「 1月19日に中国の国家統計局が2015年のGDP成長率は6.9%だったと発表し、私を含めて世界の少なからぬ中国ウォッチャーが「予想通り『盛った』数字を出してきたな」と思ったのもつかの間、その数字を発表した国家統計局長の王保安氏が「重大な規律違反」によって解任されました。重大な規律違反とは要するに汚職のことですが、王保安氏の前職である財政部時代のことに関して嫌疑がかけられているようです。
王保安氏の解任を聞いて、私は「さもありなん」との思いを禁じ得ませんでした。というのも彼が局長になってから国家統計局が発表するGDP統計の質がにわかに低下し、統計局が進めようとしていたはずの改革も停滞してしまったからです。
GDP統計の質の低下というのは、以前このコラムで指摘した工業の成長率の過大評価の疑いです。王保安氏が統計局長に就任した2015年4月に発表された2015年第1四半期のGDP統計以来、工業の成長率と、工業を構成する主要な品目(鉄鋼、電力、自動車、石炭、非鉄金属、半導体など)の生産量の成長率との間に矛盾がみられるようになりました。この矛盾は王氏の局長としての最後の仕事になった2015年通年のGDP統計にもあります。各品目の成長率からみて、工業の成長率は公式発表の6.1%よりずっと低く、0%前後だったと私はみています。もっともこの問題については以前このコラムで詳しく論じましたので、今回は統計の改革について書きます。
中国の所得格差を明らかに
王氏の前任の国家統計局長は馬建堂氏でした。馬氏はもともと国務院発展研究センターに所属する経済学者だったこともあり、国家統計局長だった間、統計によって中国の真の姿を明らかにすることに情熱を燃やしていました。特に彼の任期(2008~2015年)の最後の数年間にいろいろな改革を進めました。
【参考記事】中国経済「信頼の危機」が投資家の不安をあおる
まず、2013年1月には、中国の家計所得の不平等度をあらわすジニ係数が2003年まで遡及して一気に公表されました。それまでも世界銀行などによるジニ係数の計測は行われておりましたが、初めて中国の権威ある統計機関によってジニ係数が発表され、中国がアジアの中で所得分配がもっとも不平等であることや、2008年まで所得格差が拡大したのち縮小に転じたことなどが明らかになったのです。
彼が次に取り組んだのが、地方のGDP統計に含まれる「水分」を抜くことでした。中国では国家統計局が全国の経済計算を行いますが、各省にも統計局があって、そこが省レベルのGDPを計算します。さらにその下の市のレベルでも自分のところの経済統計を作ります。地方に調査に行きますと、「わが省の経済は昨年15%成長した」、「わが市の経済は昨年20%成長した」と景気のいい話が多く、下へ行けば行くほどホラ話が多くなる感があります。
その結果、中央の国家統計局が発表する全国のGDPと、各地方が発表する地方のGDPとの間に明らかな矛盾がみられるようになりました。中国は31の省・市・自治区で構成されますから、理屈から言えば31の省・市・自治区が発表するそれぞれのGDPを合計すれば、全国のGDPと等しくなるはずです。ところが、図に示すように、実際には31の省・市・自治区のGDPの合計は全国のGDPをかなり上回っています。
maru160208.jpg
両者の乖離が一番ひどかった2013年などは、地方のGDPの合計が全国のGDPを6兆元以上、率にして11%も上回っていました。この年は、全国のGDP成長率(7.7%)を下回った地方が一つもないという珍事もおきました。もし31の省・市・自治区の合計が全国と等しいとすれば、伸び率でみてもおよそ半数ぐらいの地方は全国の成長率を下回るはずですが、下回った地方が一つもないというのは、およそ半数ぐらいの地方がホラ吹きだったということになります。
馬建堂局長は誰の目にも明らかなこうした矛盾をなくすために、省・市・自治区のGDPを各地方の統計局ではなく、国家統計局が計算して発表するという改革案を打ち出しました。馬氏は2014年に準備をして2015年から正式に実施するつもりだとも言いました(『21世紀経済報道』2014年1月9日)。
なかなか止まらない地方の成長率誇大報告
