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メモリーズ・オブ・ヴァナ・ディール4~隣り合わせの骨と青春

2005年08月29日 22時30分54秒 | FF11
メイン赤のレベル上げ。20台中盤はバタリアでトラ狩りなど。その後、ダボイでオーク狩り。そして、30台半ばから、ついに”骨骨ファンタジー”に突入した。当時、古墳→縄張り→(ダボイ)→要塞地下というのがスタンダード。というか、ほとんど狩場は一択状況。
今でも狩場が少ないと言われるが、当時は今の比ではなかった。パーティを組むのも苦労して、パーティを組んでも狩場では取り合い。時給1000でも稼げた方という有様。それでもみんな必死にレベルを上げようとしていた。

古墳での衝撃は、なんと言っても、「殴るな」と言われた事。殴らない赤なんて赤じゃないっっ!!!とは思うものの、白や黒/白のアースクラッシャーの方が赤のWSよりも強かった時代・・・・・・。後にアースクラッシャーは弱体されたが、その時は赤の唯一の心の支えサイクロンも弱体・・・・・・・・・。

まあそれでも古墳時代は楽だった。敵の取り合いがきついくらいだったし(ぇ。次の縄張りは、今はほとんど狩場とされてないが、当時は狭い通路にたくさんのパーティがひしめき合う地獄だった。骨はキャンプ地にも湧いたし、ブラクロもきついが、ブラッドセイバーで周りのパーティのHPまで吸いまくって大変。広場に行くとアクティブのコウモリがわんさかいるし、反対側には骨より強めのウェポン系もいる。そして、天候によって雷エレが湧いて大暴れ。
そんな中で激しく取り合い。獲物が少ないので、後衛も必死に釣りに参加。しかし、1PTがヘボってリンクとかすると周囲も大混乱。死体の山がうず高く積まれることに。逆に他のパーティがいないと、これまた厳しかったりもする、やっかいな狩場だった。

ダボイ名物大トレインの時代を経て、災厄の要塞地下へ。縄張りは阿鼻叫喚の地獄だったが、それを数十倍にパワーアップしたのがこの要塞地下。キャンプ地点は、一応安全地帯なのだが、骨を釣ってくるのが難しい。釣り途中にダメージを受けると、ブータやレイスといったオバケがすっ飛んでくる。ブータは救援で倒せることもあるが、レイスはほぼ無理。更に周囲に魔法感知のボムや壷がいて、当然天候によってエレも湧く。当時はMPがあると魔法でなくてもアビやアイテムを使っただけで魔法感知されるバグ状況。もちろんエスケプはない。縄張りだとまだ入り口まで走って奇跡の生還があったが、ここは走って逃げるのは無理。修羅場にデジョンで一人だけ逃げて晒されるといったことも日常茶飯事。一応テレポはあったが、今のようにテレストーンの所にチョコボ屋がいるわけでもなく、デジョン2持ちは少なかった(黒も少なかった)。
そのため、非常の手段として回線落ちが一般化していた。薄暗い地下で、死の恐怖と隣り合わせ。赤と白で2回通り過ぎたが、未だにここ以上にシリアスな狩場はなかった。

この頃まだMGS魔法はなく、ダボイのナイトクエ、魔晶石ミッション、デジョン2クエ、要塞の石碑や焼却炉クエの突破は一大イベントだった。死ぬのは当たり前。それでも野良で突撃しまくった。大人数で一つの目的の向かって突き進む楽しさ。MGS魔法が導入されて、やはり失われたものがあったと思う。導入以前にこうした冒険ができたことは、とても幸せだった。