって過去そうした階層性が完全ではないがリセットされ、それが活力にもなった。東日本大震災をこれらと同一視する論調もあるが、今回は決してそういったリセットにはなっていない。日本の変革につながる可能性はほとんど絶望的だろう。

本書の内容とは逸れるが、経済成長に依存しない社会を望む論調がある。確かに魅力的な意見だ。しかし、それで快適に過ごせるのは持つ者であり、現状に大きな不満を感じない者だ。
また、昭和への懐古主義も目にする。現状維持やノスタルジーは、いまの日本の中心層を成す高齢者たちの望みとなっている。社会からセミリタイアしつつある団塊の世代が代表とされる層にとって、当然急激な変化は望まない。
だが、それは若者へのしわ寄せによって成り立つものだ。財政赤字は未来への借金だし、社会保障も将来像は描けなくなっている。
バブル後、若年層の雇用を切り捨て、少子化が一段と進み、国家も地方も財政は破綻寸前となっている。それでも若者たちは声を上げない。小泉構造改革の頃より「家畜化された若者」という印象を強く抱くようになった。中国が反日教育によって若者の不満をコントロールしているように、日本でもナショナリズムを利用して巧みにコントロールしている。

幸せであれば、自分が奴隷かどうかはさして問題にならない。支配システムが優秀ならば、気付かずに生きていけるだろう。
ゲーム盤をひっくり返すしかないところまで追い込まなければ、社会はそう易々とは覆りはしない。アジアでは特に。
3・11後の政治の醜態を目にしても変わらないのだから。数十年後の日本がどんな有様となっても自業自得と言うほかない。これから生まれてくる子供たちにとっては不幸かもしれないが。