図にみるように2014年には、地方のGDPの合計と全国のGDPとの乖離(水分率)は前年の11%から8%に下がっています。これは改革の結果というよりも、2015年から改革を実施すると馬氏が発言したことのアナウンス効果の現れです。つまり、地方政府が2014年をあんまりかさ上げしすぎると、2015年に国家統計局が正確なGDPを発表した時にマイナス成長になってしまってみっともないことになる、と一部の地方が恐れて2014年の成長率を控え目に出したのです。
【参考記事】鉄鋼のたたき売りに見る中国の危ない改革先延ばし体質
ところが、2015年4月に馬建堂局長が国家行政学院副院長に転出し、後任の局長に王保安氏が就任するや、地方のGDP統計の改革がうやむやになってしまいました。2015年も相変わらず各地方がそれぞれのGDP成長率を発表しています。国全体の成長率(6.9%)を下回ったのは遼寧省(3.0%)、山西省(3.1%)、黒竜江省(5.7%)、吉林省(6.5%)の4省に限られ、他の地方の多くは相変わらずホラを吹き続けています。
馬局長が取り組んだもう一つの改革が失業統計の改革でした。中国の公式の失業率は「都市登録失業率」というものです。都市登録失業率は、都市戸籍を持ち、年齢は16歳以上、法定退職年齢(男性60歳、女性50歳)以下で、職がなく、職安に失業者として登録されている人たち、すなわち登録失業者が就業者と登録失業者の合計に対して何パーセントを占めるかを計算して求めます。
本当の失業率を求めて
その推移をみますと、2003年に4.3%だったのが、その後緩やかに低下して2007年には4.0%になり、2008-9年はリーマンショックの影響でいったん4.3%に上がりますが、翌年に4.1%に下がり、昨年末時点で4.05%、ときわめて狭い範囲で推移しています。この数字自体が捏造されている可能性は低いと私は見ていますが、問題は「登録失業者」が都市部に実際にいる失業者の一部しかカバーしていないことです。
例えば、1990年代後半には国有企業で大胆な雇用削減に踏み切り、4000万人以上の労働者が解雇されて、東北部などは文字通り失業者であふれたのですが、その時代に都市登録失業率はずっと3.1%で安定していました。国有企業から解雇された人たちには特別の待遇が与えられ、「登録失業者」にはならなかったからです。
また今日中国の都市では総計1億7000万人近くの「農民工」(農業戸籍を持っていて工業やサービス業で働いている人)が働いていますが、彼らは失業しても都市戸籍を持たないため登録失業者になることができません。景気の変動の影響をもっとも敏感に受けるのは農民工ですから、失業率統計から農民工が除外されてしまうと、失業率は景気のバロメーターとしての機能を余り果たさなくなってしまいます。
そこで国家統計局では1996年から「都市部登録失業率」に代わる「調査失業率」という統計を試験的に作り始めました(『21世紀経済報道』2015年7月6日)。これは都市部の家庭をサンプル調査して就業や失業の状況を調べて集計するもので、ILOが推奨する失業率の計算方法に沿ったものです。2005年から正式の調査を開始し、10年には調査対象を全国31都市に広げ、13年は65都市に、15年には全国に291あるすべての地区レベルの市(蘇州市、無錫市、桂林市・・・などです)に広げました。そのデータは馬建堂局長らが記者会見などで断片的に触れる以外にはまだ公表されていません。きわめてインパクトが大きい数字なので、準備に慎重を期しているのでしょう。
「調査失業率」は毎月、都市ごとに作られますし、そこには農民工の失業者や国有企業からの失業者もカウントされますから、もし毎月、都市ごとに公表されるようになれば、例えば今年行われることになっているキョンシー企業退治(前回の本コラム参照)によって遼寧省や山西省で失業者が増える様子がきめ細かく観察できるようになるでしょう。
国家統計局は今年から調査失業率を公式の失業率として公表し、政府はこれを政策目標の設定などでも活用するとしていました。ところが、昨年8月以降は12月末に全国の調査失業率が5.01%だったと発表されただけで、調査失業率に関して何の情報も公表されませんでした。
やはり王保安氏は統計改革に対する熱意が低く、彼が局長だった10か月間、統計の改革が停滞したと言わざるをえません。新たに国家統計局長になる人には、ぜひ中国の統計の信頼性と客観性を高めるよう頑張っていただきたいものです。」
