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「空気系」アニメ

2008年03月26日 18時08分53秒 | アニメ・コミック・ゲーム
まだウィキペディアには掲載されていないが、アニメ・コミックにおける新たなジャンル或いは評価として「空気系」なる言葉が生み出された。

初出は、『樹海エンターテイナー』の「『空気系』とでも呼ぶべき作品群について。」である。
そこで最初に挙げられた作品は、「『よつばと!』、『あずまんが大王』、『ARIA』、『苺ましまろ』、そして『ヨコハマ買い出し紀行』」だ。これらの作品に対する私の体験は、『よつばと!』は1巻のみ、『あずまんが大王』はコミックのみ、『ARIA』と『苺ましまろ』はアニメのみ、『ヨコハマ買い出し紀行』は未読だが、このジャンル化の指摘には腑に落ちるものがあった。

この「空気系」を巡ってはまだ明確な定義は成立していない。現在各種ブログなどでそうした議論も行われているようだ(参考:「タグ「空気系」を含む注目エントリー」)。
私自身はコミックについて現在ほとんど読んでいないし、アニメに関してもそう見ているわけではないので、議論に加われるほどの知識の蓄積があるとは思わない。また、厳密な定義が必要かどうかさえ疑問の余地があるだろう。

「空気系」とは、基軸となる物語が希薄で、些細な日常を掘り起こすタイプの作品だと言えるだろう。『あずまんが大王』が四コマ漫画ということでここから除外する意見もあるが、むしろ四コマ漫画が発祥と見なすべきかもしれない。四コマ漫画はいしいひさいちによる「革命」の後、不条理系など様々なスタイルが生み出された。日常系のギャグ漫画などと不条理系が合わさって、日常系のオチ無し漫画が登場する。そんな中で、ハーレム系アニメの「萌え」の概念を持ち込んで成功したのが『あずまんが大王』だった。
一方でSF・ファンタジー系でもその世界観を描くことを重視し、物語よりも世界の雰囲気を描写する作品群が伝統的にあった。特に『うる星やつら』以降はSFの日常化が一気に進んだ。『ARIA』や『ヨコハマ買い出し紀行』はその流れを汲む。

物語的要素(明確な目的や成長)を取り除き、恋愛やギャグも限りなく薄めて更に残るものとして「空気系」が生み出された。それは究極のモラトリアム空間だ。逆に言えば、成長してしまうまでの一瞬を凝縮して描いた作品と見なすこともできるだろう。

2007年「空気系」を最も表したアニメがある。『ひだまりスケッチ』だ。美術系高校に通う四人の女子高生の日常をただ描いた作品である。特徴的なのが、時間の進行と話数が合致しない点だ。例えば第2話は8月21日で第3話は6月17日となっている。そこには時間経過によるキャラクターの成長はほとんど介在していない。
一話一話に強い印象を受けることはないが、見続けていくうちにじわじわと離れがたい魅力を与える作品だった。写真を利用したりと演出面での巧みさも印象的だったが、脚本による細かな言葉の演技が特に素晴らしかった。

2007年のアニメでは他に、『らき☆すた』『げんしけん2』『スケッチブック~full color's~』『みなみけ』が「空気系」に該当するだろうか。ただ『らき☆すた』や『みなみけ』はギャグの要素が、『げんしけん2』は成長要素(青春系とでも言うべきか)があるので、人により「空気系」に入れるかどうかは判断が分かれそうだ。一方、『スケッチブック~full color's~』はジャンルとしては「空気系」に該当するが、キャラクター描写に難があり、私としては作品としての評価は低い。「空気系」だから評価するというものではなく、あくまでジャンルとして見なす方が混乱は少ないと思う。

2008年に入ってからは、『ARIA The ORIGINATION』『みなみけ~おかわり~』、そしてちょっと微妙だが『のらみみ』が挙げられる。だが、『ARIA The ORIGINATION』は過去の2シリーズよりも成長的要素が強く描かれている。作品としての質はそれによって向上している。『みなみけ~おかわり~』も製作スタッフが替わり、かなり雰囲気が変化した。シュールさや物語性が『みなみけ』よりも強く感じられるようになった。出来の良し悪しはかなり好みの分かれるところだが、「空気系」と呼ぶには躊躇われるようになった。
一方、「落ち」のある話が多く「空気系」と呼びにくい『のらみみ』だけれど、独特の世界観を描く手法は「空気系」のそれに近い。「萌え」要素が「空気系」に必須かどうかでも判断が分かれるところだ。

そんな「空気系」アニメだが、この春からの新作では今のところ見当たらないようだ。実際に見てみないと定かではないが。ギャグもそうだがこの「空気系」も作り手のセンスがダイレクトに反映されやすい。今後「空気系」がジャンルとして確立するかどうかは、才能ある作り手がどれだけ参入するかにかかっているのだろう。