http://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2016/02/post-8_1.php
王保安氏の解任を聞いて、私は「さもありなん」との思いを禁じ得ませんでした。というのも彼が局長になってから国家統計局が発表するGDP統計の質がにわかに低下し、統計局が進めようとしていたはずの改革も停滞してしまったからです。
GDP統計の質の低下というのは、以前このコラムで指摘した工業の成長率の過大評価の疑いです。王保安氏が統計局長に就任した2015年4月に発表された2015年第1四半期のGDP統計以来、工業の成長率と、工業を構成する主要な品目(鉄鋼、電力、自動車、石炭、非鉄金属、半導体など)の生産量の成長率との間に矛盾がみられるようになりました。この矛盾は王氏の局長としての最後の仕事になった2015年通年のGDP統計にもあります。各品目の成長率からみて、工業の成長率は公式発表の6.1%よりずっと低く、0%前後だったと私はみています。もっともこの問題については以前このコラムで詳しく論じましたので、今回は統計の改革について書きます。
中国の所得格差を明らかに
王氏の前任の国家統計局長は馬建堂氏でした。馬氏はもともと国務院発展研究センターに所属する経済学者だったこともあり、国家統計局長だった間、統計によって中国の真の姿を明らかにすることに情熱を燃やしていました。特に彼の任期(2008~2015年)の最後の数年間にいろいろな改革を進めました。
【参考記事】中国経済「信頼の危機」が投資家の不安をあおる
まず、2013年1月には、中国の家計所得の不平等度をあらわすジニ係数が2003年まで遡及して一気に公表されました。それまでも世界銀行などによるジニ係数の計測は行われておりましたが、初めて中国の権威ある統計機関によってジニ係数が発表され、中国がアジアの中で所得分配がもっとも不平等であることや、2008年まで所得格差が拡大したのち縮小に転じたことなどが明らかになったのです。
彼が次に取り組んだのが、地方のGDP統計に含まれる「水分」を抜くことでした。中国では国家統計局が全国の経済計算を行いますが、各省にも統計局があって、そこが省レベルのGDPを計算します。さらにその下の市のレベルでも自分のところの経済統計を作ります。地方に調査に行きますと、「わが省の経済は昨年15%成長した」、「わが市の経済は昨年20%成長した」と景気のいい話が多く、下へ行けば行くほどホラ話が多くなる感があります。
その結果、中央の国家統計局が発表する全国のGDPと、各地方が発表する地方のGDPとの間に明らかな矛盾がみられるようになりました。中国は31の省・市・自治区で構成されますから、理屈から言えば31の省・市・自治区が発表するそれぞれのGDPを合計すれば、全国のGDPと等しくなるはずです。ところが、図に示すように、実際には31の省・市・自治区のGDPの合計は全国のGDPをかなり上回っています。
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両者の乖離が一番ひどかった2013年などは、地方のGDPの合計が全国のGDPを6兆元以上、率にして11%も上回っていました。この年は、全国のGDP成長率(7.7%)を下回った地方が一つもないという珍事もおきました。もし31の省・市・自治区の合計が全国と等しいとすれば、伸び率でみてもおよそ半数ぐらいの地方は全国の成長率を下回るはずですが、下回った地方が一つもないというのは、およそ半数ぐらいの地方がホラ吹きだったということになります。
馬建堂局長は誰の目にも明らかなこうした矛盾をなくすために、省・市・自治区のGDPを各地方の統計局ではなく、国家統計局が計算して発表するという改革案を打ち出しました。馬氏は2014年に準備をして2015年から正式に実施するつもりだとも言いました(『21世紀経済報道』2014年1月9日)。
なかなか止まらない地方の成長率誇大報告
図にみるように2014年には、地方のGDPの合計と全国のGDPとの乖離(水分率)は前年の11%から8%に下がっています。これは改革の結果というよりも、2015年から改革を実施すると馬氏が発言したことのアナウンス効果の現れです。つまり、地方政府が2014年をあんまりかさ上げしすぎると、2015年に国家統計局が正確なGDPを発表した時にマイナス成長になってしまってみっともないことになる、と一部の地方が恐れて2014年の成長率を控え目に出したのです。
【参考記事】鉄鋼のたたき売りに見る中国の危ない改革先延ばし体質
ところが、2015年4月に馬建堂局長が国家行政学院副院長に転出し、後任の局長に王保安氏が就任するや、地方のGDP統計の改革がうやむやになってしまいました。2015年も相変わらず各地方がそれぞれのGDP成長率を発表しています。国全体の成長率(6.9%)を下回ったのは遼寧省(3.0%)、山西省(3.1%)、黒竜江省(5.7%)、吉林省(6.5%)の4省に限られ、他の地方の多くは相変わらずホラを吹き続けています。
馬局長が取り組んだもう一つの改革が失業統計の改革でした。中国の公式の失業率は「都市登録失業率」というものです。都市登録失業率は、都市戸籍を持ち、年齢は16歳以上、法定退職年齢(男性60歳、女性50歳)以下で、職がなく、職安に失業者として登録されている人たち、すなわち登録失業者が就業者と登録失業者の合計に対して何パーセントを占めるかを計算して求めます。
本当の失業率を求めて
その推移をみますと、2003年に4.3%だったのが、その後緩やかに低下して2007年には4.0%になり、2008-9年はリーマンショックの影響でいったん4.3%に上がりますが、翌年に4.1%に下がり、昨年末時点で4.05%、ときわめて狭い範囲で推移しています。この数字自体が捏造されている可能性は低いと私は見ていますが、問題は「登録失業者」が都市部に実際にいる失業者の一部しかカバーしていないことです。
例えば、1990年代後半には国有企業で大胆な雇用削減に踏み切り、4000万人以上の労働者が解雇されて、東北部などは文字通り失業者であふれたのですが、その時代に都市登録失業率はずっと3.1%で安定していました。国有企業から解雇された人たちには特別の待遇が与えられ、「登録失業者」にはならなかったからです。
また今日中国の都市では総計1億7000万人近くの「農民工」(農業戸籍を持っていて工業やサービス業で働いている人)が働いていますが、彼らは失業しても都市戸籍を持たないため登録失業者になることができません。景気の変動の影響をもっとも敏感に受けるのは農民工ですから、失業率統計から農民工が除外されてしまうと、失業率は景気のバロメーターとしての機能を余り果たさなくなってしまいます。
そこで国家統計局では1996年から「都市部登録失業率」に代わる「調査失業率」という統計を試験的に作り始めました(『21世紀経済報道』2015年7月6日)。これは都市部の家庭をサンプル調査して就業や失業の状況を調べて集計するもので、ILOが推奨する失業率の計算方法に沿ったものです。2005年から正式の調査を開始し、10年には調査対象を全国31都市に広げ、13年は65都市に、15年には全国に291あるすべての地区レベルの市(蘇州市、無錫市、桂林市・・・などです)に広げました。そのデータは馬建堂局長らが記者会見などで断片的に触れる以外にはまだ公表されていません。きわめてインパクトが大きい数字なので、準備に慎重を期しているのでしょう。
「調査失業率」は毎月、都市ごとに作られますし、そこには農民工の失業者や国有企業からの失業者もカウントされますから、もし毎月、都市ごとに公表されるようになれば、例えば今年行われることになっているキョンシー企業退治(前回の本コラム参照)によって遼寧省や山西省で失業者が増える様子がきめ細かく観察できるようになるでしょう。
国家統計局は今年から調査失業率を公式の失業率として公表し、政府はこれを政策目標の設定などでも活用するとしていました。ところが、昨年8月以降は12月末に全国の調査失業率が5.01%だったと発表されただけで、調査失業率に関して何の情報も公表されませんでした。
やはり王保安氏は統計改革に対する熱意が低く、彼が局長だった10か月間、統計の改革が停滞したと言わざるをえません。新たに国家統計局長になる人には、ぜひ中国の統計の信頼性と客観性を高めるよう頑張っていただきたいものです。」
http://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2016/02/post-8_1.php